完結
「伊賀崎孫兵くんって、知ってる?」
「伊賀崎? そりゃあ、あれだろ、生物委員の毒ムシ野郎だろう」


 昨日、あれから少し伊賀崎くんと話してから帰った。帰ろうと立ち上がってスカートを軽く叩けば、彼は「大丈夫ですよ、汚れてません」と微笑んだあと、すぐに彼の視線は蛇へと移った。揺るぎない蛇への関心である。

「それじゃあ、またね」
「はい。さようなら名字先輩」


 帰宅途中、妙にひっかかるなと思ったことがあった。名前を尋ねた時の彼の反応だ。
 彼はまるで、自分のことを知っているのだと思っていた、とでもいうような顔をして驚いていた。あれはどういう意味だったのだろう。

 誰かに彼のことを聞けばわかるだろうかと考え、私は同じクラスの食満留三郎に声を掛けた。留三郎は朝のHRも始まってもいないのに早弁をしていた。朝練後でお腹が空いているのだろう。


「毒ムシ野郎、聞いたことがあるような……」
「俺たちが高校に入学してすぐだったか。四月に委員会説明があるだろ、あん時、生物委員会に『毒虫は飼育出来ますか』って質問したんだ。一年全員がいる中でその質問したからすぐ噂になったんだよ。……まぁ、普通に考えて無理だよなぁ」
「確かに毒を持った生物を飼うことは出来ないけど、生物委員として真面目に頑張ってるみたいだよ。元々生き物が好きなんじゃないかなぁ。顔立ちがいいから兎とか撫でてる姿にきゅんとするらしくてね、今年は女子も真面目に活動してるみたい」
「その女子って本当に真面目に活動してるの?」
「うーん、どうだろう」

 留三郎の隣の席の善法寺伊作もおにぎりを食べながら会話に参加してきた。そういえば、彼らを慕っている子の中には伊賀崎くんと同じ歳の子がいるんだっけ。

「しかしあれだな、あそこの生き物は何度脱走すれば満足するんだろうな。今年度に入ってすぐに脱走してたぞ」
「うちの学校っていろんな生き物飼ってるもんね。毎度飼育小屋直してる留三郎は偉いよー」
「……名前、棒読みだな」

 留三郎は笑っていた私を軽くにらんでお弁当箱の蓋を閉める。手を合わせて食後の挨拶をし、ペットボトルのお茶を飲んでから、ちらりと私を見て「で?」と片方の眉をくいっと上げた。

「ん?」
「だから、なんで突然伊賀崎のことを聞いてきたんだよ」
「あー……。昨日ね、掃除でゴミ捨てに行った時に蛇を見ている伊賀崎くんを見つけたの。で、声を掛けて話したから」
「へぇ、数馬に伊賀崎は蛇が好きだって聞いたことがあったけど本当だったんだ」

 伊作はおにぎりのラップを丁寧にたたんで驚いた顔をする。
 今日も登校中に何か不運があったのか、体育の授業がないのにジャージに着替えていた。

 だが、留三郎と伊作の話を聞いて伊賀崎くんの態度に納得出来た。
 毒ムシ野郎と噂されているのが誰だかは知らなかったが、中等部に毒虫を飼いたいと願い出た男の子がいたという噂は覚えていた。伊賀崎くん自身も、その話が高等部まで知れ渡っていることは知っていたのだろう。だから、私が伊賀崎くんの名前を知らなかったことに驚いたのかもしれない。

「『毒ムシ野郎』ねぇ……。伊作は『不運委員長』って呼ばれてるし、留三郎は『九年目のプリンス』って呼ばれてるし……私も知らない間に別名とかあるんだろうか」
「名前のは、聞いたことないな。にしても、俺の本当に謎だよな。学園長先生が教室に突然やってきたと思ったら、そんな風に言ってさ。『そういう顔をしておる』って言われたけど、プリンスって柄じゃねえだろ」
「ふふっ、次の日には高等部中に知れ渡ってたね」
「文次郎とかに笑われてたよね。……でも、学園長先生が言うように、その『九年目のプリンス』って、言われてるの妙に納得できるんだよねぇ。本当によくわからないんだけど」
「わかる。最初は驚いたけど、次第に確かに〜って、思ってくるんだよね」

 伊作と顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
 留三郎はため息をついて「なんだそりゃ」と苦笑する。

「名前は、あだ名みたいなものが欲しいの?」
「柄じゃないモノ付けられるより、無い方がいいと思うけどな」

 伊作が首を傾げてそう尋ねると、留三郎は言葉を返した。
 留三郎は柄じゃないなんて言うが、私はそこまで言う程、柄じゃないとは思っていない。プリンス、だなんて確かに高校生の男の子にとっては恥ずかしいか、と納得する気持ちもあるけど。

「何かそういうのが欲しいとかじゃなくて、気になっただけだよ」

 そう言えば、伊作と留三郎は顔を見合わせて少しだけ首を傾げた。

「まぁ、今になって呼び方変えるのも変だしな」

 留三郎はそう言って笑った。お兄さんぶったような笑い方に少しいらっとしたが、予鈴が鳴ってしまったため、急いでロッカーへと向かった。
 特別なあだ名とか、別称とか、別にそういうものが欲しいわけじゃあない。ただ、周りと比べたらちょっと私地味なのかもしれないな、なんて。

20170325

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