魔法使いは少女に魔法を掛けます。
あなたはとても素敵なお姫様よ。
少女に優しく微笑み、杖を振った魔法使いは最後にそう言って言葉の魔法を掛けたのでした。
○
「君はとても素敵なお姫様だよ」
にこりと笑った斉藤くんは私に鏡を差し出しながらそう言った。それが昨日の劇のセリフを真似しているのだと気付いて思わず笑ってしまう。
「じゃあ、斉藤くんは魔法使いだね」
「そう。女の子に魔法を掛けてあげることが出来るの。でもこれ、誰にも秘密だよ」
秘密、と口の前で人差し指を立てた斉藤くんは楽しそうに笑った。
「有り難う。素敵な魔法使いさん」
「どういたしまして。でも、名前ちゃんがお化粧してくるなんて思わなかったな」
「ああ、えっと、友達がね、斉藤くんに髪の毛いじってもらうなら絶対にしなくちゃダメって嬉しそうに……」
「ふふ、そうだったんだ」
いつもよりもご機嫌な調子で鼻歌まで歌いながら斉藤くんは机の上の片付けを始める。
受け取った鏡を覗き込めば、可愛くアレンジされた髪が目に入る。自分が何時間挑戦しても出来そうにないものだ。嬉しくてつい口元が緩む。
うっすら施された化粧と派手すぎないヘアアレンジは、制服のスカートとポロシャツという格好でも違和感のないものだった。
学園内をこの状態で歩き回るのんだよねと考えると少し恥ずかしい気持ちもあるけれど、可愛くしてもらえたことがそれ以上に嬉しかった。
「見回り、宜しくお願いします」
「僕の方こそ、宜しくね」
それじゃあまた後で。そう言って場所を後にして自分の教室へと戻る。
前髪を一度触ってから教室に入ると、待ってましたと言わんばかりの顔をした友人に声を掛けられたのだった。
○
斉藤くんと学園内を見回りをしている間、いろんな人に声を掛けられた。
髪似合ってるね。可愛い。そんな言葉に恥ずかしくなりつつも、嬉しかった。斉藤くんがやってくれたの、と言えば周りは納得するように頷いた。
見回りをしながらも文化祭を楽しんだ。
小松田さんがパンフレットを廊下でぶちまけたとか、中等部の一年生が倒れていたおじいさんを助けたとか、乗馬レースに山本シナ先生がゲストで出場したとか、そういった様々な情報を耳にした。
周りの生徒や先生方と挨拶を交わしながら問題が無いか確認すると、ちょっとした問題自体は起きていたようだが、対処が困るような大きな事故や事件の話は出なかった。斉藤くんと良かったねーと言いながらゆっくりと校舎内を巡っていくと、あっという間に時間が過ぎていった。
本当は中等部の、伊賀崎くんのクラスの出し物も見てみたかった。同級生といる伊賀崎くんってどんな感じなのかなーとか、可愛くしてもらえた私を見てもらえたらなーなんて、そんなことを思ってみたり。
けれどもそれを斉藤くんに言えるはずもなく、私たちは高等部の校舎周辺の見回りを主に行った。結局この二日間、伊賀崎くんと会うことは出来なかった。沢山のお客さんが学園を訪れるこの二日間、会えたらラッキー程度に思っていたから、まぁ仕方ない。
終わってほしくない時ほど、時間の流れを感じるものである。
吹奏楽部の演奏を遠くで感じながら斉藤くんと別れる。お昼にピークを迎えていたお客さんももう疎らとなっていた。
委員会に報告をしてクラスメイトのいる模擬店へと向かう途中、後ろから声を掛けられる。
「おぉ、名字名前」
「学園長先生、こんにちは」
今日はヘムヘムと一緒に学園内を見て回ったらしい学園長先生は「今年の文化祭もあっという間だったの」と、にやりと笑った。
「はい。あとは後夜祭だけですね」
「ああ。……文化祭は楽しめたか?」
「はい」
私が頷くと学園長先生はゆっくりと頷き、ヘムヘムは嬉しそうに「ヘム」と吠える。
なら良かった、と笑って学園長先生は歩いていく。ヘムヘムは尻尾を振って楽しそうに学園長先生の後を追った。
楽しかった。本当に。
最後だからだろうか。全てが楽しくて、名残惜しかった。
校舎の雰囲気や生徒の表情。見慣れたもののはずなのに、いつもとちょっと違う。
飾り付けがされ、華やかなこの廊下を来年生徒として見ることはない。昼間に比べずっと減った人の数に寂しさを感じながらゆっくりと深呼吸をした。
あっという間に過ぎた文化祭も後は後夜祭のみ。体育館で軽音部の演奏を聞いたりダンス部の踊りを見た後、グラウンドへ向かう。
「あれ、今年は最初に先輩ですね」
「ああ、竹谷くん」
グラウンドに入る前にフォークダンスのペアを作るための列が作られる。実行委員が列の形成をしながら最初のペアを作っていくのだが、まさか最初に竹谷くんとペアを組むとは思わなかった。
「あっ、先輩の髪、いつもと違う!!」
「うん。斉藤くんにやってもらったの」
「やっぱりすごいですね」
ね、と顔を見合わせていると、そろそろグラウンドに入ってくださーいという実行委員の声。既にグラウンドの真ん中にはキャンプファイヤーが焚かれていた。
「名字先輩、行きましょう」
手を差し延ばされ、はにかむ竹谷くんの手を取ってグラウンドへ足を踏み入れた。
陽気な音楽がグラウンドに流れ出すと、キャンプファイヤーを囲った円は少しずつ動き出す。
フォークダンスは同じ踊りを何度も繰り返すものだ。一度覚えてしまえば戸惑うことなく踊ることが出来る。例え前にフォークダンスを踊ったのが一年前だったとしても、音楽が掛かれば足が進み、体が動く。
薄暗いグラウンドの中、一歩、一歩前へ進む。その一歩は小さくて、ひどくまどろっこしい。けれどもその一歩は、間違いなく文化祭の終わりへと導く一歩であった。
手と手が触れ合い、異性との距離が縮むこのフォークダンスも、最初の相手が竹谷くんだったからか今回は恥ずかしさを感じなかった。
○
「先輩、委員会お疲れ様でした」
「久々知くんも、これから頑張ってね」
「はい」
「おお、名前!!」
「あっ、小平太!! ねぇ、模擬店の食べ物全部食べられたの?」
「ああ、勿論だ!!」
「あっ、長次!! 演劇部の劇、すごく良かった!!」
「……なら、良かった」
「髪は斉藤タカ丸にしてもらったのか?」
「うん。似合ってる?」
「ああ、すごく」
「仙蔵が少し悔しがってたぞ。私が化粧してやりたかったって」
「そうなの? そんなこと言ってなかったら気付かなかった」
「はは、まぁあいつは言わないわなぁ」
「おっ、次は名前か」
「私ですー。留三郎二日間お疲れさまー」
「お前もな」
「名前、お疲れ様。今日の君はきらきらしてるな」
「はは、伊作有り難う」
○
時々見知った人と踊ると恥ずかしくて、でも楽しかった。少しの間言葉を交わし、別れる。
最初竹谷くんといた地点から大分離れたなと考えていた頃、伊作と顔を合わせた。こんにちはと言いながら頭を下げ、踊る。伊作に「最初で最後だね」と、そう言おうとする前にもう終わってしまう。
「さようなら」
伊作の声は、ずいぶんと優しかった。
○
「こんにちは、名字先輩」
胸の辺りにポッと明かりが灯って幸せになるような声が聞こえた。既に空は暗く、辺りは薄暗いが確認するように顔を上げる。
「こんにちは、伊賀崎くん」
手と手が触れた後、彼を背に俯く。
どくどくと心臓はうるさい。まさかここで伊賀崎くんと踊れるとは思わなかった。半ば諦めていたため、顔は自然と緩む。
「先輩、似合っています。素敵です」
自分のすぐ後ろに伊賀崎くんがいて、耳元で優しくて甘い声が聞こえる。
有り難う。そう口に出してみたが、果たしてこの声は伊賀崎くんにちゃんと聞こえたのだろうかと心配になったほど、その声は小さかった。
一歩、足を進める。
一歩踏み入れると、伊賀崎くんとの別れが近付くことを意味していた。何か言いたくて、でも何を言えばいいのかがわからない。
髪のことを褒めてもらえたのが嬉しくて、どうしたって口元が緩む。ああ、どうしよう。触れ合った手に、後ろに感じる熱に、意識が向く。
何か言いたい。
嬉しいと、好きだと伝えたい。
「好き」
向かい合った後、さようならと頭を下げようとした時、そんな言葉が聞こえた。驚いて思わず顔を上げる。
好きだと伝えたいと思ったが、まだ私は言っていない。言いたくて仕方がなかった言葉だが、それを言ったのは私ではない。
「好きです。名字先輩」
音楽が終わるとフォークダンスの円は乱れていく。
フォークダンスが終わると、じゃあ次は最後の打ち上げ花火だと生徒はグラウンドの端へと移動しだす。実行委員は準備に向かったり、生徒の案内を始めた。
「素敵なお姫様、ぼくはあなたに、ぼくだけのお姫様になってほしいんです」
最後のペアだった伊賀崎くんと私が向かい合ったまま動かなくとも、周りの生徒は私たちのことなど気にしていなかった。
先ほどまで触れていた手が、再び私の手に触れる。指を絡め、伊賀崎くんは少し距離を縮める。
「昔、先輩はぼくのヒーローでした。でも、今度はぼくのお姫様になってほしいんです」
ね、と優しく笑った伊賀崎くんは私の手を引く。
最後の花火、一緒に見ましょう。
優しい瞳が、私をじっと見ていた。
信じられなかった。いや、彼に対する不信ではなく、驚きすぎて自分は夢を見ているんじゃないかと思ったのである。
それでも繋がれた手の熱とか、リアルすぎる視界とか、そういった様々なものが現実だと私に訴えているようだった。
移動した先でも相変わらず手は繋がれたままだった。
花火が上がると、夏休みに一緒に花火を見た時のことを思い出した。あの時より規模は小さいが、花火を間近で見ることが出来るということもあって生徒のテンションは更に増していく。
蒸し暑い中、蚊に刺されながら見たあの夏の花火のように顔を上げ、空を見上げる。一発打ち上がるごとに周りからは歓声が上がった。
あの時と同じように隣には伊賀崎くんがいる。けれどもあの時とは違って、私は彼に好きと言われ、手を繋いでいた。
「私も、伊賀崎くんのことが好きだよ」
あの時、彼を好きになるなんて思っていなかった。告白されるなんて思ってもいなかった。けれども今、私は彼が好きで、彼は私に好きだと言ってくれているのである。
自分の言葉を確かめるように、気持ちを込めて好きだと伝える。繋がれたままの指にほんの少し力を込めながら。
好きだと、絞り出して伝えた言葉は確かに伊賀崎くんに伝わったようである。
空を見上げていた瞳がこちらを見る。うっすらと頬を染めた伊賀崎くんは目を細め、優しい声で嬉しいです、と囁いたのだった。
20171212