完結
 とうとう文化祭前日となった。足にあった擦り傷もかさぶたとなり、気になることもない。
 今日一日授業は無く、学園内は朝からずっと文化祭の準備で大騒ぎだ。今になって何が無い、あれはどこにあるのか、と様々な声が聞こえている。

「名前、これどう?」
「うん。いい感じ」

 結局、クラスでの出し物は模擬店で食販をすることになった。
 面白みが無いんじゃないか、なんて意見も出たが集客率は悪くないだろうという話し合いの結果だ。
 メニューや雰囲気を工夫すれば老若男女に購入してもらえるだろう。多くの人の目に触れる機会を増やしたいという点から、教室でなく屋外での販売になった。

 正門から校舎までの通りにはいくつかのテントが張られている。その一つが私たちのクラスのものだ。
 外でテントをたてたり机を運んでいるクラスメイトと共にクラスの準備を進める。テントを張って机と椅子を出すことまでは比較的皆慣れた様子で進めていくが、目立たせるための飾りだったり机や椅子の配置に悩んでいるようだ。
 私は運んできた机の上を布巾で拭きながら、美術部の友達が作っている案内板を見る。

「でも、美術部の方の準備しなくていいの?」
「美術部は午後から。明日はこっち来れないから今くらい頑張らないとね」
「そっか。写真部も午後からって言ってたなぁ。サッカー部は午後からこっちに戻ってくるみたいだから、なんとか大丈夫かなぁ」

 私も午後は委員会と部活の方を見に行かなくてはいけない。今の所問題は起きていないから大丈夫だろうけど……なんて思っていると、突然「うわぁああ」と、聞きなれた大きな叫び声が聞こえてきた。
 この声は、間違いなく伊作のものである。

   ○

「まさか前日にポロシャツ縫うことになるとは思わなかった……」
「ごめんね」

 保健室で伊作は自分の傷の手当てを、私は伊作のポロシャツを縫い合わせていた。
 お客さんが座るためのパイプ椅子を運んできた伊作は、自分が持っていた椅子に足を引っ掛けて転んでしまった。その時に着ていたポロシャツが破けてしまったのだ。
 何かを修復するのは留三郎の方が得意だが、彼は今忙しく働いているため私が引き受けた。今日の留三郎は敷地内を忙しく走り回っており、お昼休みも十分に取れないようだ。

「別に、気にしなくていいよ。伊作の不運にはこの六年で慣れっこだもん」
「はは、有り難う」

 保健室まで賑やかな声が聞こえてくる。中等部、高等部の生徒が学園の敷地内で準備をしているからだろう。
 消毒液の匂いと湿布の匂いが強くなって顔を上げると、伊作が立ち上がってゴミを捨てた所だった。ポロシャツを脱ぎ、ワイシャツ姿に戻った伊作は私の手元を覗き込む。

「終わった?」
「うーん、一応。似た色の糸を手芸部の子にもらえたから、なんとかって感じかな」

 自分から話を引き受けたものの、特別手芸が上手いわけではない。破れた所をどうにか目立たないようには出来たが、授業で家庭科を受け持っているシナ先生が「上出来よ」と言うレベルではない。
 余った糸を切ってポロシャツを上に掲げる。及第点、だろうか。

「はい。どうぞ」
「名前、有り難う」

   ○

 その後、クラスの持ち場に戻ってからは出来る限りの手伝いをし、部活の方へ顔を出した。部活の手伝いをした後は委員会である。ただ今日は、文化祭二日間の行動確認だけなので特に大変なことはないだろう。


「大変なことはない……と思ってたんだけどなぁ」

 委員会で集まる予定であった教室へと辿り着けば、久々知くんが頭を抱えていた。
 黒板の前には困り顔で謝る小松田さんである。
 この様子を見て、すぐに察した。問題が起きているのだと。


 役職についていない委員には当日の行動について確認をした後解散させた。文化祭のこの忙しい時に人数を割くべきでないと判断したためだ。

「小松田さんが飼育小屋に張り紙をした際に動物たちを逃がしてしまったみたいなんです。生物委員が今見て回っているようですが……」
「そもそも何故小松田さんが飼育小屋に?」

 生物委員の竹谷くんに確認するため連絡を取っている久々知くんの代わりに池田くんの説明を聞けば、二郭くんがげんなりした顔で呟いた。

「文化祭には沢山お客さんで来るでしょう。その人たちが生き物たちに餌をやらないよう張り紙を出すよう言われてたみたい」

 一緒に話を聞いていたらしい斉藤くんが困ったような顔をしてそう言う。二郭くんはなるほど、と小さく頷いた。

「ラミネート加工したものを金網の所に紐で結んでね、簡単に取れないようにしたらしいんだ。その時に飼育小屋の扉を開けて作業していたらしくて……」

 あぁ、と皆して頭を抱える。
 小松田さんが悪い人でないと知っているからこその反応ともいえよう。


「ヘビやトカゲ、ウサギが脱走し、ウサギは無事捕まえたようです」
「どこに逃げたかはわかっているんですか?」
「いや、でも校舎で騒ぎにはなっていないのを見るに、飼育小屋付近の草むらとか、じめじめした校舎裏に逃げた可能性が高いと竹谷は考えてるようなんだ。とりあえず――」

 竹谷くんと連絡を取り終えた久々知くんが改めて状況を確認し、指示を出す。
 伊作に教室には当分戻れない旨を伝えてすぐに教室を出る。まずは校舎裏を確認するために昇降口へと急いだ。

   ○

 生物委員会が飼育している生き物たちは脱走癖がついているのか、今までに数えきれないほど飼育小屋から脱走してきた。だが、奇跡的に学園の敷地外へ逃げたことはなく、無事生物委員がその日のうちに生き物たちを捕獲してきた。
 けど、ここ最近は生き物たちが脱走することも減っていた。留三郎が生物委員と話し合って飼育小屋をどんどん改良していったのも理由の一つなのかもしれないが、生物委員会が以前よりもずっと気を付けているという話だ。

 小松田さんにその仕事をお願いしたら脱走するに決まってるよね。
 むしろ、脱走してどうぞと言っているようなものである。学園の出入りには厳しいくせに学園の敷地内で起こった脱走には甘いなんてと思いながらも、すごく小松田さんらしいなと思わず一人で笑ってしまった。

「あれ、名字先輩」

 校舎裏をゆっくりと歩いて逃げた生き物たちを探していると、声を掛けられる。

「伊賀崎くん」

 低くて優しい声に思わずどきっと胸が跳ねる。
 顔を上げれば嬉しそうな伊賀崎くんの顔が見えて、恥ずかしさと嬉しさが込み上げてきた。

「生き物たちを探してくださっているんですよね。有り難うございます。さっき、後輩からトカゲの大山くんを見つけたと報告があったので、あとはヘビだけだと……って、先輩?」
「あぁ、ううん。そっか、良かった。あとヘビだけなんだね」

 伊賀崎くんと会うのは、雨の中助けてもらったあの時ぶりだ。助けられた時のことを思い出して恥ずかしくなるのに、目を離すことが出来なかった。伊賀崎くんに変に思われてしまっただろうか。それは、困るなぁ。

 未だ行方知らずなのはヘビのキミちゃんだけであると言う伊賀崎くんは、落ち着いた様子で「きっとここら辺にきていると思うのですが……」と辺りをきょろきょろ見る。

「先輩、ヘビ触れませんよね? 一緒に探しましょう」

 にこりと、伊賀崎くんは笑った。
 笑顔を見て、再び心臓がうるさくなる。


「……どこに行ったんだろう。そろそろ出てきてくれないかなぁ」
「そうだねぇ。敷地から出ていったら大変だもんね」

 屈みながら慎重に進んでいく。随分と長い間そんな体制でいるせいで腰が痛くなってきた。
 鳥の鳴き声や文化祭の準備をしている生徒の声で辺りは賑やかで、文化祭前のためどこかで剪定をしたのか、草の匂いが随分と強く香っている。
 生物委員からの連絡は未だないらしいし、私の方にも脱走した生き物たちを見つけたという連絡はきていない。池田くんが中等部の迷子たちを捕まえた報告はきているけど……。


 暫くの間会話もしないでヘビを探していた。
 前に落ちてくる髪を耳に掛け、一つ息を吐いた時、校舎の壁際に生えている雑草の中に潜んでいるヘビを見つけた。思わず声を上げそうになったが抑えて伊賀崎くんの名前を呼ぶ。

「ああ、良かった。ようやく見つけた」

 ヘビのいる場所を指差すと、伊賀崎くんは嬉しそうに、愛おしそうにヘビを見つめて近付いた。うっとりとした表情でヘビに触れ、慣れた様子で持ち上げる。

「有り難うございます先輩。名字先輩は生き物を見つけるのがお上手ですね」

 満面の笑みで、幸せそうな顔の伊賀崎くんはそう言って頭を下げた。
 彼が大事そうに掴んでいるヘビは、抵抗せずに私の方をじっと見ていた。

 すぐに飼育小屋に戻ると言った伊賀崎くんと別れ、私は久々知くんと竹谷くんに連絡を入れる。
 空を見上げてから、伸びをする。
 屈んで歩いていたために、ゆっくりと深呼吸をしながらストレッチをすれば気持ちが良かった。

 伊賀崎くん、嬉しそうだったな。
 けど、ヘビを見つけた時の反応が前に蛙を見つけた時とは違うように思えた。前よりも落ち着いたというか、大人になったというか……。
 ヘビへの愛は表情を見れば変わらず、といったことは十分に伝わったが。


 風が吹き、木の葉は舞った。
 ああそういえば五月に伊賀崎くんと会った時にもヘビがいたなと思い出す。
 あの時が、初対面だと思っていた。この間までそう信じていたけど、私たちはもっと前に出会っていた。驚いた、本当に。

 薄い綺麗な青い空を見上げる。息をゆっくりと吸い込み、吐き出すと胸の辺りがすっきりとした。
 口元が緩む。伊賀崎くんの役に立てたのが嬉しかった。笑ってもらえるのが嬉しかった。おかしいくらいに胸が高鳴っている。

 伊賀崎くんに助けてもらったこと。蛙を一緒に探したこと。お休みの日に偶然会って珍しい生き物を見て、花火を見て――

 ああ、私は伊賀崎くんが好きなんだ。
 いくつもの出来事を思い出し、胸に溢れた幸せな想いにやっと気が付いた。

20171101

- ナノ -