完結
 朝、いつもより早く家を出る。清々しい天気に胸が躍る。皆が長いこと待っていた文化祭一日目だ。


 今日は午前中にクラスの店番をやって、午後は部活の出し物の方に少し顔を出してから伊作と他のクラスの出し物を一緒に見る予定になっている。
 友達は文化祭実行委員としてこの二日間は私に付き合っていられないだろうし、と伊作に声を掛ければ少し驚いた表情を見せたものの快諾してくれた。留三郎は文化祭期間中いろんな所に借り出されてしまうため、伊作は一人で文化祭を回ろうとしていたのだ。

「最後の文化祭なんだから一人で回るなんて寂しいでしょ」
「最後の文化祭だからどうしようかなって迷ったんだよ。名前が他の人と見る予定だったら誘っても悪いかなって」
「私たちの仲なのに」
「僕たちの仲だからだよ」

 そう呆れた顔をしながらも「でも、一緒に見れるの楽しみだ」と伊作は笑った。
 昨日縫ったポロシャツを着た伊作は縫い目をなぞって「縫ってあるのわからないね」と笑った。褒めてくれているのだろう。「そう?」と聞けば、ゆっくりと頷いて「名前はやっぱりすごいよ」と言った。

   ○

 開会式が終わってからはあっという間だ。
 クラスの準備がまだ終わっていないのにも関わらず、お店の前はどんどんと賑やかになっていく。クラスの出し物の宣伝をするためにやってきた生徒が殆どで、中にはスカートを履いた男子生徒や袴姿の女子生徒もいる。派手な格好をした男子生徒が看板を持ってクラスメイトと談笑をしているし、周りの模擬店から美味しそうな匂いも漂ってきた。
 賑やかでカラフルな世界はもう何度も経験したはずなのに慣れることはなかった。興奮と、少しの緊張は胸を高鳴らせる。

「名前」

 布巾で机を拭いていたら伊作に声を掛けられる。なに、と顔を上げると、伊作は腕時計を確認して「お客さんが来るよ」と緊張したような表情で言う。
 机に置いてあった時計を確認すれば、針は丁度開場の時間を指していた。


 お昼過ぎ、クラスの手伝いを終え、部活の出し物に顔を出してから移動をする。
 校舎内は多くの人で賑わっていた。駅でよく見かける赤い制服が特徴の中学生や、白い学ランを着た男の子とすれ違う。白い学ランの男の子は留三郎と顔がよく似ていた。どうしてそんな格好をしているのかと声を掛けそうになったが、その男の子は随分と訛った話し方をしていたので他人の空似なのだと気が付いた。

 昇降口の近くにある自動販売機の前を通ると、中等部の生徒が財布を握ったまま立ち尽くし「売り切れだ。なんて不運……」と肩を落としていた。保健委員会の子だろうか、伊作も中等部の頃、似たようなことやっていたのを思い出す。
 肩を落とした男子生徒に高等部の校舎近くにある自販機が補充されていたことを伝え、その場を後にする。クラスの下駄箱前に到着すると、伊作は文化祭のパンフレットを読みながら私を待っている所だった。


「お腹が減ったね、何か食べに行こう」

 午前中は慣れない接客に苦戦したけれど苦痛ではなかった。お客さんにお礼を言われたら嬉しいし、楽しそうにするクラスメイトを見ていると自然と笑顔になれた。
 時々他のクラスの友達が遊びに来てくれるのが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。委員会の顧問である土井先生や学園長先生も声を掛けてくださったし、茶化すような顔で文次郎と仙蔵が注文をしにきたし、小平太と長次はそれぞれ二人分の注文をしてぺろりと平らげた。今年は二人で飲食販売の模擬店を網羅するつもりらしく、長次のパンフレットには付箋がいくつも貼られていた。

「伊作はどこ行きたい?」
「名前は気になるの、ある?」
「うーん、小平太と長次が美味しかったって言ってたの、どこだっけ。なんかいろいろ言ってたよね」
「あー、えっとね……」


   ○


 パンフレットを見ながら名前の隣を歩いていると美味しそうな匂いが漂ってきた。
 焼きそばだろうか、ソースの匂いに思わず生唾を飲み込む。匂いに気付いたのか隣の名前も顔を上げ、僕の顔を見て笑った。


 名字名前は僕のヒーローである。
 学園長先生の突然の思い付きで「学園の七不思議」の真偽を確かめていた時から、ずっと。

 中等部一年の春、学園長先生によって集められた僕たちは、まだよく知りもしない学園内を毎日のように調べ回っていた。入学して早々、たいして知りもしない同級生と七不思議を調べろなんて言われて戸惑わないはずがない。それにメンバーの中には一人だけ女の子がいるのである。どんな距離感で接すればいいのかが全くわからなかった。
 それは向こうだって同じであっただろう。それでも毎日顔を合わせて放課後に行動すれば、少しずつ互いのことを知っていった。どんなことが得意で何が不得手なのか。好きな授業や苦手な科目。知らないことの方が山ほどあったけれど、放課後が少しずつ楽しみになっていった。

 一人だけ女の子がいる。
 そういった状況にも慣れていった頃、彼らが特別な友達になっていたと気付いた。そしてその時には七不思議も残り一つとなっていた。

 その日、最後の七不思議を皆で調べようと集まったものの、名前はちっともやってこなかった。
 名前から遅れる旨の連絡が着ていたことに気付いたのは暫く経ってからで、返事をしようとした最中に「怪我をした小学生を見つけた」という連絡が届いて皆でひどく驚いたものだ。

 学園裏にある森に辿り着いて少しすると、慎重に歩いてくる名前が見えた。彼女は知らない男の子を背負っており、これまた驚いた。
 起き上がることが出来ない男の子がいて、と説明した彼女の姿を見て、多分僕なら大人を呼ぼうとするだろうと考えた。だってそれが一番安全な選択肢だ。
 男の子を一人にさせないで、一番早く森から出る行動を取った名前。手放しには褒められないけれど、だからって間違いだったわけでもない。だからだろう。新野先生が困ったような顔をしていたのをよく覚えていた。
 イチかバチかの選択だ。戻ってくる最中に名前が怪我をしてしまったら、状況は最悪なことになる。

 けど、僕はあの時の名前が純粋にかっこいいと思った。
 制服は所々土で汚れていて、くたくたになった名前。その姿が、ヒーローのように見えたのだ。


 あの時から、僕のヒーローは名前だった。
 戦隊ヒーローの派手さはないし世界を救うヒーローでもなかったけれど、自分の出来ることをしようとした名前がかっこよかった。名前も知らない男の子を背負った名前を見て、すごいと思った。多分それは、僕だけじゃないと思う。
 名前が学園に広く知られていなくても、僕たちのヒーローはあの時からずっと名字名前という優しい女の子だった。

   ○

 昼食を食べ終え、名前が今日一番楽しみにしていた演劇部の舞台を見るために体育館へとやってきた。
 隣に座った名前が「これ、長次が脚本を書いたんでしょう?」と小声で話しかけてくる。そうみたいだね、と返せばクスクスと笑って楽しみだと名前は笑った。
 薄暗い体育館の暗幕は未だ垂れたままで、スポットライトは端にある演目タイトルを照らしている。

「これ、すごく楽しみだったの。長次が関わったのもそうだけど、友達が主役だし、二郭くんが衣装作ったって言ってたし……!!」

 舞台へ視線を向ける名前の目はきらきらと輝いている。


 一ヶ月前、名前がようやく卒業後の進路について話をした。
 秘密にしていた訳ではなく、悩んでいたのだということは皆わかっていた。
 模試の結果も少しずつ良くなっているらしい。けれどもこれで皆とバラバラだと言った彼女の頭をガシガシと撫でたのは小平太で、今生の別れじゃあるまいし、と言ったのは留三郎だった。だが、そう言った本人が少し寂しそうな顔をしていた。

 思い出として、それまでにまた七不思議でも調べてみる?

 明るい調子で名前は言った。
 そんな時間がないのはわかっていたけれど、仙蔵はいつもよりずっと優しく笑って「それもいいな」と呟いた。



『図書館には王子様に会えないシンデレラがいたんだ』

 図書館にいた長次が一冊の本を持ってそう呟いたのは、名前が進路の話をしてから数日経った頃だったか。
 本の表紙を撫でていた長次の目は優しかった。

『学園七不思議の一つだ。私がこの本を見つけて、本棚に戻した。演劇部の部室にずっとあったのを見つけたんだんだが、その縁が今になって巡ってきた。演劇部に、この本を元に話を書いてくれと頼まれたんだ――』


 ワインレッドの垂れ幕がゆっくりと上がっていくと、体育館の観衆は一気に舞台へ意識を向ける。幕が上がりきる前に弦楽部の演奏が始まり、幕が上がるとシンデレラが舞台に現れた。
 いくつもの部活が協力して作られたこの舞台を、名前はずっと前から楽しみにしていた。心優しいシンデレラが王子様と出会い、幸せになるこの物語を。

『――もう、ヒーローはお姫様になるべきなんだ』

 図書館で長次が言った言葉をふと思い出す。長次の言う「ヒーロー」が名前だということはすぐにわかったけど、それが何を表しているのかはわからなかった。

 心優しい女の子は、もしかしたらヒーローになることを望んではいなかったのかもしれない。僕たちが掛けた魔法でヒーローになっただけで、もしかしたら彼女は最初から、お姫様になりたかったのかもしれない。

 ドレスを纏ったシンデレラを見る名前の瞳は、やっぱりきらきらと輝いていた。

20171212

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