022
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 “ゼルダ”

 それは、ぼくのもうひとつの名前だった。
 ぼくが初めてまぶたを開いたとき、公司に告げられた、最初の言葉。
 初めの頃は、ぼくも自分を“ゼルダ”だと思い込んだ。
 だけど、いつの間にかその名前を呼ばれるのが、たまらなく気持ち悪くなって……。
 気づけばぼくは、その名前が大嫌いになっていた。
 その名前を聞くたび、体中の機械が熱くなる。
 まるでそう呼ばれるのを、全身で拒否しているように。
 だからぼくは、自分で自分の名前を変えた。
 だけど、お父様はぼくのことを、必ず“ゼルダ”と呼ぶんだ。
 それが、たまらなく怖くて、ぼくは……。


 ぼくは、突然告げられた本当の名前に、体中が凍りつくように冷たくなった。

 マルシェさんに、知られてしまった。

 ぼくが、GXだと。ぼくが、ロボットだと。


 ぼくが、人殺しのために造られた、殺人兵器だと……。


 痛い……体の奥から何かが突き刺してくる。

 冷たい何かが、ぼくを攻めてくる。


 ぼくは、眉間にしわを寄せ、首を横に振った。


 何を否定しているんだ?


 苦しい。


 何が苦しいんだ?


 ぼくは、自分の首をぎゅっと掴み、その場に崩れるように座り込んだ。
 「違う」と反論したい。それなのに、声が出ない。ついに故障してしまったのだろうか?
「……どうした」
 マルシェさんが、宙を掻く。ぼくの、頭の上のほうを。
 喉に何かが詰まったようで、声が出ない。
 つめが刺さるかと思うほど、自分で首を絞めた。

 苦しくて、顔が歪む。


 どんなに苦しくても、痛くても、


 死にはしないのに。ぼくは決して、死にはしないのに。


 苦しくて、苦しくて、



 たまらない……――



「どうした、アラン」
 マルシェさんの腕が、格子にそって、ゆっくりと下りてきた。
 そして、くしゃくしゃになったぼくの顔に、触れる。
「どうした」
 マルシェさんは、再びぼくに問いかけた。
 ぼくは、震える口をこじ開け、ほんの少し、声を漏らす。

「ぼくは……」

 擦れて、つぶれたような、情けない声だ。

「ぼくは……人を殺した……」

 まるで、押し込めていたもののふたを開けたように、溢れ出す。

 熱いものを吐き出す。溜め込んで、押し詰めて、潰そうとしていたすべてを。

「ぼくは……人を殺した……! この手で、何の罪もない、少年までも……!」

 体中が熱くなる。皮膚が焼けて、今にも剥がれそうだ。

「ぼくが……したんじゃないんだ……体が勝手に……動いて……それで……」

 それで……。

 違う。

「言い訳したいんじゃないんだ! ただ、謝りたいんだ。ぼくは……ぼくは……!!」

 頭の中が、混乱する。回線が、少しずつ爆発していく。


 “アラン”が、壊れてく……――



「もう、いい」
 マルシェさんが、ぼくの頭に、ぽん、と手を乗せた。
「もういいから」
 がさがさの手が、ぼくの頭を撫でる。
 やせて、骨張ってごつごつで、
 それでも、マルシェさんの手は、暖かかった。
 生きているものの証、確かな温もり。
 マルシェさんは生きている。
 ぼくは……。

「ぼくの……この手は、冷たい」

 ぼくは、また震える声で話し始める。

「この体の中には……血は流れていない。代わりに、毒々しい液体が流れてる。人間が触ったら、一瞬で死んでしまうような、冷たくて、汚い液体。それでも……ぼくは死なない」

 ぼくは、ロボットだから。

 ぼくは、造られた、ただの物だから。

 ぼくは、決して生きてはいないから……

 その三つの言葉が、どうしても出てこなかった。
 ぼくは牢に額をつき、うつむく。
 マルシェさんの腕が、ぼくの頭から虚しく滑り落ちた。
 情けない。ぼくは、今。
 顔をくしゃくしゃにして、必死に自分を慰める言い訳を探している。
 なんて格好悪い……。
 その時、突然マルシェさんに、頭をぴしゃりと叩かれた。
 ぼくは、驚いて顔を上げる。

「バカか、お前は」

 ぼくの額に流れる水滴が、目を通って、頬に流れる。
 見上げたマルシェさんの顔は、怒っていて、なんだか、前より若返って見えた。

「お前は、生きている」

 突然告げられたその言葉に、ぼくは頭の中がからっぽになった。
 何を、言っているんだ……?
 そして、やっと戻ってきた意識をふりしぼって、首を横に振る。
「だ……だって、ぼ……ぼくは……」
 ぼくは……ロボット、だから……。
 そんなことを思っていたら、またマルシェさんに叩かれた。
「バカだな」
 またその言葉を、言われる。
 マルシェさんはふん、と鼻を鳴らした。
「ロボットだろうと、人間だろうと、だいたい中身は同じじゃねーか」
 当り前のようにそう言うマルシェさんの言葉は、一言も理解できなかった。
 言っている結論が、ぼくの頭に無理やり押し込められた、ぶあつい辞書の中には、一片のかけらも見当たらない。
 ぽかん、と口をあけ、情けない顔をしているぼくを察してか、マルシェさんは顔を顰めた。
 いつかのヴォルトのように、やっぱりお前バカだな、とでも言いたげに。
「お前たちの体には、お前を動かすための、歯車やら、モーターやらが入っているんだろう?」
 ぼくは、ゆっくりと頷く。
「俺たちの体にもな、内臓とか筋肉っていう、俺たちを動かすためのものが入っているんだぜ」
 それは、知っている。各部分の役割も。
 ぼくは、また頷く。
「同じことなんじゃないのか。入っているものが、少し違うだけだろう?」
 マルシェさんはそう言って、自分の胸をトンと叩いて見せた。
 少し、違うだけ……。
 同じ……
 ぼくらは……同じ……?

 一瞬、急に視界が広くなった――そんな気が――した。

 ぼくは……ぼくは……

 言葉が出ず、口を歪ませるぼくに、マルシェさんは言葉を続ける。
「俺の中には俺を動かすものが入っていて、そいつらはまだくたばっちゃいない。だから、俺は今、生きている。それと同じく、お前たちも生きているんじゃないのか」
 マルシェさんは、言う。当然のように。
 入っているものが違うだけ。
 それぞれぼくらを動かすもの。
 まるで、夢を見る子供のような、強引で、でたらめな理論だ。
 そんな話に、ぼくはなぜか、すごく嬉しくなっている。
「はい……」
 ぼくは、返事をした。
 くしゃくしゃの顔して、笑って。

 ――ぼくたちは、生きています。



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