かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじなゆる思ひを




「角名ー! 元気だったか? 久しぶりやな!」
「銀! 来てくれたんだ」

 あの男が突然やって来ることにはもう慣れてしまったし、いつも特別に迎えになんて行かない。けれど、今日はもう一人連れてきたでと楽しそうに言うから、また引きこもりを無理やり人に会わせるのかよと思いながら庭先へと出てきた。うわ、寒っ。紅葉の葉ももうほとんど散ってしまった。冬の始まりの空気の冷たさに身体を震わせながら、のろのろと玄関へと顔を出せばそこには約一年ぶりに見る男の姿が。

「前は俺んとこ来てくれたからな。今度は俺が来た」
「わざわざありがとう。何もないけどあがってよ」
「俺の時とは偉い対応違うな」
「あんたは来すぎ。週一とかで会ってるじゃん」

 外は寒いからとそそくさと中へ入ると、お前は暑いのも苦手なんに寒いのも苦手なんて生き辛いなぁと面白そうに男が笑う。ホントだよ、笑えないからね結構。だなんて思いながら、「ごめん今こんなのしかなくて」と茶菓子を差し出せば「気使わんでええよ、ありがとう」とまた太陽みたいな顔で笑った。

「ええところやぁ、俺もここ住みたいなぁ」
「大和も綺麗だったじゃん」
「そうやけど。それとはまた違う良さがあるな、ここには」

 気持ちよさそうに目を閉じた銀は、良え空気やと大きく息を吸って、ゆっくりと堪能するように静かにフーッとそれを吐き出す。

「あの人が最後に選んだ場所だよ、良い所に決まってる」
「あの人って・・・あの人か!」

 バシバシと背中を叩いてくる手に「痛いよ」と返すけれど実際は全然そうではない。銀は他の人の何倍も良い反応をくれるから、ついついこっちが照れ臭くなってしまう。

「銀の前やと偉い素直やな」
「良いやつだからね」
「俺の前でもそのくらい可愛え反応してくれると嬉しいんやけど」
「何言ってんの? 冗談きついよ」
「可愛くないなぁ」

 相変わらずの俺たちのやりとりを聞いて、「変わっとらんくて安心したわー」と穏やかな声を出す銀は、「まだあの歌詠み続けとんの?」とキラキラと輝いた目をこちらに向けた。

「詠むためにここに来たんやもんな」
「・・・ちょっと、なんであんたが答えるのさ」
「ええやん別に」
「俺はお前のその気持ちむっちゃ応援しとるからな。熱いやつ大好きや」
「・・・ありがとう。なんか本当に照れるな」
「ははっ」

 そんなに好きになれる人が居るってええなぁ、としみじみと言う銀に、「居ないけどね」と真面目に返せば、「ええ、せやった! すまん言葉の綾で! 嫌味とかやなくて!」と慌てふためいた様子で謝ってくる。嘘だよ、ごめんと笑って返しても、ほんまごめんと謝り続けるから、こっちこそ申し訳なくなってしまった。

「でもほんまに俺もそんな気持ち抱いてみたいわ」
「銀とか超熱そう。俺なんかより何倍もすごいと思う」
「そうか?」
「それこそ藤原実方朝臣ふじわらのさねかたあそんみたいな」
「あぁ、かくとだに?」
「そうそう。ぴったりじゃん」

かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを

 こんなに愛していると伝えることができずにいるのですから、あなたは知らないのでしょう。伊吹山のさしも草のように燃え上がる私のこの想いを。

 ははっと笑った銀はやっぱり楽しそうだ。眩しいくらいにキラキラと輝くその表情は、見ているこちらの心までも明るく照らす。友達、とか、あんまり意識したことないけど、銀とは離れてしまってもまた会えたら良いな。なんて、やっぱり柄にもなくそんなことを考えてしまって、ちょっぴり照れ臭くなった。


◆◆◆◆◆◆



 全試合が終わって、シーズン中よりはだいぶ楽になった春。五月の地味な暑さがジワジワと襲いかかる。オフシーズンの今はバレーはそこまで忙しくはない。仕事はもちろんいつも通りあるけれど、同じように休みもしっかりとある。

「いらっしゃい〜」
「おう、やっと来た」
「わざわざ休みの日にすまんなぁ」
「いいよ、俺も今はだいぶ暇だしね」

 通い慣れた道を歩いて、見慣れた店に入る。この四人だけで集まるのはいつぶりだろうか。

「大人になってもお前らといるとか変な感じやなぁ」
「出てってもええんやで」
「なんでそう言うこと言うんや」
「相変わらず双子が揃うとうるさくて安心するね」

 まるで学生時代に戻ったみたいに、こいつらといるとくだらなくて馬鹿な話しかしない。それぞれ関西への遠征の合間とか、試合の時とかに定期的に会ってはいて、一人一人とは別に久しぶりってわけではない。けれどやっぱりこうして四人で集まると懐かしいという気持ちが湧いてくる。

「角名は明日休み? 今日はこっち泊まるんか?」
「カレンダー通りずっと休みだよ。ホテルは駅前のあそこ」
「んじゃ明日どっか行こうや」
「いいけど、どこ行くの?」

 それは今から決める! とまるで学生の時みたいなこと言ってるななんて思っていると、同じことを考えたのか、銀が「そういや突然次の日が休みになった時もみんなでどっか行ったな」と懐かしそうに笑った。

「あったあった、奈良行ったな」
「角名が鹿に襲われてたやつやん」
「今でもあん時の写真と動画残ってるわ」

 当時の写真をスマホのアルバムから探し出してゲラゲラと笑っている三人に、「何でそんなの残ってるんだよ」と返せば、「あれは忘れられんやろ」なんて手を叩かれる。酷いなぁと眉を寄せれば「懐かしいからまた行こうや」と侑が言い出して、「なかなか行かないもんな」「おもろくてええんちゃう」なんて後に続いた二人の発言のせいでまたも多数決で負け、「何でまた同じところに」という俺の言葉はスルーされた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「鹿やー!!
「なぁなぁ早く鹿煎餅買いに行こ」
「小学生かお前ら、少し落ち着け」
「このやりとり前もしてなかった?」

 相変わらずの双子のはしゃぎっぷりと、相変わらずの鹿の多さ。何回来てもこれにはびっくりする。前に来た時には立ち寄らなかったところに行こうと電車の中で話した目的地を目指してぐんぐんと歩き出す双子に、「置いてくなよ」と声をかけながら銀と二人で後ろを追いかけた。

「元気やなー」
「いつになったら落ち着くのあの二人は」
「最近は結構落ち着いてきたと思ったのになぁ」

 楽しそうに笑う銀も前とは変わらない。とっくに桜は散って、新緑が青々と生い茂るこの時期。前に来た時は秋だったから、同じ場所なはずなのに見え方がかなり違う。キョロキョロと物珍しく当たりを見回しながら歩く俺を見て、何が面白いのかまた銀は「この角名見るのもなつかし」とケラケラと笑っている。

「何回来ても初めて来たみたいな顔しよる」
「何回もって、まだ二回目だよ」
「あれ? せやっけ。三回目やと思っとったわ」
「何言ってんの、高校の時一回来ただけじゃん」

 いろんな場所を見て回って、新しく出来た店をきちんとチェックしてきた治に案内されその店へと行く。この年でしっかり旅行・・・というほどの距離ではないかもしれないけれど、こうやって数人で観光という括りで回ることはあまり無かったから、柄にもなく楽しんでしまった。

「いてっ」
「どうした?」
「・・・・・・え」
「あ!」

 くるくると俺の側を回った鹿を見て全員で驚いた。そりゃそうだろ。四人もいるのに俺の周りだけを歩くこいつには覚えがあった。実際鹿の詳しい顔なんて覚えてもないし、見分けもつかないけど。

「前にも角名に懐いてたあいつやん!」
「おいおい、やっぱ角名動物フェロモン出しとるんちゃう」
「動物みたいな顔しとるしな」
「だから、いくら何でも失礼すぎだろ」

 キィキィと鳴くこいつは嬉しそうに俺の腰に擦り寄ってきて、また笑いながら双子が動画を回している。本当にこいつは何なんだよと俺は頭を抱えながら、奇妙な再会を俺も写真にでも収めておくかとスマホを取り出した。その時だった。

「おわっ、ちょっと」
「あ! 持ってかれた!」
「追いかけろ角名!」
「ええ、ちょっとお前らは?」
「待っとる。次の目的地で」

 この薄情者め。唯一慌てている銀が俺も行こうか? と声をかけてくるが、大丈夫と断って一人走り出した。それすらも笑いながら動画を回し続けている双子は今度絶対に泣かせてやる。良いやつだと思っていたのに、いきなり俺の手元からスマホを奪って走り出したあの鹿は、絶妙にこちらからその姿が見える距離を保ったまま時々後ろを確認して走っていく。待てよ。そう言ってみても伝わるわけもなく、気がつけばかなりの距離を走らされていた。

「おい・・・! 止まれって!」

 もうここがどこだかわからないくらいの場所まで来てしまった。やっと足を止めた鹿に追いついて、さすがにゼェゼェと上がってしまった息を落ち着かせながら、少し乱暴にスマホを奪い取ろうとすれば、スッと差し出すようにして手のひらへとそれを乗せられて少しイラっとする。良いやつなのかそうじゃないのかがわかんねぇなこれじゃ。そう思いながらため息をつくと、キィとまた大きな声で鳴いた鹿がどんっと軽く体当たりをするように背中を押してきて、うわっと不覚にもぐらついた俺はザッと一歩大きく前へと飛び出した。

「何すんだよいきなり」

 キィキィと鳴き続ける鹿は俺に何かを訴えかけてるようだけれど、俺は生憎人間なので鹿の言葉なんてわからない。それでも必死に俺の腰を押しながら鳴き続けるから、意味わかんねぇと思いながらもこいつの見ている方向へと視線を移した。

「・・・・・・・・・っ」

 驚いたような表情をした女の人が一人、こちらを見ながら立ち止まっている。視線がぶつかり合った瞬間に、ふわっと、いつだかに嗅いだあの花の匂いが肺の中を充した。

 あやめの花が咲く季節。だからといってここには咲いてなかったはずだ。なのに、気が付けば目の前には花畑のように一面に紫が咲き乱れていて、その花と中心に佇む彼女だけしか視界に入らない。

 時鳥ほととぎす 鳴くや五月さつきの あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな。

 聞いたこともないはずの和歌が、頭の中を駆け巡った。

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