完結
 梅雨に入ったらしく、今日も朝からザーザーと雨が降っている。替えの靴下を鞄に入れ、少し早く家を出る。
 風が強いから気を付けてと言われていたが、思っていた以上だ。既に靴下は濡れ、スカートも重く太ももに張り付いているし、傘の意味も既に無い。
 そんな時、強い風が吹いた。

「うわっ」

 学校まで、まだ少し歩かなくてはいけないところで傘が壊れた。
 無くしてもいいように学校ではビニール傘を使っていたのだが、だからこそ強い風で骨が壊れてしまったようだ。
 不運だ、なんて思っている間も絶えず雨に降られ、どんどんとワイシャツが濡れていく。
 予備の傘は鞄には無く、学校のロッカーに入っている。ここから一番近い商店も学校の前にあるコンビニくらいだ。本当についていない。濡れて学校へ行くしかなさそうだ。


 ドラマの撮影でもこんなに濡れるのだろうか、と思う程に全身びしょ濡れだ。まばらに人がいる通学路を小走りで学校を目指す。
 前髪が顔にぴったりとくっついているし、ローファーの中に水が入ってぐちょぐちょしているのが気持ち悪い。
 伊作でも、今日はこんな不運に合っていないんじゃないか。

「名字先輩!?」
「えっ」

 急に大きな声で名を呼ばれ、振り返る。

「先輩!」
「あっ、えっと、伊賀崎くん」

 知り合いに見られたのは恥ずかしいなと思っていると、少し離れたところから駆け寄ってきた男子生徒がいた。深い緑色の大きな傘を持ち上げ、大丈夫ですかと心配そうにこちらの顔を窺うのは、最近よく会う中等部の伊賀崎くんだった。
 伊賀崎くんはすぐに私を傘の中に入れ、私が持っていた壊れた傘を見て「風でやられたんですか?」と首を傾げる。

「あー、うん、そうなの。傘入れてくれて有り難う」
「いいえ」

 行きましょう、と彼は何でもないように笑う。
 隣を歩く伊賀崎くんは、まっすぐ前を向いて歩く。伊賀崎くんが差している傘は大きいが、それでも二人入ると小さく感じてしまう。彼が濡れてはいけないと思うのに、彼は私が濡れないように傘を上手い具合に差してくれている。もしかしたら、彼の肩や鞄は濡れているかもしれない。

「私もう濡れてるから、気にしなくていいよ。伊賀崎くん、濡れちゃうから」
「それこそ気にしないでください。濡れるの気にしてたら最初から先輩に声掛けてませんよ」

 そう言われても納得は出来ない。申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいだ。だが、彼は案外頑固な所があるのか、気にしないでくださいとしか言わなかった。

 何でもないように私を傘の中に入れてくれて、当然というように相手が濡れないように傘を差せる中学生なんて、探しても簡単には見つからないだろう。思わずきゅんとしてしまった。彼にそんなつもりはないだろうが、さらりとああいうことをされるとドキッとしてしまう。だが、それ以上に恥ずかしかった。ここ連続で彼に醜態を晒しているような気がするからだ。
 鞄は既に濡れているし、制服もびしょ濡れだ。風が吹けば体はちょっと寒さを感じる。けど、顔はほんの少しあつい。

   ○

 中等部と高等部が使う正門は同じだが、校舎が違うため昇降口は中等部と高等部とで別にある。そのため、正門に入ったところで私は彼に頭を下げ、お礼を言って急いで高等部の昇降口へと急いだ。


 走りながら昇降口へ入ると、三年の下駄箱には仙蔵がいた。
 仙蔵は肩や髪をタオルで拭きながら私を一瞥し、静かに挨拶をした。
 おはようと私が返すと、彼は疲れたような顔をして「お前は傘も差さずに登校してきたのか?」と力なく笑う。
 いつもならビシッとしている仙蔵だが、今日は不思議なことに髪が乱れ、制服も所々濡れている。

「違うよ、風で壊れちゃったの。……にしても、仙蔵珍しいね。なんか朝からヘトヘト」
「これは一年の――いや、たいしたことない。ちょっとな」

 仙蔵は大きなため息をついた後、私の壊れた傘を見て「その壊れた傘は私が処分しようか?」と言った。どうしてか尋ねると、仙蔵は「私の傘も壊れてしまったんだ。ちょっとした嵐のようなものによってな……」なんてため息をつく。

「このままにしておくのも危ないからな、職員室に行って処分方法を聞いていくつもりだったんだ。だから名前はどうするかなと。……それに、お前はびしょ濡れだから早く着替えた方がいい。今風邪を引いてもいいことなんてないからな」
「有り難う。じゃあお願いしてもいい? もし学校で処分出来ないって言われたら、持ち帰るから言ってね」
「ああ、わかった」


 傘が折れて雨に濡れた時は、随分と今日は不運だなと思った。
 でも、今はその時ほど不運だとは感じない。髪を手櫛で整え、上履きを下駄箱から取り出す。濡れてしまった靴下を脱いで急いで教室へ向かう。制服は雨で濡れて重くなっていたけれど、足取りは普段よりずっと軽かった。

20170420

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