完結
 文化祭の準備は少しずつ進んでいる。
 高等部三年は受験もあるため、出し物は比較的楽なものを選ぶ場合が多い。が、委員会の仕事が多いため、楽な出し物を選んだからといって勉強に集中出来るというわけではない。
 それでも今日は放課後の予定が何も無いため図書館に寄ることにした。今週は掃除の当番でもないからすぐに図書館に向かう。それが随分と久しいことだと気付いた。

 図書館の中に入るとすぐに本の匂いに包まれた。
 司書さんに軽く頭を下げて図書館の奥へと進んで、よく使う六人用の机の上に鞄を置き、椅子を引く。
 去年までは、一人でこの机を使うことはなかった。たいてい誰かと一緒に勉強をした。友達や仙蔵だったり、長次だったりが多かったけど、最近は皆忙しくてそんなことも減った。
 今日も一人かな、なんて思いながら鞄から参考書を取り出す。机の上にある電気スタンドのスイッチを押すと、やや時間が経ってから少しオレンジがかった光が机を照らした。



「ん……」

 集中が切れたために、少し休憩しようと机の上に突っ伏していたらいつの間にか寝てしまっていたらしい。ゆっくりと机の上から起き上がる。

 どのくらい寝たのだろう。
 ゆっくりと辺りを見渡すと、いつの間にかスタンドの電気が消えていることに気が付いた。
 長次が消したのだろうか……?
 伸びをしてから肩を回し、深呼吸をしてから髪を整える。今日はここらへんにして帰ろうかな。寝たら思っていた以上に気持ちよくなってしまった。
 問題集を閉じようと手を伸ばした所で「名字先輩」と囁くような優しい声が聞こえた。

「……あれ、伊賀崎くん」
「こんにちは」

 図書館内であるために控えめな声でそう返せば、嬉しそうな顔をした伊賀崎くんが本を大事そうに抱えて立っていた。
 高等部の校舎の近くにある図書館は中等部の生徒も使用できるが、中等部生徒が使用しているのを見かけることは少ない。やはり利用しているほとんどが高等部の生徒だからだろう。

「珍しいね」
「生き物を扱った写真集が置かれると聞いて来たんです」
「へえ、そういうのもこの図書館にあるんだ。知らなかった」
「ぼくも、最近まで利用したことなくて……」

 表紙を嬉しそうに私に見せる伊賀崎くんは「さっき、図書委員長の中在家先輩が『そろそろ名前が起きる頃だろう』って……」と少しだけ首を傾げながら言った。
 電気スタンドはやはり長次が消したらしい。伊賀崎くんの話を聞く限り、委員会の仕事をしている最中のようだ。

 伊賀崎くんは「あの」と少し視線を外しながらも一歩こちらへ近付く。考えているような表情で、何か言いたそうに視線が合ったり外れたりを繰り返す。
 しかし少しして、彼は抱えていた本をぎゅっと更に強く抱きしめた。何かを決心したようにまっすぐにこちらを見る彼の目は相変わらず綺麗だった。

「先輩、突然なんですが、名字先輩って、学園長先生からの思い付きで中等部の時に学園の七不思議を調べたんですよね?」
「えっ、なんで知ってるの!?」

 驚いて思わず声を上げてしまった。辺りを見渡したが近くに人はいなかったようだ。
 どうして彼がそんな質問をしてきたのかはわからないけれど、真剣な顔でぎゅっと本を抱きしめる彼が曖昧な返答を求めているわけではないのだろうということはよくわかった。
 伊賀崎くんに、座りなと机の上を片付けながら言えば、彼は「有り難うございます」と静かに前の席に座る。

「……あの、実はぼくも中等部に入って少しした頃、学園長先生の思い付きでやったんです。学園の七不思議がどうなったのかって」
「えっ、そうだったんだ。毎年誰かしら学園長先生の犠牲になってるんだね……」
「でも、今でも仲良い友達が出来たので良い思い出になりました。もちろん、大変だったんですけど……」
「ふふっ、そうだね。それは私も一緒」

 私が笑うと、伊賀崎くんも嬉しそうに笑う。

「調べていた時に学園長先生からノートを受け取りました。『前に調べた生徒たちのノートじゃ』って。参考にしようって皆で見た時に、数年前に七不思議を調べていた先輩たちが、自分たちが所属している委員会の先輩だって気付いたんです」

 皆のはしゃぎぶりはすごかったです。委員会だけでなく、部活でも活躍している有名な先輩方の名前があったので――
 そう言って伊賀崎くんは一度息を吐いた。何かを噛みしめるように、自分の言葉を整理するように。

「――ぼくだけ、同じ委員会所属の先輩がいませんでした。部活の先輩もです。ちょっとだけ、悲しかったです。仲間外れのような気分になりました。皆言うんですよ『俺の先輩が』って。ぼくだって先輩方のことは知ってはいましたが、関わりのある方はいらっしゃらなかったので……」

 最初は拗ねるように少し口を尖らせて、しかし次第に少し前のことを懐かしむように伊賀崎くんは優しく顔を綻ばせた。
 座る際に机の上に置いた写真集の背表紙をすっと撫で、伊賀崎くんは一度息を吐いた。気持ちを落ち着けるように目を閉じ、そしてゆっくりと開く。

「それで、名前が書かれている先輩方の中に、一人だけ知らない名前がありました。ぼくだけじゃなくて、調べている全員が、その人のことを知らなかったんです」

 伊賀崎くんは少し前のめりになってそう言った。
 じっとこちらを見る目は、相変わらず澄んでいて、とても綺麗だ。

「最後の七不思議――小学生を助けた女子生徒の名前がノートの最後に書かれていました。寄せ書きのように他の先輩方のコメントが沢山書かれていて、皆興味津々だったのでよく覚えています。『この人は誰なんだろう』って、皆が言っていました」

 本当に気になるなら調べることも出来たんですが、と伊賀崎くんは少し視線を逸らす。ちょっと恥ずかしそうな、困ったような表情をした後に再びこちらを見て「年上の、知らない異性の先輩に会いにいこうって言う勇気は無かったんです」と言った。

「それで……小学生を助けた女子生徒って、先輩……ですよね?」

 澄んだ目が、こちらをじっと見ていた。

「ああ、うん、そうだよ。でもよく覚えてたね。調べたのって伊賀崎くんが一年生の時のこと、でしょ?」

 ちょっとだけ、伊賀崎くんの言葉は推理小説に出てくる探偵のようだった。
 犯人はアナタですね――なんて言われているわけではないし、悪いことをしたとも思っていない。
 けど、驚いた。
 話の流れからしたらそうくるのはわかる。けどまさか本当に聞かれるとは思わなかった。いや、だって、どうして今になってそんな話になるのかがわからなかったからだ。

「――さすがに書かれていた名前までは覚えていませんでした。そのことを思い出したのも、最近で……。でも、ようやく繋がったというか……でも、なんであの時ぼくは気付かなかったんだろう……」

 伊賀崎くんは後半独り言のように俯きながら喋ったが、すぐに顔を上げ、ぐっと距離を縮めるように前のめりになった。

「ネタばらしをすると、学園長先生にノートを見せてくださいってお願いしたんです。名前を見て納得しました。先輩が、七不思議の最後の謎を解決したヒーローだったんですね」

 伊賀崎くんは一言一言丁寧に言葉を紡いだ。
 前のめりだった体を戻し、椅子の背もたれにもたれるように倒れ、彼はふうと息を吐く。

「ヒーローなんてそんなすごいものじゃないよ、偶然だったから」
「ぼくは、今はもう、その偶然は運命じゃないかなって思います」



 伊賀崎くんは机の上に置いていた写真集を手に取って表紙を捲る。
 鮮やかな色をした蝶が羽を休めるように花の上にとまっている写真に、彼が息を呑むのがわかった。

20170821

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