102 ぼくはあてもなく、ただ平和な賑わいの広がるセンター内を歩き回った。
所々で「復活おめでとう」などと声をかけられたけれど、小さく頭を下げるだけで、返事もできなかった。
ぼくの脳裏に、いやな予感がよぎる。前にヴォルトが公司館から落下した映像がよみがえった時には、思わず足がすくんだ。
ヴォルトは何だかんだ言うけれど、自分を犠牲にして人を助ける奴なんだ。
もし、もしぼくが行かなかったせいで、また自分を傷つけるようなことをしていたら……――。
「アランくん!」
その時、女の子の声が聞こえて、ぼくは振り返った。
ふわりとした金髪を二つに結ったアンドリューの妹、メリサが、花束を抱えて駆け寄ってくる。
初めの頃、ぼくを警戒していた様子とは違い、嬉しそうに笑むようになったメリサにも、ぼくは顔をひきつらせたまま。
「治ったのね! みんな心配していたの。ずっと面会できなかったから」
「メリサ、ヴォルトはどこ?」
ぼくはメリサの言葉を半ばさえぎるように、メリサに問いかけた。
メリサが青い瞳をまん丸くし、首を傾げる。
「ヴォルト? 彼なら確か、まだセイと一緒に……」
「どこに?」
「たぶんセイのお部屋よ。さっきお部屋の前の廊下で、エリックとラルフと、四人で何かこそこそしていたから」
メリサの返事を聞き、ぼくはすぐにセイの部屋へ向かった。
メリサが「無理しちゃダメだからね」と後ろから声をかけてくる。
それでもぼくは、いつの間にか全力疾走せずにはいられなかった。
セイの部屋は、二階の真ん中だ。ラボラトリーのある三階から、ぼくは階段を半ば飛び降りるように駆け降りた。
手すりに掴まってUターンし、階段のすぐ脇の廊下を進む。
すると、廊下でおもちゃを散ばらせて遊ぶエリックとラルフが目に入った。
ぼくの姿を見つけて、ぼくを転ばせようとミニカーを滑らせてきたけれど、ぼくはそれをひょいと飛び越え、セイの部屋のドアノブを掴む。
悔しそうな声をあげる双子を腰にくっつけたまま、ぼくは部屋の扉を開けた。
そしてすぐ目に入った、目立つセイの水色頭と、散らかし放題の部屋の様子。
そして、
「よぉ、へなちょこヒーロー」
床に寝転がって、ヴォルトがけろりとした顔で言った。
その手には、トランプカード。
あまりにも予想と違ったヴォルトの様子に、今までの慌てぶりは一体何だったんだと、ぼくはただ呆然として二人を見つめた。
双子がよじ登ってくる。
ぼくがあまりにも変な顔をしていたのか、ヴォルトがブッと吹き出した。
それに便乗するかのように、セイが大声で笑う。
「何だよ、ボーっとしちゃってさ! 治ったんなら早く言えよな!!」
セイが立ち上がって、軽がるとヴォルトを越えてぼくに跳びついてきた。
後ろに双子、前にセイを抱え、ぼくは力なくその場に腰を下ろす。
「俺はそう簡単に壊れやしないぜ、ばぁか」
ヴォルトがそう言って、にやりとする。
普段どおりのヴォルトに、ぼくも力が抜け、苦笑いを零した。
「……冷や冷やした」
「その過度な心配性、直せよな」
呆れ顔でそう言うヴォルトの声を聞きながら、ぼくは双子を剥がした。
その時、背後で人の気配がした。
「あれ、アラン君も来てたんだね」
アンドリューが三人にくっつかれているぼくを見て、小さく笑う。
右腕が吊られ、左手には今晩の食料であろう紙袋を持っていた。
もう動かない右腕――意識のあるアンドリューのその姿を見るのは初めてで、ぼくは思わず顔を強張らせた。
ぼくの変化に気づいたのか、アンドリューもまた少し苦笑いする。
そして双子を退かし、紙袋の中身を探ろうとするセイを避けて部屋へ入ってきた。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな」
「ぼくに?」
そう、とアンドリューは頷き、紙袋に隠れた指でキッチンのほうを指す。
ぼくも頷き、立ち上がった。
「何の話だよ、作戦会議ならまぜろ」
「お前はリベンジだ。まだ一度も勝ってないだろ、俺に」
くっついて来ようとするセイを、ヴォルトが引っ張り戻した。
その時、アンドリューとヴォルトがふと目配せをしたような気がした。ヴォルトはアンドリューの話すことを知っているのだろうか?
ゲーム途中のトランプを混ぜられたとセイが騒ぐ。ぼくはアンドリューについてキッチンカウンターの椅子へ腰掛けた。
アンドリューは荷物をカウンターの隅に置き、自分も椅子へ腰を下ろす。
また不便な右手が、少し邪魔そうに見えた。
「そんなに気にすることないよ」
ぼくは思わず顔を顰めていたのか、アンドリューがそう言って微笑んだ。
ぼくはアンドリューの腕から目線を戻し、慌てて首を横に振る。
すると、アンドリューはいつもの微笑を崩さないまま、左手でそっと右腕を触った。
「これは代償なんだ」
「代償……?」
呟くようなアンドリューの言葉に、ぼくは耳をすませた。
すると、アンドリューは青い目を細め、少し困ったように眉を下げる。
「聞いた? 僕がこのアンダーグラウンドを治めるんだってさ」
まるで人事のように、アンドリューが言う。ぼくはとりあえず何度か頷いた。
「信じられないよね」
「そんなことない。だって、君は……あの公司を一瞬で追っ払ったんだろ」
何かをごまかすように笑い続けるアンドリューに、ぼくは思わずそう言った。
ぼくの言葉に、アンドリューはふと笑みを消し、そして少し目線を落とす。
何だか、出会った頃の雰囲気より、今のアンドリューはずっと大人びて見えた。
「別にね、力を隠すつもりはなかったんだ。わかっていたんだ。実は前に、キヨハルさんに言われていた。「僕の次にアンダーグラウンドの柱になるのは君だ。君には一人にしては少し多すぎる力があるから」って。そしてそれが、皆を支え、守ることができる力だって……。嬉しかったよ、憧れのキヨハルさんに認められたような気がしてね。だけど、僕は怖かったんだ。……もし、この力が僕なんかに制御できなくなったら、皆を守るどころか、大切な人を傷つけてしまうかもしれない――そう思うと、誰にも打ち明けず、すべてを堪えて“その時”を待ち続けるしかなかった」
アンドリューが眉を寄せ、少し辛そうな表情を見せた。
ぼくは自然と、動かない右腕に目を移す。
「だけど、君たちが来てから考えが変わったよ。君はいつも誰かのために動いている。自分のためじゃなく、誰かのために。嫌でも僕も変わらないとって思わされたよ。このままじゃ、アンダーグラウンドどころか、実の妹一人守れないってね。……それにね、よくキヨハルさんが言っていたんだ。大きな力を得た者は、それ相応の代償を払わなきゃいけないって」
アンドリューはそう言って、動かなくなった右手を叩いた。
「これが僕の代償だと、僕は思っているけど」
また無理な笑い方をするアンドリューに、ぼくもつい苦笑いをする。
すると、アンドリューもまた困ったように肩をすくめた。
「キヨハルさんだって、きっと何らかの犠牲のもとにあの力を体に秘めたんだ。得たものには相応の対価を……ロストの口癖だけどね。あ、ロストには会った?」
「うん、さっきラボラトリーで目を覚ましたときに……」
そう言って帽子を取るような仕草をしてみせたその時、ぼくははっと自分の発言に口をつぐんだ。
ラボラトリーって……しまった、ぼくってバカだ。
思わず苦笑いし、恐る恐る目を上げると、アンドリューはまた目を細めて笑っていた。
「知ってたよ、最初から。君たち二人が少し特殊だって」
少しだけね、と小声でそう言い、ヴォルトのほうをちらっと見る。
アンドリューの告白に、ぼくは目をまん丸くした。
「さ、最初から?」
「そう。ごめん、言うべきだったね」
隠してきた今までの努力は何だったんだ、と情けない顔をするぼくに、アンドリューが小さく吹き出した。
「……なんで?」
「何となく。勘っていうのかな。大体わかるんだ、体調が悪い人とか、感情の変化とかがすぐに。こういうところもキヨハルさんに似てるらしくてね」
クスクスと笑い、アンドリューが答える。さすが兄妹だけあって、口に指を当てる笑い方がメリサにそっくりだ。
もう、何だかすごいとしか言いようがない。ぼくは盛大にため息をついて、背もたれに体を預けた。
「何だか気が抜けたよ。せっかく隠してきたのに、ここではほとんどの人にぼくらのことがばれてるみたいだ」
「いや、そんなことはない。セイもメリサも、エリックもラルフも知らない。多分知っているのは、マルシェと僕と、フラン姉さんとランスさん……ぐらいかな」
「じゃあ、まだこの苦労は続くわけだね」
ため息交じりに言うと、アンドリューは「そう」と笑って頷いた。
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