023 氷のように冷たかった体が、マルシェさんのほんの少しの言葉で、心地よい暖かさに変わった。
マルシェさんは、すごい。やっぱり、一番すごい。
ぼくは嬉しい気分につい顔を緩め、怪しまれないようにいつもの部屋へ戻った。
白い扉を片手で押したとたん、例のごとくティーマが飛びついてきた。
「おかえり、なさい!!」
腹に突然タックルをくらって、ぼくはまた大きく仰け反る。
「た、ただ、いま」
ぼくはティーマを受け止めて、ティーマのようなぎこちない笑い方で応えた。
ティーマはぼくを見上げ、大きな赤い瞳を輝かせる。生き生きとした、明るい色だった。
「アラン、お風邪が治りました!」
ティーマの嬉しそうな一言に、ぼくはつい口元が緩む。
ぼくは頷き、おかげでボロボロになった体をさすった。
「そうだね。ありがとう」
ティーマの頭を撫で、部屋を見渡すと、またいつもの仲間が居なくなっていることに気づいた。
壁一面のガラス窓はどれもしっかりと鍵をかけられ、クリーム色のカーテンも金色のリボンでちゃんと結ばれている。
ティーマがこの間担いで暴れまわっていた花瓶も、どこかの宮殿の柱を思わせる台の上にしっかりと乗って。
見慣れた白の部屋の中には、ぼくと、ティーマだけだ。
「テイルは?」
ぼくは、椅子の上にピョンと跳ね乗るティーマに問いかける。
「お仕事の、お片付け! ティーマ、褒めて、お父様が言って、いった」
ティーマはいつもお父様の声がするスピーカーを指さし、次に自分の向かいの席から出入り口までを指さした。
言葉が変に省略されているけれど、意味はわかる。ティーマの言葉に、ぼくはまた頭がズキンと痛んだ。
……早くみてもらわないと。
「そっか……それじゃあ、遅くなるかもね」
ぼくはとりあえず、苦笑いしておいた。
お片付けとは、ぼくたちが“お仕事”をした後の、残骸……つまり、死体や、壊れた建物なんかの、後始末をすることだ。
普段はみせしめもかねて公司たちが地道にやることが多いのだが、今回はティーマの仕事ということもあり、特別なんだろう。
その“片付け”に、ほんの時々、テイルの力を借りることがある。
テイルの特殊能力は風。すべてをあの風で巻き上げて、大きな袋に移すのだ。
そして、すべて燃やし尽くす。これは、ヴォルトの仕事だった。
思えば、なんて残酷なんだろう。
ぼくはティーマの隣に座りながら、また暗い気分になっていた。
あとで、花でも添えてこよう。こんなことで、許されるわけじゃないけれど……。
「アラン! アラン!」
ティーマの声に、ぼくははっと顔を上げた。
「な、なんだい?」
ぼくは無理やりにっこりして、ティーマに向き直る。……あ、まずい。
思ったとおり、ティーマにまた、額を突かれた。
「アラン、変ですよ!」
いつもの、ありがたいお言葉だ。
ぼくはため息をつき、「お手上げだ」と両手を挙げる。
「わかった、わかった。ごめん。ぼくだって考えることがあるんだよ。ティーマと同じ優秀な部品が、頭に詰まっているからね」
渋々謝ったぼくに、ティーマは威張ったように鼻を鳴らすと、また椅子に戻った。
よかった。どうやら今回は、ありがたいお説教はなさそうだ。
ぼくがほっと胸を撫で下ろすと、ティーマがまん丸の目をらんらんと輝かせ、じれったそうに体を揺らした。
テーブルの上に置かれたその手は、丸く握られ、肩の幅に置かれている。あぁ、そうか。
「ちょっと待ってて。今、お茶を淹れるから」
さっきお父様が言っていた、ご褒美のゼリーを待っているのだろう。
ぼくは喜びの小躍りをしているティーマを通りすぎ、小さな台所に向かった。
テーブルに向かって対面式になっている、テイルご自慢のキッチンだ。
テイルの美意識ってやつはたいしたもので、キッチンも、キッチン用具も、すべて磨き上げたシルバーで統一してある。
ぼくはいつでも熱いお湯の入っているティーポットと、冷蔵庫に入っていたクリームのたっぷり乗ったおいしそうなフルーツゼリーを出して、トレーに乗せた。
「ティーマ、ちょっと手伝って」
「はい!」
ティーマは準備よく右手にスプーンを握り、ぼくのほうに駆け寄ってきた。
ぼくはティーマにトレーを渡し、ティーカップを取りに食器棚へ向かう。
白い戸棚には、数え切れないほどのティーカップが並んでいる。テイルがこういうの、大好きだから。
正直、使えればどんなものでもいいんだけど……と、ふとティーマのほうを振り返った。
目線ピッタリにトレーを持ち上げ、今にも落としそうなほどぐらぐらさせながら、おぼつかない足取りでテーブルに向かっている。
ぼくは、今にひっくり返しやしないかとひやひやしたが、なんとかテーブルにたどり着いたので、ほっとした。
そして、また大漁のティーカップとにらめっこを始める。
隅から隅までティーカップ。本当にどれでもいいけれど、こうもたくさんあると、どうしても迷うものだ。
そうだ、あの方法を使おう。迷ったときには、これが一番。
ぼくは目をつむって、少しだけ力を使った。念力を使うくじびきのようなものだ。
小さくティーカップが触れ合う音と、ぼくの手にひやりと当たる感覚に、ぼくは目を開ける。
目の前にあったのは、ふわふわと宙を浮く一組のティーカップだった。
ぼくはそれを見て、思わず苦笑いをする。
ここまでけばけばしいカップは、見たことがないかもしれない。
飲みにくそうなフリルの縁取りに、取っ手には、邪魔としか思えない黄緑色の薔薇がついている。
よりによって、こんなものを選ぶなんて。
嫌だとは思ったけれど、もう一度選び直していたらティーマがかんしゃくを起こしかねない。今日はこれを使うことにしよう。
それを持ってティーマのところに行くと、ティーマは目を輝かせて、
「わぁ、可愛い!」
と嬉しそうに言った。
女の子の趣味って、わからない。
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