忘るなよ別れ路におふるくずの葉の秋風吹かばかへりこむ




 一歩踏み締めるたびに、カサっと寂しい音がする。乾いたその音が辺り一面に響き渡って、ぴゅうと悲しく泣きながら吹いた風に攫われていった。

「秋が終わるね」

 紅葉も盛りを終えて、少しずつ華麗に色付いたその葉を散らしていく。もみじの絨毯で彩られたそこは見た目こそ華やかだが、踏み潰したそこから土の色で汚れ物寂しい音を立てる。役目を終えハラハラと舞い落ちる様は美しい。真っ赤な世界から少し目線をずらせば、同じ景色を見上げながら「今年の秋は長かったな」としみじみ呟く銀色が視界に入る。

 ぽっかりと真上に浮かぶ月は、この季節の初めに見上げたそれと何も変わらなかった。欠けることなく大きく己の存在を主張する満月はいつだって力強く、それでいてどこか危うさを感じさせる。

「月はいつ見ても変わらなくて安心するよ」
「世々の形見ってやつやな」

 月ははるか昔から今に受け継がれた形見のようなもの。いつだってこれを見上げれば昔のことが偲ばれる。この世の中は、俺が生きているたった数十年の間だけでも大きく変わってきた。二百年も間があれば、全く同じ世界を見ることなんて出来ないかもしれないけれど、この紅に染まった紅葉の間から見上げたこの月は、彼女が見ていたものと変わらないはずだ。そして、この先もずっと。

「・・・・・・ねぇ」
「なんや」
「気づいてるんでしょ」
「何に」
「・・・・・・」
「俺が何言っても聞かんやろお前は。自分で決めてたんなら、もう俺からは何も言えん」

 静かにこちらへと向けられたその目はいつもと変わらない。しっかりと前を見据え、そして奥深くまで真っ直ぐと意思が灯っている。俺たちの間にひらひらと一枚の葉が舞った。そっと掬ってみようとしたけど、手を伸ばしたことで起きたその僅かな風で、ヒュルリと綺麗に指の間を抜け落ちていく。

 夜半の独特な匂いを纏う晩秋の風が俺たちを包む。ジッと俺から外れることなく刺さり続ける視線から逃れるように、もう一度辺りを見まわした。色とりどりの葉が視界を泳いで、表面の熱を吸い取るように冷たい風が肌を撫でる。

「忘るなよ 別れ路におふる 葛の葉の 秋風吹かば 今かへりこむ」・・・別れ道に生える葛の葉が秋風が吹けば裏返るように、秋になったら帰って来よう。
「・・・またそんなもん詠んで」

 彼女のおかげで俺の中のいろんなものが変わった。なんとなく生きてたこの世の景色の本当の綺麗さにちょっと気づけたとか、そういうことだけじゃない。周りの人の存在の重みとか、親友と呼べるやつができたとか、どんなことになっても見捨てず誰が一番自分のことを見てくれていたかに気が付けたりとか。

「俺はね、あんたにももう一回会いたいって思ってるんだ」
「そんな最期の言葉みたいな事言うなや」
「最後なんかじゃないよ」
「そんな言葉残されたら秋が苦手になってまう」
「実りの季節だから一番好きだって前に言ってたじゃん」

 はは、と笑いかけてみたけど笑い返してはくれなかった。一人分の乾いた笑い声が広い空間に不自然に目立つ。

「諦めんのか」
「そんなわけない。種しあれば、俺はこれを本気で信じてるんだ」
「いくなよ」
「いかないよどこにも。俺はずっとここにいる」

 これから先の未来のことなんて何もわからない。記録によれば、この数百年で良いことも悪いこともいっぱいあったという。歴史なんてすぐに変わる。生活の仕様だってすぐに変わる。時代に合わせて廃れるものもあれば、もっと便利なものも開発されていく。きっともうすぐまた時代が大きく動く。どんな時代でどんな風に巡り会えるかなんてわからない。けれど、数百年前の人達、二百年前に生きた彼女が、今の俺たちと同じように、恋や愛、人生の喜びや虚しさを歌にしたように、時代や景色や生活や物がどれだけ変わろうと、人の在り方や感情はきっと大きくは変わらないだろう。

「この時代も気に入ってるけどさ、立場なんて関係なくどんな人だって好きなものを着て良いだとか、知りたい情報が一瞬で得られたりとか、たくさん歩いてヘトヘトにならなくても遠くにいる会いたい人に気軽に会いに行けたりとか、誰かに伝えたいと思う面白いこととか残したい風景を、言葉だけじゃなくて目で見たそのままを保存できる、次はそんな時代がいいな」
「とんだ贅沢者やな」
「そんなこと出来るようになるなんて考えられないけどさ」
「お前が彼女といつか未来で巡りあうなんて奇跡が本当に起こるとしたら、その夢物語でしかない便利な世の中になってる可能性も十分あるな」
「じゃあ、俺は絶対彼女に会いに行くから、その超便利な世界もきっと実現しちゃうな」

 ハハハと今度は二人分の笑い声が響いた。笑いながら、その声が少し震えた。今までありがとなと耳に届いた小さな声は俺よりも震えていて、なんでもないようにしながらこちらこそなんて短い返事をする。

 俺はここであんたと過ごせて良かった。歌はもう良いと言っていた俺に無理矢理とんでもない話を持ってきて、そして俺と彼女を巡り合わせるきっかけを作り出した。俺のことを振り回しながら、最後まで俺に振り回されて。家族でも何でもないのに、この人が誰よりも親身で、俺が何を言っても笑いも否定もしなかった。

 強い風が吹いた。今までのそれとは少し匂いが違う。サァっと駆け抜けていくようなものではなく、そこに留まり渦を巻くような。それでも竜巻とは違う。なんとも奇妙な風だ。

 辺り一面の落ち葉が舞い上がって視界を真っ赤に覆う。激しいその渦の中で、目を細めた男が顔を歪め苦しそうな表情をしながらこっちを見ていた。月明かりに照らされた銀色はやはりとても綺麗だ。暗闇の中に入り乱れるたくさんの色の中でもその煌めきは一際目立つ。

 何も言わずに背を向けた。この強風の中にいるのに何も苦ではなかった。不思議と体も軽い。渦巻いた葉たちが誘導するように一本の道を作る。人一人がやっと通れるようなその空間に足を踏み出すごとに、その風はどんどんと強くなる。こんな状況なら他の何も聞こえないくらいに激しい風の音がしたっていいはずなのに、不快な程に静かだった。

 男が必死に俺の名前を呼ぶ。何度も。いつも落ち着いていて、取り乱した姿なんて見せないこの人の大きく感情的な声は新鮮だった。ここに来てまた知らない一面を知るなんてね。フッと口角をあげる。体を半分だけもう一度そちらへ向けた。

 ばっちりと目があった。お互いに動きを止める。顔の前に腕を掲げ風の中で苦しげに佇む男と、何事もないように涼しげな表情の俺。対照的な俺たちの間に揺れる紅葉たちは、この光景を忘れさせないとでも言うように、強く舞い踊り記憶の奥底にまで乱入しようとする。

 冷静さを取り戻した男は、最後に一つの歌を口に出した。それはしっかりと音になって俺の鼓膜を揺らす。俺も良く知っている有名な歌だった。別れてもまたいつかもう一度。再開を願うのに相応しいものだった。

「また会おうね、北さん」

 心の底からそう思える。嘘偽りのない言葉だった。男は一瞬下唇を噛んで、そして曇りのない表情をこちらに向ける。

 何もかもを見透かすようなその圧の強い目も、反論のしようもない痛いくらいの正論も、隣にいると自分のダメなところを自覚させられてしまうような真面目な生き方も、いつだって真っ直ぐに伸びている背中も、俺は正直苦手だった。でも、時々見せる何もかもを包み込むような慈愛に満ちたその微笑みは、好きだったな。

 いつだって透き通っていて、一年中心地の良い冷たさを保ち、静かなせせらぎが心を癒す。この人はそんな川のような人だった。

 風が紅葉を攫う。暗闇が姿を包む。雲の切れ間に揺れる月が導く。秋は、どこかもの哀しい。

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