024
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 けばけばしいカップでお茶を済ませた後、ぼくは特にやることもなく、公司館の中をぶらついていた。
 白衣を着た公司たちが、長い廊下のすみを忙しそうに駆けていく。ぼくは邪魔にならないよう足を止め、何の装飾もない廊下を、ただなんとなく眺めていた。
 継ぎ目のひとつもない、完璧な壁紙。絵でも飾ったらいいのに……なんて、ぼくは時々思っていた。花の絵ひとつでも飾っておけば、公司館の雰囲気は、ここまで重苦しくならないだろうに。
 長い列だった白衣の公司たちが、ようやくぼくを通り過ぎた。ぼくは壁際の彫像で居るのをやめ、再び歩き出す。
 その時、ギシ、と何かが軋む音がして、ぼくはぴたりと足を止めた。
 床が腐ってる? いや、公司館は木製じゃない。すべてコンクリートや石造りだ。軋むはずがない。
 顔を上げて、周りを見る。何もない。公司たちの背中ははるか向こう。今ちょうど曲がって見えなくなったところだ。
 ぼくは首を傾げ、またふらふらと歩き出した。
 ギシ、ギシ、ギシ――やっぱり音がする。
「おかしいな……」
 ぼくは呟き、もう一度振り返りながら、困ったように前髪をかき上げようとした。
 ……腕が上がらない。
 ぼくははっと動かない右腕を見下ろした。ちょうど肘の結合部から、血管のようなコードが垂れ下がり、その先に、外れた肘から指先までが、かろうじてぶら下がっていた。
 軋む音は、腕が揺れる音だったんだ……どうやら肩まで感覚がないようだ。いつから引きずって歩いていたんだろう。たぶん、ぼんやり散歩をしている途中に落ちたんだ。
 体の中を血液の代わりに流れる液体が、どろどろと絨毯を汚していく。しまった……。
「直してもらおう……」
 ぼくはぶら下がった右腕を拾い、地下一階のラボラトリーへ向かった。


 赤い絨毯の上を歩くと、ごてごてとくもった音がする。
 ぼくはこの音だけは、ちょっとお気に入りだった。コツコツと石の地面を鳴らすより、なんとなく耳に心地よい。
 ぼくは千切れかけた腕を無事なほうの手に持ち、地下への階段を下りた。
 もしも一般の人間が今のぼくを見たら、なんて思うのだろう。いくら技術が進んできたからとはいえ、今のところ地下街でぼくら以外のヒト型ロボットを見たことはない。
 きっと、ただ驚くか、叫ぶか、卒倒するか……。心配してくれるっていう反応は、なんだかうまく想像できなかった。
 地下一階には、ぼくらのベッドルーム、つまり、ぼくら専用のラボラトリーが七つ、他に実験用のラボが三つ、全部で十の研究室がある。
 ぼくは軽快なステップで、最後の階段を下りた。次からは、幅の広い廊下となる。
 大型の機械を押してすれ違うため幅広に作られた廊下には、ぼくの手前から、実験用の三つ、そして、7〜1の順番で、ぼくらのラボが並んでいる。
 7つめのティーマのラボは、まだ中が騒がしい。きっとまたティーマを改造するつもりなんだろう。
 どうやら、言語学習力と特殊能力のほうに、ちょっと問題があるらしい。らしいと言っても、喋っているところを見れば一目瞭然だけれど。
 だけど、きっとあのぎこちない喋り方はかえないと思う。愛らしいティーマはお父様のお気に入りだし、ぼくらにとっても、ちょっとずつ言葉を覚えていく妹のほうが、最初からぺらぺら生意気を言った弟よりも、何十倍も可愛いからだ。
 次の6のラボは、その口の達者な弟、ヴォルトのラボだ。
 そういえば、ヴォルトはあの後どこに行ったんだろう?
 ぼくはしばらく、鉄製の扉に書かれた“6”という大きな数字を、黙ったまま見つめていた。
 ヴォルトは、ぼくよりチビで、気が強くて、意地っ張りで――最初はわがまま放題だったけれど、気づいたらいつの間にか、ぼくらと不自然な距離を取るようになっていた。
 今思えば、ヴォルトはあの頃に気づいたんだ。自分自身の“間違い”に。誰にも教えられず、たった独りであの衝撃を受け止めるのは、きっとぼく以上の苦痛だったに違いない。
 罰を受けても、ぼくらに理解されなくても、がんばって、がんばって、自分の意思を突き通して……。
 ヴォルトは強くて、きっと、とても脆い。
 だけど、やっぱりぼくなんかより、うんと強くって……。
 ぼくは腕を押さえながら、扉の上のほうにある、浮き彫りの“LABO6”の字を見上げた。
 鉄製の“6”が、ぼんやりと赤く光る。気づいたらぼくは、その大きな鉄の扉を開けていた。



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