066
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 ぼくは滑るように階段を駆け下り、地下三階へ飛び込んだ。
「やった!」
 急いで牢獄に行き、マルシェさんの寝ている牢へ転びそうになりながらたどり着く。
 まだ眠っているとわかっているのに、大声で成果を報告したくて、ぼくは大きく口をあけた。
 しかし、横たわっているマルシェさんを覗き込むと、なんとマルシェさんはぐったりとしてはいるが、まるで睨みつけるように、黒い目を薄く開いていた。
「マ……マルシェさん」
 怒鳴られる、と思い、とっさに両手でパッと口を塞ぐ。
 しかし、マルシェさんは唸るように小さく「馬鹿野郎」と言っただけだった。まだ麻酔が体に効いているようだ。
「お前……局所麻酔でないとやらせないと、言っただろ」
 マルシェさんがぼくではなく天井を睨んだまま、恨めしそうに顔を顰める。
 ぼくは苦笑いして、「すいません」と頷いた。
 マルシェさんの黒い瞳がぼくをギロリと睨んだから、今度こそ怒鳴られる、と構えたら、マルシェさんはまた唸るように言葉を吐いた。
「うまく、やったか」
「はい」
 その質問に、ぼくはにやにやしたいのを堪えて、しっかり頷いた。
 少々ぎこちなかったが、マルシェさんはいつものようにニヤッと笑んで、「よくやった」とぼくを褒めた。
 ようやく抑えつけていた口角が、むずむずと持ち上がってくる。しかし、今はのんびり褒められている場合ではない。
「時間がありません。そろそろ公司たちが帰ってきてしまう。早く、ここを出ましょう」
 ぼくはマルシェさんの片手を引っ張り、肩に担いだ。
 マルシェさんはぐったりとぼくに寄りかかりながら、辛そうに唸った。
 当たり前だろう。体の感覚もないし、何しろ、心臓をひとつ抜き取ったのだから。
 すぐに動かすなんて、本当はいけないんだろうけれど、今は普通の状態じゃない。
「ああ、何年ぶりか……ここから外へ、出られるのか」
 ぼくは頷き、立ち上がる。そして、ゆっくりと足を進めた。
「……茶色い、小僧は」
 マルシェさんの言葉に、ぼくは足を止めた。
 マルシェさんの手が、だらりと垂れ下がる。
「……ヴォルトは、直せなかった。お父様が直そうとしなかった」
 ぼくは、小さな声で呟いた。
 ぼくの言葉に、マルシェさんは何も言わず、黙って少しだけ頷く。
 ぼくはマルシェさんを担ぎなおし、ポケットに入っていた小さなヴォルトをマルシェさんに見せた。
「これが、ヴォルトです」
 ぼくの出した情けない声に、マルシェさんはまた黙って頷いた。
「そうか……お前たちは、小さいんだな」
 手のひらほどもないヴォルトを指先で触り、マルシェさんが呟く。
 ぼくは頷いた。
 そう、ぼくらはとても小さい。本体は大げさなほど大きいけれど、毎日動き回って膨大なデータを集めなければ、しょせんはこんなちっぽけな入れ物で済む。
 ぼくはちょっと苦笑いして、もう一度ヴォルトをポケットにしまった。
 その時、マルシェさんがまた唸るように話し始めた。
「……ああ、その、なんだ。お前の中に、それを入れることは出来ないのか?」
 その言葉に、ぴんときた。
 そうだ――そうだ! ぼくも、ロボットだったんだ!
「ありがとう!」
 ぼくは思わず早口で何度も礼を言い、マルシェさんを床に座らせて、すぐに作業に取り掛かった。
 なんで、なんで今まで気づかなかったのだろう。
 ぼくは、本当にバカだ!
 ぼくは首の後ろに手を回し、決められた一部を指先で撫でた。
 首の後ろを監視するセンサーが指の通過を確かめ、真四角に皮膚に亀裂が入り、蓋が開く。
 それを見て、マルシェさんが顔を顰めたのがわかった。
 確かに、首の皮がめくれて穴が開くなんて、もしぼくがヒトだったら恐ろしい光景だ。
 ヒトだったらね。
「マルシェさん、ぼくの言う順番通りに、パスワードを押してもらえませんか? ぼくら自身では入力できないようになっているんだ。ぼく自身が触れると、強制終了されてしまう」
「あ? ああ、それくらい、できるが……」
 マルシェさんは何度か頷きながら、麻酔の残る指先を動かして、大丈夫だろう、とまた頷く。
 ぼくも頷き、マルシェさんに背を向けて屈んだ。
「左から七つずつアルファベットが並んでいます。わかりますか?」
 マルシェさんの指が、規則的に並んでいるキーを確かめている。
「あぁ、規則的に並んでいるなら、容易いことだが……そんな大切なこと、俺に教えていいのかよ」
「もちろん、マルシェさんだもの」
 ぼくは少し振り返り、笑ってそう言った。
 マルシェさんは、最初はきょとんとしていたが、すぐに、いつものようにニヤッと笑った。
「わかったよ」
 ぼくは軽く頭を前に傾げ、後ろを向く。
 そして、順番通りに言葉を言った。
「A、R、T、T」
 ぼくの言葉に合わせて、マルシェさんが指を動かす。
 さすが、目も見えないのに、戸惑うような仕草も見せず、正確にパスワードを入力している。
「F、I、C、T、A、L」
 体のどこからか聞こえる重い機械音と共に、ぼくの目の前が赤く染まる。
 ぼくは続ける。
「C、H、I、L、D、R、E、N」
 最後のほうの“E”を押し終わった後に、今まで少しも迷わなかったマルシェさんが、ふっと止まった。
「……どうしました?」
 ぼくは前を向いたまま、問いかける。
「……親父さんは、お前達を本当に愛していたのだろうか……。あるいは……」
「……あの人は、ぼくらをただの殺人人形にしか見ていませんでした。あの人にとって、ぼくらはただの、便利な“もの”でしかなかった」
「……そうか」
 呟くようにそう言って、マルシェさんは最後の“N”を押した。
 すると、重い機械音と共に、細長い入り口が現れる。
「入れられるようなところが?」
「ああ、ここだろう」
 マルシェさんは頷いて、ヴォルトのデータをぼくに押し込んだ。
 吸い込まれるように、ヴォルトのデータがぼくの体へ入っていく。
 まぶたが重い。順調にヴォルトが取り込まれているんだ。
 二人分のデータがひとつの体に入ってきて、急に体が重たくなった。でも、立ち上がれないほどではない。
 ヴォルト、ぼくだよ。聞こえるかい?

「……アランか?」

 ヴォルトの声だ!
 ぼくの頭の中で、ヴォルトの声がした。
「ヴォルト!」
 ぼくは思わず歓喜の叫びをあげた。
 マルシェさんに蹴られたので、ぼくは慌てて口を閉じる。
「ああ……どうなってんだ。ここは、アランの中だろ」
 ヴォルトが、ぼくの頭の中で頭を抱えている。
 なんだか、不思議な感じだ。
「俺は消えたんじゃなかったのか?」
「体はね。ヴォルトがゼルダのデータを取り出したのと同じように、今度はぼくがヴォルトを取っておいたんだ」
 ぼくは笑みを抑えきれず、にやにやしながら頭の中のヴォルトに話しかける。
 頭の中で、ヴォルトがきょとんと目を丸くした。かと思ったら、突然大声で笑いだした。
「お前、やるなぁ」
 肩を揺らして、ヴォルトが楽しそうに笑う。
「少し前までは、お前にそんな勇気なかったくせに。オヤジに見つかるとか、思わなかったのかよ」
 ヴォルトの言葉に、ぼくははっとした。そうだ、そういえば、すごいことをしていた。
 ヴォルトのラボに忍び込み、勝手にデータを持ち出した。しかも、そのヴォルトのデータを持ったまま、堂々とお父様の部屋に入った。
 そのまま、淡々と演技していたなんて!
「ぼ、ぼく、そんなこと考えてなかった!」
 ぼくの裏返った声に、ヴォルトが笑い声をあげた。
「はははっ! さすが、俺が造っただけある!」
「少しも思わなかった。それで捕まるとか、怒られるとか、そんなこと、全然」
 ぼくもにやりと笑った。
 自分でも、今改めて思う。ぼくは変った。
「さあ、行こう。公司たちが嗅ぎつける前に」


 ぼくは檻を抜け出そう


 自由を手に入れるために


 ぼくは、ロボット





 Artificial children


 造られた子供




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