完結
 五月の終わり――梅雨になる前に体育祭が開催される。
 体育祭が近付くにつれ、校内の雰囲気は少しずつ変わっていくのだが、高等部三年は体育祭への熱が違う。特に体育委員会の七松小平太の熱は例年以上で、ジャージ姿で校内を走り回っているのをよく見かけた。

 体育祭は各クラスを「い」「ろ」「は」に分け優勝を競う。
 色で分けるんじゃないんだぁなんて最初は思ってたけど、高等部に入る頃にはこれでないと気分が乗らないなんて思うほど。

 優勝すると、翌日、教卓に学園長先生のブロマイドが置かれ、ご褒美として全員に配られる。サイン入りで、しかも自分の名前が書かれているから反応に困る。
 学園の七不思議の一つに、学園長先生のブロマイドは学長室の戸棚に沢山仕舞ってあって、取っても取っても無くならない……というものがある。実はこれ、本当に大量に仕舞ってあるのだ。


 そんなことより、夏休み前に一番盛り上がる行事である体育祭がついにやってきた。
 同じクラスの留三郎は随分と気合を入れ鉢巻きを頭に巻いている。伊作は保健委員としてグラウンドへ行ってしまったようだし、友達も放送委員として既に仕事をしているようだった。
 そこで私は、仕度が終わった留三郎とグラウンドへ向かうことにした。

 大きなグラウンドにはテントが張られ、競技に使用する様々な物が置かれている。どうやらあれら競技道具の殆どを留三郎が所属する用具委員会が準備したらしい。
 普段座っている自分の椅子やペットボトルとタオルを持ち、辺りを見渡す。既にグラウンドは賑やかで、所々にはしゃいだ中等部の生徒を見つけた。

「名前、俺たちはあっちだぞ」
「うん。今行くよー」

   ○

 午前中に出場する種目を終え、私は委員会の仕事のために校舎に向かった。

「ああ、久々知くん。連絡入ってる?」
「名字先輩、こんにちは。連絡メモ確認しましたが今のところ問題はないです」
「良かった。今年も何もないといいね」

 私が所属する委員会は他の委員会に比べて随分と影が薄い。
 校舎は一部を除いてお昼以外は施錠しているが、多くの者がグラウンドに集結している中、学校の敷地内で何かがあったら大変だ。そこで私たちが数時間に一度敷地内を巡回し、問題がないか確認している。私たちが所属する委員会の仕事は地味なものが殆どで、他の委員会のような目立った仕事をすることはない。

「じゃあ、私が中等部で、久々知くんが高等部の見回りか」
「はい。先生方も注意してくださっているので、土井先生からは例年通り軽い巡回で大丈夫だと言われました。もし生徒がいたら一応声掛けてください。サボってるのか具合が悪いのかの確認のため」
「了解。じゃあ何かあったら連絡してね」
「わかりました。名字先輩、結構日差し強いんで熱中症に気を付けてくださいね」

 久々知くんもね、と手を振ってその場を離れる。中等部の校舎は高等部よりも小さいため、見回りはそこまで時間が掛からないだろう。
 異常はないか確認しながら歩いていると、中等部の近くにある飼育小屋の前に人影を見つけた。こんな場所で何をしているのだろう。

「すみません、委員会で巡回している者ですが、何かありましたか?」
「えっ? あっ……名字先輩、ですよね?」

 近付いて声を掛けると驚いたことにそこにいたのは伊賀崎くんだった。彼は驚いたようにきょとんとした顔をし、少し不安げな様子で私の名を呼んだ。

「うん、合ってるよ。名字です。……それで、何かあった?」
「すみません。今日はいつもりちょっと暑いので、ここにいる兎が体調崩していないか気になったんです。でも問題無いようなので、すぐ戻ります」
「そっか。サボりだと思われると面倒だから早く戻った方がいいよ。……えっと、伊賀崎くんが具合悪いとかじゃないんだよね?」
「はい。ぼくは大丈夫です」
「そっか」
「お気遣い、有り難うございます。……では、ぼくはこれで」

 最後に彼は微笑し、飼育小屋にいる兎の様子をじっくりと確認した後、私に軽く頭を下げて去っていった。

 多くの生徒が通っている学園だが、もちろん皆が皆真面目ではないし、運動が得意なわけでもない。
 私がまだ中等部の生徒だった頃には、ちょっとだけ休んでたーと笑って去っていった先輩を見かけたことがあるし、具合が悪くて壁に寄りかかっている人を見かけたこともあった。
 体育祭における私たちの委員会の仕事は一見地味だ。何もない時は本当に何もない。だけど、もしもを想像した時、大事な仕事をしているのだなと思わされる。本当に地味なことしかしてないけど……。

 だが、まさか伊賀崎くんがあそこにいるとは思わなかった。
 彼のことを知っているとはいえないだろうが、言動からいっても優等生タイプのように思える。サボりとかではなく、生物委員が世話をしている兎が気になったのだろう。
 本当に生き物が好きなんだな。例え彼が生物委員でなくたって、生き物の存在に気付けば気に掛けるのかもしれない。


 その後の巡回でも問題は見当たらなかった。
 久々知くんと落ち合う約束をした場所に戻り、見回りから帰ってくるであろう彼を待ちながら水を飲んでいると、日差しの強さに背中に汗が流れるのを感じた。
 伊賀崎くんが飼育小屋で言っていたように今日はいつもよりもちょっと暑い。

「――あっ、先輩戻ってたんですね。すみません」
「ううん。今さっき戻ったから……それで、何かあった? 私の方は中等部の生徒を一人見かけたんだけど、声掛けたらすぐにグラウンドの方に戻ったよ。なので問題は無しです」
「こちらも問題無しです。じゃあ午前中の見回りは終わりですね。午後担当の委員に連絡しておきます」

 有り難う、とお礼を言って先ほど買っておいたスポーツドリンクを差し出せば、久々知くんは珍しく驚いたような顔をした。

「午後、リレー出るって聞いたから。これ飲んで頑張って」
「ん? 先輩は組ですよね。うわー、リレー出るって伝わってました? 今年は結構頑張ってたんだけどなぁ……。というか、組違うの知ってますよね?」
「うん。久々知くんは、い組だよね。委員会の後輩を応援するくらいいいでしょ。それに今年は小平太の熱がすごくてさ、ろ組が圧倒的すぎるから」
「それなら同じクラスの食満先輩とか煽ればいいんじゃないですか? アンカーは食満先輩でしょう?」
「もう二週間前くらいから留三郎は文次郎と小平太と張り合ってるよ」

 そう言ってもう一度持っているペットボトルを彼へ差し出すと、困ったような顔をしながら「有り難うございます」と言って受け取った。
 今日、委員長が不在のため副委員長の久々知くんが代理として委員会の仕事をまとめあげている。そのスポーツドリンクは、委員長が不在ながらも頑張ってくれている彼へのお礼でもあった。
 彼は元々落ち着いて何事も出来る後輩だった。まぁ、豆腐が絡むとちょっと周りが見えなくなることがあるのだが、委員会の仕事において彼はとても優秀で、非常によく仕事をしてくれている。優秀な後輩がいるというのはとても有り難いことだ。

「じゃあ、私は戻るね」
「はい。午後のプログラム、頑張ってください」
「久々知くんもね!!」

   ○

 体育祭は無事、幕を閉じた。
 午前中はろ組の圧勝であったが、午後のプログラムでい組とは組が負けじと追い上げていった。

 やはり今日一番盛り上がったのは学年対抗リレーだった。
 学年対抗リレーに参加する選手は、当日走るまで他の組の生徒に知られないようにしなければならない。
 体育祭を盛り上げるためにと学園長先生が思いついた案らしいが、これが思っていた以上に盛り上がったため、それ以降恒例となった。

 練習は他の組に知られないように密かに行われる。同じ組の生徒ですら当日まで走者の順番は知らされない。
 時々この学校の人たちは忍者か何かなのだろうかと勘ぐってしまうほど、他の組の情報を探るための暗躍を見ることがある。リレーは毎年観客を沸かせる種目なのだが、学年問わずこの種目にかける熱量は並々ではない。


 は組の第一走者は伊作の後輩である猪名寺乱太郎くんだった。彼の活躍にグラウンドが一気に盛り上がり、応援に熱が入った。
 リレーは第一走者がスタートしてアンカーがゴールするまで気が抜けないが、久々知くんが走っている時は思わず違う組であったのに応援してしまった。委員会贔屓は仕方がないと言い訳したが、伊作は少し苦笑いをしていた。でも、同じ立場なら伊作だって委員会の子を応援しただろうに、と思う。

 どんなに様々な作戦を練ったってアンカーが最上級生なのはいつの体育祭でも変わることはなく、い組は文次郎、ろ組は小平太、は組は留三郎がゴールまで走りきった。
 結果、このリレーを制したろ組が体育祭の優勝を制したのだが、閉会式で各組の点数が発表された後、留三郎は暗い顔で肩を落としていた。

「……でも、学園長のブロマイドはいらないでしょ」
「それは……!! いや、でもやっぱり優勝したいだろ、最後なんだから」

 朝はしっかりと留三郎の額に巻き付けられていた鉢巻きは汗で湿り、既に役割を果たしたとでもいうように力なく首に下げられている。ため息をつく留三郎は随分しょげていた。

「……お疲れ様。楽しい体育祭だったよ」
「あぁ」

 少し無理をしたような彼の笑い方にもう何も言えなくなる。
 多分これはい組のアンカーであった文次郎も同じなのだろう。仙蔵がため息をついて文次郎を見ている様子が簡単に想像つく。
 今回アンカーを務めた三人は互いを高め合うためによく競い合っている。
 熱が入れば入るほど終わった時の反応が著しい。そして私の知らない間にいつの間にか元気を取り戻していたりする。今日もきっと、いつものように帰る時間には三人でふざけ合いながら帰ってくるのだろう。

 最後の体育祭を優勝で締めくくりたかったんだろうな、と思いながら友達と一緒に教室へ戻る。
 留三郎の「最後なんだから」という言葉を心のうちで繰り返す。
 最後だった。確かに最後だったのだ。でも、私はまるで次もあるような心地でいる。高校を留年する気はないし、来年は卒業するのに。
 友達と残念だったねーと話しながらも、どこか不思議な気持ちを持ったまま椅子の泥を落として校舎へと入った。

20170403

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