完結
 ゴールデンウィークも過ぎ、過ごしやすい季節となった。
 授業が終わり、掃除当番でゴミ捨て場までゴミを持って行っている最中、私は心地よい風が吹いているのに気分をよくし、のんびり遠回りをすることにした。ゴミ捨てが済めば終わりにしていいと言われていたから、ちょっと散歩でもしてみようと思ったのだ。



 私が通うのは中高一貫校だ。今年の春に高校三年生になり、受験生となった。まだあまり実感はない。
 もっとしっかりしなさいと親に言われたのはつい最近のこと。わかっているけれど、卒業までの道のりは長くて、永遠に高校生でいられるような気でいてしまう。そういうのはあまり良いことじゃないのかもしれないけれど、こればかりはしょうがない。
 
 少し重いゴミ袋を持ち直し、ゴミ捨て場に向かう。
 中等部と高等部は校舎が別だが、いくつかの共同で使用しているものもある。これから向かうゴミ捨て場もそうだ。

 グラウンドは無駄に広く、これも中高関係なく使っている。
 その広いグラウンドを活用し、合同で行うのが体育祭だ。中高合同となると一人当たりが出場する種目の数は少なくなるが、体育委員会が毎年盛り上げて学園が賑やかになる行事の一つだ。
 文化祭も合同だ。生徒や周辺地域の人たちからも人気なイベントである。
 後夜祭のラストはグラウンドでフォークダンスを踊る。暗くなったグラウンドで踊るフォークダンスはちょっと乙なものだ。生徒数の割合としては男子の方が多いから、男子が女子の列に入らなければならない場合もあって、男子が微妙な顔をして踊っている時もあるけど、そういうのも含めて楽しんでいる気がする。

 今年のイベント行事は高校最後なのだと思うとやはり寂しくなる。
 そんなことを考えていた時、すごい音をたてて強い風が吹いた。まだ青々とした銀杏の葉が音をたて、砂が巻きあがり足に当たって痛く、思わず足が跳ねる。
 突風に驚き、風がおさまるのを待ってから目を開けば、あちこちに小枝や葉が落ちていた。
 ぼさぼさになってしまったであろう髪を整える。驚いたせいか、心臓がバクバクと音をたてていた。


 ゴミ捨て場に着き、持っていたゴミ袋を端に置く。手をパンパンと叩き、さあ帰ろうと思っていた時、視界の端に何かが動いた気がした。
 どうしてか、その方向が気になって視線を向ける。そうすると、一人の男の子が体育座りをして一点をじっと見ていることに気付く。
 時々吹く生暖かい風が彼の髪をゆらし、そして彼が見ている視線の先にも何かが動いている。

「ぎゃっ!」

 何を見ているのだろう、と少しだけ近付いてみれば、そこには蛇が二匹絡み合って動いていた。思わず悲鳴を上げててしまい、慌てて口元に手をやる。
 おもちゃではない。動いている。男の子のすぐ近くで絡み合っているあの蛇は、紛れもなく本物だ。

「へ、蛇が喧嘩してるの?」
「いえ、交尾です」

 思わず出た言葉にすかさず男の子の声が被さってきた。言わずもがな、目の前で私に背を向けているこの男の子だ。

「こ、交尾……」

 学園のすぐ近くに森があるせいか、敷地内にはよく野生動物が現れる。この蛇も、もしかしたらそうなのかもしれない。

「君は、どうして蛇の交尾を見ているの?」
「どうして? そんなの、興味があるからですよ」

 彼はちらりと私の方を見る。視線を動かして私の姿を確認した後、再び視線を蛇へと向ける。彼の視線が蛇へと向かったのをいいことに彼をじっくりと見れば、蛇を見ている表情は随分とうっとりしたようなものに思えた。

 最近、爬虫類はペットとしても人気らしい。
 犬や猫と同じように蛇やトカゲを可愛がっている人は多いようだ。別に、特別おかしいとは思わない。だが汚れるのも構わないとでもいうようにコンクリートに体育座りをして蛇の交尾を見ている男の子はいかがなものか。

 中等部と高等部は制服が異なる。校内では原則学年色の入った上履きを履くため、すぐに蛇を見ている男の子が中等部の三年生であることが確認できた。
 高等部には日々様々な噂が流れるほど変わった人たちが多いが、中等部も似たようなものかもしれない。毎日のようにいろんなことが高等部には起こっているが、それは今に始まったことではないのだから。

「もしかして君は、その、人より蛇の方が好きなの?」
「は? いや、確かに蛇は好きですけど、人間もちゃんと好きですよ」

 何を言っているんだとでも思っているのだろうか。こちらを向いた彼の顔は引きつっている。
 
「蛇の交尾を見てるなんて変なヤツだ――なんて思いました?」
「え?」
「……驚いた顔、してましたから」

 彼の視線は変わらずに二匹の蛇の方を向いていた。
 白い肌が腕まくりをしたワイシャツからすっと伸びている。筋肉質とはいえないけど、ガリガリというわけでもなく、腕はほどよい太さをしている。
 歳を考えたら珍しく、左手にシンプルな腕時計をしていた。整った顔をしていて、ワイシャツもしっかりとアイロンがけをしてあるのがわかる。だが、スラックスだけは土で汚れている。帰ってから親に怒られないのかな。

 でも、と思う。なんだか蛇を見ている彼は楽しそうだ、と。
 制服が汚れるのも構わずに、地面に座ることなんてもうずっとしていない。
 未だにうねうねと絡み合っている蛇を見ている彼の隣に静かに座ると、彼は少し驚いたような顔をした後、小さく笑った。

「スカート、汚れますよ」
「君は制服汚れても座ってるじゃん」
「先輩は女性でしょ、そういうの、気にするものじゃないんですか?」
「いつもはね、でも今日は特別」
「どうしてですか?」
「そういう気分になったの」

 私がそう言えば、彼はやっぱり変な顔をして「先輩って変わってますね」と言った。

「自分のことはよくわからないけど、この学校の人たちって皆変わってる人多いでしょ。それに、君も変わってるよ」
「よく言われます」

 ふっと、綺麗に彼は笑った。笑った顔を見ると、案外優しい印象を受けた。
 中等部とはいえ男の子だなと思ったのは、隣に座ると自分との体格、足の長さの違いがはっきりとわかったからだった。一見、肌が白くて線が細いように思えたが、そうではないようだ。
 この子もあと三年も経てば友人たちのようにがっしりとした体躯になるのだろうか。……うーん、想像できない。

「先輩は蛇、怖くないですか?」
「こっちなんて全く気にしてなさそうだし、今は大丈夫かな」
「そうですね、ぼくのことなんてお構いなしって感じだ」

 まぁ、そうだろうなと思わずにはいられない。蛇たちにとって、今はそれどころではないだろう。

「君、名前はなんて言うの?」
「伊賀崎孫兵です。……でも、ぼくのこと知ってるかと思いました。ぼくも、先輩のお名前を伺っても宜しいですか?」
「名字名前です。……あの、私たちは初対面だよね?」
「そうですよ」

 肩をすくめて彼は笑った。おかしそうにクスクス笑った後、視線は再び蛇へと戻る。
 熱心に蛇を見る伊賀崎くんの目は、オモチャを見つめる子供のような純粋さを持ったキラキラとした輝きを宿していた。

20170325

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