103 それから、ぼくも半ば強制的にセイたちのトランプゲームに引き込まれた。
なるほど、これじゃあセイが負け続けているわけだ。セイはなぜか手持ちカードを覗き込むように体をかがめる癖がある。
これじゃあ、カードは丸見え。それでも、ヴォルトも見ないように床に寝転がってあげているというのに、それでも負けるってことは、相当運がないようだ。
ヴォルトの五勝、ぼくの三勝の後に、ようやくセイが一勝をもぎ取った時には、アンドリューが片手で器用に美味しそうなポトフを出来上がらせていた。
ぼくらはそれをご馳走になって、また少し双子をかまった所で、アンドリューはちょうど迎えに来たメリサと、ぼくはヴォルトと、それぞれの部屋へ戻ることにした。
「アラン君」
それぞれ逆方向へ進もうとしていたぼくらを、アンドリューが呼び止めた。
セイが扉から顔だけ出して、「帰んないのか」とぼくらの顔をじろじろ見回す。
アンドリューはセイの頭を扉の中に押し込め、またこちらを向いた。
「僕に隠し事はなしにしてくれ。どんな些細なことでも。いいね」
そう言って、端正な顔が微笑む。
自信に満ちたその表情に、ぼくは微笑み返し、頷いた。
了解、とぼくが返事を返すと、またセイが扉の隙間から飛び出してきた。
今度はセイを見下ろし、アンドリューが言う。
「それに、まだヒーローの座を渡すつもりはないからね」
どうやら今の言葉は相当きいたようだ。セイは目を真ん丸くして、とたんに扉の中に顔を引っ込めた。
クスクスと笑うアンドリューの隣で、みるみるうちにメリサが真っ赤になっていく。
猛スピードで逃げるように駆け出すメリサを追いかけて、アンドリューも戻っていった。
ぼくらはすぐに自室へは戻らず、一階上のラボラトリーへ向かっていた。
ヴォルトの提案だった。少し、話したいことがあるらしい。
ぼくもこの一週間に何があったのか知りたかったが、ラボへ向かう途中では、ヴォルトは黙り込んだままで、何かを聞き出せるような雰囲気ではなかった。
人々は自分の家へ帰り、シンと静まり返った廊下で、時々重なるぼくらの足音だけが響く。
ぼくはヴォルトの背中を追いながら、重たい雰囲気に、ふとさっきのランスさんの言葉を思い出していた。
無事といえば、無事かもしれない……ということは、無事ではないかもしれないということだ。
ヴォルトは時々無理をしすぎる。もし次に壊れてしまったら、ここではもう直せないかもしれないのに……――
「……ヴォルト」
ぼくはついに足を止め、ヴォルトを呼び止めた。
人の居ない廊下で、ヴォルトが振り返る。ヴォルトの向こうが妙に遠く、暗い奈落のように思えた。
「体、大丈夫なの?」
「別に」
心配そうに問いかけたぼくに、ヴォルトはバカじゃねえの、といういつもの表情で、きっぱりと返した。
しかし次にはぼくから目をそらし、予想外の言葉を返す。
「次、公司が襲ってきたら、俺はもう戦えない」
突然のその言葉に、ぼくは眉を寄せた。
言葉の意味がわかっていないぼくに気づいたのか、ヴォルトはポケットから何かを取り出し、ぼくのほうへ放る。
手のひらで受け止めたそれは、マーシアに追い詰められた時、ヴォルトが首から外したチップのようなものだった。
「これは……?」
「能力制御装置。俺が自分でつけた。ランスに無理言って、力の限界を俺が受け止められるギリギリまで上げてもらったんだ。普段はこれで全力を半減以下にさせていた。こいつがついていたから、あの時俺は簡単に攻撃を受けたんだけどな。こいつを取ったってことは、俺はもう自分で自分を制御できない。多分、次に戦闘体勢に入ったら、俺は見境なく殺すだろう。ここの奴らも、公司も、お前も」
ヴォルトは妙に落ち着いた声でそう言って、ぼくを指さした。
ぼくは自分を指すヴォルトの指を見つめたまま、突然の事実に目を丸くするだけ。
ヴォルトは手を下ろし、またため息交じりに話し始めた。
「自分の力はよくわかってる。俺たちは数字が増えれば性能もよくなる。つまりお前は俺を止められないってこと」
「そんなのわかってる……! だけど!」
「次は戦えない。わかってるけど、多分、俺はまた戦うと思う。俺たちはそういうように出来ている。その時は、お前、俺を壊せ」
ヴォルトがぼくを見つめ、きっぱりと言う。
決意の浮かぶヴォルトの瞳に、ぼくはただ、ひきつった笑顔を作った。
「ぼくには君を壊せないのに……?」
ぼくの出した擦れ声は、闇を背負うヴォルトに聞こえたのだろうか。
ヴォルトは小さく笑みを零し、いつものようにポケットに手を突っ込んだ。
「意地でも壊せ。俺の最後の願いだ」
「最後じゃない!!」
ぼくはチップを握り、思わず大声を出した。
何かを隠すようなヴォルトの笑みが、妙に怖く、ぼくを苛立たせる。
「どうして君はそうやって自分ばかりを犠牲にしようとするんだ! ぼくにだって、守れるのに!」
「お前だってそうだろ! 仕方ないんだ、俺たちはそういうようにできている! どんな時でも人のためだけに自分を犠牲にするように、そのために俺たちは造られたんだ!」
ヴォルトが眉を吊り上げ、同じように大声で怒鳴り返した。
その言葉に、ぼくは口をつぐむ。
人のため、人のためだけに……そのために、ぼくらは造られたんだから……――。
「……マーシアと同じこと言うんだね」
「まあな……俺とあいつは現実主義者だ。おまえとテイルは理想ばっか言ってたけどな」
ぼくの考えは、ただの理想――じゃあ、生きたいと願うこの気持ちも、ただの理想なのだろうか?
ぼくは再び顔を上げ、ヴォルトを真っ直ぐに見つめた。
「ぼくは、絶対に君を壊したりしない」
「じゃあ俺が自分で自分自身を壊せばいいんだな。今すぐ、ここで」
ヴォルトがそう言って、自分のこめかみに指を当てた。
ぼくはとっさに、手を伸ばして踏み出す。
しかし、ヴォルトは短くため息をつくと、あっさり手を下ろした。
「嘘なんかじゃないんだ。現実を見ろ、俺はもうダメなんだ」
「ダメなんかじゃない! なんとかなるはずだよ、たとえば……また体を造りなおせば」
「できるわけないだろ、もう一体作れるほどの部品がない。それともまた公司館に戻れとでも言うか? 絶対に嫌だね」
ヴォルトはふんと鼻を鳴らし、バカにするように笑った。
言い返すことができず、ぼくはまた口をつぐむ。それでも真っ直ぐにヴォルトを睨みつけていたら、ヴォルトのほうが目をそらした。
「それに、もうそろそろ開放されても……いいと思ったんだ」
ヴォルトが手のひらを見つめ、呟くように言う。
「造られた子供、“アーティフィシャル チルドレン”――ただ人のために動く、魂のない、殺人人形」
ヴォルトは顔を上げ、苦笑いしてみせた。
「お前、そのままで居たいか?」
囁くように、ヴォルトが言った。顔を歪ませ――泣いているのかと、思った。
ヴォルトはいつだってぼくの前に立って、ぼくを導いてくれていた。
どんな時でも余裕そうに、ぼくの前に居てくれた。どんなにダメだって思った時でも、ヴォルトは笑っていてくれた。
でも、ヴォルトはいつも傷ついていたんだ――心の中では、きっと泣いていたんだ。
今のぼくと同じように、喉が締めつけられるような気持ちになることも、あったんだ。
魂のない殺人人形――確かにその事実、過去は、変わることはない。
それでも……――
「それでも……生きていたいと思うのは、いけないことなのかな」
ぼくはこぶしを握りしめ、締まる喉から声を絞り出した。
ぼくの精一杯の言葉に、ヴォルトは目線を落として黙ったまま、何も返してこない。
多分、次にヴォルトが何か言い返してきたら、きっとぼくは認めてしまう。
信じたくない、現実を……。
「魂がそう言うのなら、間違いではない」
背筋を撫でられたようなゾクッとする感覚と共に、突然背後から声が襲った。
ぼくは思わず身を震わせ、素早く振り返る。
すると、縫われた口元をニッと上げたロストさんが、そこに立っていた。
「失礼、聞こえてしまってね」
ロストさんは軽く黒のシルクハットを持ち上げ、色の違う両の目をニコリと細める。
そして長いマントをまるで翼のように揺らし、滑るようにぼくの横を通り過ぎると、ヴォルトのほうへ歩み寄っていった。
足音がしない――不思議な雰囲気……人とはどこか違う。ぼくにはまるで、本物の死神のように思えた。
「君もなかなか面白い中身をしている」
ヴォルトに向かって、ロストさんが囁くように言った。
その言葉に、さすがにヴォルトも驚いて顔を上げる。
すると、ロストさんはぼくのほうへ目線を戻し、また半月型に目を細めた。
「少し、君たちと話がしたい。いいかな?」
「あ……はい」
返事をするつもりはなかったのに、ぼくから勝手に声が飛び出した。
ぼくははっと口を押さえたが、どうやらヴォルトも嫌ではなさそうだ。
「では、場所を移そう。ここではあまり騒げないのでね」
シオンのものとは違う、頭の中というより意識に直接響くようなその声には、不思議と逆らうことができない。
まるで催眠術にかけられたような気分のまま、ただ動く足の行くままにロストさんを追った。
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