完結
 この間までの雨は嘘のように太陽がさんさんと輝いて教室を照らしている。
 夏休み前のテストが迫っているある日の昼休み、私は伊賀崎くんから呼び出されていた。

 高等部の校舎に中等部の生徒がいることは特別珍しいことではない。専ら委員会の会議は高等部の教室を利用することが多いからだ。だが、昼休みの教室に中等部の生徒がやってきて誰かを呼び出すことは珍しかった。

「すみません、名字先輩はいらっしゃいますか」

 中等部の生徒だとすぐにわかる制服を身に纏った男の子が、教室で友人たちと昼食を取っていた私のことを呼んだ。廊下近くにいたクラスメイトに声を掛けたのだろうが、少しざわめいた教室内でも彼の声はすぐにわかった。
 周りの友人が一斉に私のことを見る。すぐ近くにいたクラスメイトは「えっ、名前何か中等部で問題でも起こしたの?」と呟き気の毒そうな目を向けてくる。

「問題なんか今までに起こしたことないよ」
「今までに何もなかったから冗談で言ってるんだよ。委員会のことじゃないの?」

 教室にやってくることのなかった中等部の男の子に呼び出されて、告白じゃないの? と囃し立てるクラスメイトは誰一人いなかった。いや、囃し立てられたいわけじゃないし、私も伊賀崎くんに呼び出されてそんなことになるとは思ってもいないけど。


「この間はどうも有り難うございました。お礼が遅くなってすみません」
「ううん、気にしないで。蛙の……キミちゃんだっけ、見つけられてよかったよね」
「キミコと太郎です」
「そうだった」

 教室から移動して、人が少ないところまで行こうと廊下を歩いていると伊賀崎くんは頭を下げてそう言った。突然のことにちょっと困ってしまう。
 もしかして、この間の、雨の日に私がしたお礼もこんな感じだったのだろうか。

 気にしなくてもいいのに。
 一生懸命にお礼を言われて嫌にはならないが、申し訳なくなってしまう。
 気にしなくてもいいんだよと言いたいが、生き物を大切にしている生物委員の彼にとって、あの出来事は私が思っている以上に重大なことだったのかもしれない。

「本当は、次の日にでもお礼を言いに来るべきだったんですが、実はあの後も脱走されて……」
「ああ、知ってる。鶏が高等部の校舎に入ってきて、鉢屋くんが捕まえたって聞いたよ」
「ああ……」

 困ったような顔で額に手をやった伊賀崎くんは、私から一瞬視線を外す。けど、すぐに私の方を向いて安心したような顔をして笑ってみせた。

「あの時先輩がいてくれたから、キミコも太郎も見つけることが出来ました。焦っていた時に一緒に探してくれる先輩がいて、本当に心強かったです」
「役に立てたなら良かったよ。伊賀崎くんは雨に濡れちゃってたけど、風邪ひかなかった?」
「はい。大丈夫でした」

 良かったと言えば、彼は嬉しそうに笑う。

「先輩、これ紅茶です。夜寝る前に飲むと、ぐっすり眠れるんですよ」

 癖がない、飲みやすいのを選んだので、良かったら――
 そう言って、頬を少し染めた伊賀崎くんは私に可愛らしい袋を差し出した。
 貰っていいのだろうか。そう思ったが、以前のやり取りを思い出し、受け取らないのも失礼かな、と彼が差し出した袋に触れる。そうすると、伊賀崎くんは安心したように「良かった」と小さな声で呟いて優しく袋を渡してくれた。

「あと……その、先輩の連絡先、聞きたいです」

 心配そうな顔をしてそう言ってきた伊賀崎くんに「そのくらい別にいいよ」と了承すれば、彼は「やった!」と嬉しそうな顔をしてスマホを取り出す。

「あっ、脱走した生き物たちを探してもらうために、先輩を呼びだすことはしませんから!!」
「そんな心配してないから平気だよ」

 私がそう返せば、彼は恥ずかしそうに笑った。

「良かった。断られたらどうしようって」
「そんなこと言わないよ」
「先輩ならいいよって言ってくれると思ってました――けど、駄目って言われたらショックだなって考えてしまって」
「あー、うん。私も、先輩に聞く時に緊張してたの思い出した」
「先輩も、後輩だった時があるんですもんね」
「そうだよー。私も中学一年生だった頃があるんだよー」

 そんな風に話しながら連絡先を交換している最中、彼のスマホケースが赤い蛇のイラストがプリントされているものだと気付いた。

「さすがだね。スマホケースも生物委員らしい」
「あっ、これ気付きましたか!? この蛇、ジュンコっていって、すっごく可愛いんです。絵本とか、キーホルダーとか、ぬいぐるみもあるんですよ。ぼくがこの世で一番好きなキャラクターです!! ジュンコみたいな蛇を飼いたいのですが、未だに見つけることが出来ずにいて――」

 揺るがないなぁと思っていると、彼は嬉しそうに目をキラキラさせながらその蛇のキャラクターについて語り出した。
 ジュンコのような蛇がいたら飼って首に巻いて過ごしたいこと。最近新しいぬいぐるみが出て、どれも可愛く、欲しくて困っていること。ジュンコのグッズを販売しているお店はお客さんが女の人ばかりでちょっと入りにくいこと。
 普段よりもずっと楽しそうに話す伊賀崎くんは幸せそうだった。なんか、すごく輝いて見える。

「あっ、えっと……。すみません」
「大丈夫だよ。本当に伊賀崎くんって、蛇が好きなんだね」
「はい。……好きです」

 目を細めて綺麗に笑う伊賀崎くんは、本当に幸せそうな顔をしている。生き物の中でもやっぱり蛇が一番好きなのかもしれない。

 しばらく生物委員会が飼育している生き物の話をして彼は中等部へと帰っていった。
 教室へ戻る前に、伊賀崎くんから受け取った袋をこっそりと開けてみる。
 中に入っている箱を取り出すと、パッケージには可愛らしい猫のキャラクターが描かれていた。

 パッケージの猫も、伊賀崎くんも――

「……可愛いな」

20170512

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