完結
 今日も今日とて太陽はギラギラと輝いている。
 夏休みまであと一週間。空は青く、セミは鳴き、近所の子供たちの楽しそうな声が聞こえる休日の昼前、伊賀崎くんに教えてもらったおすすめの紅茶を塾の夏季講習が始まる前に買いに行こうと決め、家を出る。
 少し大きな街に出るため人が多そうなのが難点だが、まあこれは仕方がない。サンダルを履いて一歩踏み出すと、太陽の眩しい光と暑さに少しだけ外出を躊躇する気持ちが生まれた。

 じりじりと肌を差すような暑さに負けずに駅のホームまで行けば、タイミング良く電車が到着した。電車に乗ればあっという間に目的地へ着く。お店は駅ビル内にあるため、もう暑さに苦しむことはない。前に垂れてきた髪を軽く耳に掛けると、既に首元に汗がにじんでいることに気付いた。


 改札を出て目的地まで辿り着けば、あとは早いかった。
 お店で目的の物を探し、レジへと持っていく。シンプルなデザインの箱と熊のイラストが描かれた紅茶缶は伊賀崎くんからのおすすめだ。名前を見ても紅茶の種類はよくわからなかったが、サンプルとして置かれた茶葉の香りはどちらもほっとするような優しいものだった。

「有り難うございます」

 店員さんから受け取った紙袋の中身を覗き見すると、紙袋の中でその二つが軽くぶつかる音がした。

 今日一日、他に予定は無い。ここまで来たのだし色々と見て回ろうと、紅茶を買ったお店と同じフロアにある雑貨屋さんに入る。
 ぐるりと店内を見て回ると、店内の最も目立つ場所に特集されている赤い蛇のキーホルダーが目に入った。キーホルダーの種類は沢山あり、舌を出しているものやらウインクをしているもの、歯を見せて笑うような表情をしているものもある。また、そのすぐ隣の棚には同じキャラクターのぬいぐるみも置かれていた。

 見たことある気がする、とキーホルダーに触れた時、そのキャラクターが以前伊賀崎くんが熱弁していたジュンコであると気が付いた。
 そっと確かめるように手を伸ばして触れたキーホルダーのジュンコは、嬉しそうに舌を出して笑っている。デフォルメされているために可愛さが誇張されており、本物の蛇が苦手な人でもこれは可愛いと思うだろう。
 伊賀崎くんが持っていたスマホケースのジュンコも可愛かったが、これも良いなぁなんて思いながら隣の棚へ移動した時、不意に人にぶつかってしまった。

「すみません」
「ごめんなさい」

 謝罪の言葉が重なる。
 ぶつかってしまった相手の様子を窺えば、申し訳なさそうな顔をした、よく見知った顔の男の子――伊賀崎くんがそこにいた。
 彼はポカンと口を開け、驚いている。「名字先輩?」と小さく呟いた彼に、私はゆっくりと頷いた。

「伊賀崎くん、買い物?」
「はい。テストが終わったので、ジュンコのぬいぐるみを……」

 照れくさそうに視線を外してから伊賀崎くんは自身の首元を触って「ジュンコのグッズが一番多いのが、ここなんです」と言った。
 棚にあった小さなジュンコのぬいぐるみを手に取った彼は、すぐに真剣な目をして品定めを始める。ぬいぐるみは中の綿の具合や目の位置が微妙に異なっているため自分の好みのジュンコを見定めているようだ。

「先輩も、買い物ですか?」
「うん。この前教えてもらった紅茶を買いに来たの」
「そうだったんですね。もう行かれたんですか?」
「うん。教えてもらったの買ったよ。この間は有り難う」
「いえ、気にしないでください」

 ようやくお気に入りのジュンコを見つけられたのか、伊賀崎くんは嬉しそうに笑って一つ、ジュンコのぬいぐるみを手にした。

「そうだ。先輩って、虫とか見るの平気ですか?」

 彼がレジに向かうのならそろそろ私も挨拶をして帰ろうかなと思っていたところ、伊賀崎くんは突然、そう尋ねてきた。質問の真意が上手く掴めずにいると、彼は面白そうにくすくすと笑う。

「このビルの上の階で催されている特別展で生き物が見れるんです。チケット一枚で二人入場できるので、もし先輩がそういうの大丈夫なら、どうかなって」

   ○

 結局、私は伊賀崎くんと一緒にその展示を見ることにした。予定が無かったのもそうだが、伊賀崎くんの眩しい笑顔を見ていたらつい了承してしまったのだ。

「危険な生き物たちがメインで、いろいろと見れるんですよ。期間の前半と後半で生き物の入れ替えがあって、前半はクラゲが注目されていました。今回は虫がメインで――」

 ジュンコのぬいぐるみを買えた嬉しさもあってか、伊賀崎くんは本当に楽しそうに私に話しかけてくれる。

「でも、本当に私が一緒に行っていいの?」
「はい。むしろ、先輩はお時間とか、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
「なら、良かったです」

 話を詳しく聞けば、どうやらチケットは友達に貰ったらしい。
 福引で当てたが、伊賀崎くんの方が好きであろう内容だからと譲ってくれたようだ。その子と一緒に行かなくていいのか尋ねたら、予定が全く合わなかったのだと伊賀崎くんは肩を落とした。

「友達は、皆部活も委員会も違うから予定が合わなくて、仕方ないから一人で行こうって思ってたので先輩に会えて良かったです」
「そうだったんだ」
「はい。作兵衛が――ああ、チケットをくれた友人なんですけど、予定が合わなくてすまねぇってずっと言ってたんで……先輩と行ったって言えばきっと良かったなって言うだろうなって」


 よく利用する駅ビルであったが、最上階に展示スペースがあるとは知らなかった。
 受付のお姉さんにチケットを渡して簡易的に作られている展示会場の中に入る。照明は暗く雰囲気は随分と怪しい。生き物たちを刺激しないようにしているのかもしれないが、危険な生き物がいるのだと考えると、その独特な雰囲気にすら少し恐怖心を抱く。
 通路を案内の通りに進んでいくと、休日なこともあってか想像していた以上に人が多かった。
 透明なガラス越しに危険な生き物がいるという、非日常の空間が作り出す空気が観客の気持ちを高めているのかもしれない。見ている人たちの目はガラスの向こう側に興味津々だ。

「すごいね」
「はい」

 伊賀崎くんは、初めて会った時のように目をきらきらとさせていた。
 人が列になって少しずつ歩いていく。キャプションと生き物たちを見比べて各々の感想を漏らしていく人が多いが、皆真面目に見ていることもあってその感想にすら「なるほど」と思わされることが多い。
 多くの人々に見られている生き物たちは、伊賀崎くんと出会った時にいた蛇たちのように私たちなんて興味もないように自由に過ごしていた。

 一度見ただけでは覚えられないくらい長い名前を持った生き物や、見るからに怪しい色をした生き物もいたが、見ていて気持ち悪いと思う生き物はいない。危険な生き物と聞いて、私は正直グロテスクな生き物が大量にいるのではないかと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。
 キャプションにはどう危険なのか、どこに生息しているのかが丁寧に記されている。こういった生き物たちに明るくない私でもつい読み込んでしまうような雑学的な説明も多く、列の進行がゆっくりなのも納得なうえ、そのスピードが気にならない展示であった。


 出口を出ると、明るい照明に少し不思議な気分になる。この明るい照明の方が普通なのに、少しの時間で随分と生き物たちの世界に入り込んでいたようだった。

「すごく面白かったし、勉強になったよ。伊賀崎くん、誘ってくれて有り難う!!」
「いいえ、先輩が楽しかったなら良かったです。作兵衛にも、改めてお礼を言わなきゃ」

 私の分のお礼も伝えてほしいと言えば、伊賀崎くんはにっこりと笑って了承してくれた。

「ぼくも、先輩と一緒に見るの楽しかったです。有り難うございます」

 目を細めて伊賀崎くんは笑う。
 珍しい生き物を見たからか、伊賀崎くんは随分とご機嫌なようだ。

「先輩、タランチュラを見た時にすごく反応してましたね」
「タランチュラはテレビとかで見たことあって知ってたから――」
「熱心に見ている先輩、とても可愛かったですよ」
「えっ!?」
「それでは、先輩のお時間をこれ以上取ってしまうのも申し訳ないので、そろそろぼくは失礼しますね。今日は本当に楽しかったです」

 今日は有り難うございます、と満足したように笑いながら伊賀崎くんは手を振って去っていった。

20170618

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