初瀬川古川の二本ふたもとある杉年を経てまたも相見む二本ふたもとある




「えー、めっちゃデカ・・・」

 噂に聞いていた大仏は、想像していたよりも遥かに大きかった。これ人の手で作ってんの? やばすぎ。想像出来なすぎてもはや笑える。さすがのこれには感情の読みづらいこの男も驚いたのか、いつもより比較的楽しそうな声色で「凄いな」と笑っていた。東大寺、春日大社、他にもたくさんの神社仏閣が密集しているこの地は、歩いているだけで確かに心躍る。来た時のあの疲労と苦労など全部忘れてしまったかのように、俺も珍しく楽しんでしまった。

「そいや角名はなんでここに来たん?」
「え? あー・・・誘われたから」

 歩き回って休憩がてら道端へと腰を下ろした時、銀と呼ばれていた男が口を開いた。俺のこの返しのどこが面白いんだか、反対隣で会話を聞いていた男がフッと息を吐くように笑う。それにもの言いたげな目を向ければ、立ち上がったその男が「聖地巡礼やんな」とニヤリとするからそれもまた鬱陶しい。

「聖地巡礼? なんかの歌人とか?」
「冴えとんな。そうやで」
「ちょっと、勝手に話広めないでくれませんか」
「えー誰やろ。俺の知ってる人ですかね?」
「多分知らんと思うなぁ」
「おい、聞けよ」

 全く聞く耳を持たず、勝手に俺を置いて話を進めてしまう二人に腹が立って勢いよく立ち上がると、ドンっと何かにぶつかった。驚きのあまりに「うわっ!」と少し大きな声が出る。振り向けばそこには一匹の鹿が静かに立っていて、ぶつかったことにも動揺はしていないようでじっとこちらを見つめていた。キィと一鳴きして俺の側へと近づいた鹿は、そのまま顔を押し付けるようにしてまとわりついてきた。

「え、何こいつ、どうすればいいの、わかんないんだけど」
「珍しく取り乱しよる」
「見てないで助けてくださいよ」
「角名のこと気に入ったんやな。良かったなぁ」

 ぐるぐると俺の周りを忙しなく動き回っている。どことなく嬉しそうなその鹿の、ふわふわだけど少し硬い毛を仕方なく撫でてやると、気持ちよさそうに目を細めた。なぜだかこいつは二人には目もくれずに俺にしか興味を示さない。二人は「ここの鹿たちは神の使いやで、縁起ええな」と呑気に笑って、次に行こうかと歩き出した。

「次はどこにいくの?」
初瀬詣はつせもうで奈良にある初瀬の長谷観音に参詣すること。当時流行した
「え・・・・・・長谷寺はせでらってこと?かなり距離あるじゃん」
「ここまで来たらせっかくやし行かなあかんやろ」
「ということはまた歩き?最悪」
「よくわからんけどその歌人も初瀬には行ったんとちゃう?」
「せやなぁ。その歌人は大和出身なんよ。詳しい場所まではわからんのやけど、まぁ大和に生まれちゃ初瀬には行っとると思うわ俺も」
「・・・・・・・・・仕方ないな」

 せっかくわざわざ京からここまで来たんだ。あそこには行っておかないともったいないか。決してあの人も行っていたと思われるからとかじゃない。早くせな日が暮れるでと急かされながら必死に歩いていると、ふと俺たち以外の存在に意識が向いた。俺たちの後に続いて行儀正しく静かに着いてきているこの鹿。二人は少し前を歩いていてあまり気にしていないようだけれど、もう春日大社からだいぶ離れた場所に来たのに一向に戻って行く気配がない。

「・・・お前こんな所まで来ちゃっていいわけ」

 言葉なんか伝わるはずもないのに、思わず話しかけてしまった。理解しているのかしていないのかわからないが、応えるようにキィとまた一鳴きしたこいつは、速度を上げて俺の半歩前を歩く。それに気が付いた二人が「角名に惚れでもしたんか」と阿保みたいな事を言い出すから、「冗談はやめてくださいよ」と二人と一匹を追い越してズカズカと先頭を歩いた。

「かなり歩いた・・・もう無理・・・」
「これが長谷寺か」
「立派やなー! さすがですわ」

 なんで二人ともそんなに元気なのまじで。疲れなんて感じさせないようにぐんぐん奥へと進んでいく二人を奇妙なものを見るように眺めていれば、グッと背中を押されて思わずうわっと声が出る。鹿め。こいつ俺のこと好きなのか嫌いなのかわかんねぇな。そんなことを思いながら、急かされるようにして二人を追いかけた。もちろん鹿は俺の後をピッタリとくっついたまま。

 ここが、長谷寺。大和の国の人はもちろん、京に住む人、もはや全国からここを目指してやってくる人が沢山いる。紫式部も紀貫之も清少納言も藤原道長も、他の色んな人たちもここへと訪れた。きっと、あの人も。記録なんてもんは残っちゃいないがきっと来ただろう。さっき見た東大寺や春日大社にも立ち寄ったのだろうか。わからないけど、わからないから可能性を一つ一つ潰していくしかないんだよな。

 と、ここまで考えてハッと意識を戻した。またやってしまった。みんなここへ来るんだから、俺も訪れておいた方が得だしと思っただけで、別にあの人が行ったかもしれないからとかそういうんじゃ・・・って、何一人で言い訳してんだ。あー頭ぐるぐるしてきた。もう面倒くさい。

 思考を切り替えるために少し上を向いた。冬の乾いた空気に浮かんだ薄い雲がゆっくりと流れている。あの人もこの空を見ただろうか。たとえここに来ていたとしても、どの季節に来たかなんてことは本当にわからないから、もしかしたら目に映ったのは夏の入道雲かもしれないな。

「これが有名な二本の杉か!」
「源氏物語にも出てきたやつやな。玉鬘たまかずら右近うこんが再開を喜んで歌を詠みあったりしたっていう」
「再会が叶う霊木ってやつですね」

 再会、か。なんて夢みたいな木だろうか。少し前までは絶対そんなこと聞いても馬鹿らしいと一蹴したに違いない。手を叩いて木に向かって拝む二人を横目に、ぼーっとその大木を見上げた。二本に分かれていても根元で繋がっている二本の杉。こんな風に今は離れていてもいつかは一緒に、なんて願いをみんな望むのだろうか。やっぱり馬鹿らしい。馬鹿らしくてたまらないだろ。それでも。

「・・・俺、やっぱり好きなのかもしれない」

 俺もいつか。だなんて。一瞬でも願ってしまった。馬鹿らしいのは俺もだ。会ったことも噂に聞いたこともない、生まれた時代すら合わなかった女流歌人に。恋? 笑わせる。救いようがないその感情を抱えてこれからどうするかなんてわからない。認めても認めなくても苦しいのなら、いっそのこともう認めてしまえだなんて。

「好き? って誰を?」
「とっくの昔に死んだ歌人や」
「・・・死んだ? もしやその大和出身だって人?」
「周りの奴らのこと、顔も見れないのにわざわざ毎夜通って歌を交わして恋愛するだなんて。ずいぶん馬鹿げてるよなって思ってた。でも俺が一番どうしようもないよね」

 顔だけでなく姿すら見たことのない、とっくにこの世に居ない人の、交わしてもない和歌に惹かれた。誰かがそんなことを言いだしたら、救いようがなさすぎて絶対に貶すか憐れむかする。可哀想だ。報われなさすぎる。それでも止まらない感情があることも知ってしまった。どうすることもできない感情は行き場を失って、雲のように漂うしかない。

「雲にかけはしってやつだ」
「望んでも叶えられんってか」
「当たり前だよね、生き返ったりなんてしないわけだし」

 それでも望むしかないのだ。そっと大木に手を伸ばした。足元で一つになる根を見つめる。のそっと近づいてきた鹿が少し寂しそうに小さく鳴いた。源氏物語にも登場したこの杉。過去も今も、きっとこれからも、何年経ってもここにあり続ける。時を経ても変わらないそれは、いつか俺の願いも叶えてくれるのだろうか。

初瀬川 ふる川の辺に ふたもとある杉 年をへて またもあひ見む ふたもとある杉

 フハッと男が「またえらいもん詠んだな」と大きく笑った。俺は絶対叶うと思う! と馬鹿にすることなく少し鼻声で大きく叫んだその隣の男は、やっぱりめちゃくちゃ純粋で良いやつだと思う。先ほどとは違って嬉しそうにキィと鳴いた鹿の頭をひと撫でして振り返った。

「暗くなる前に帰ろう」

 昔から二本立っている杉。俺たちも年月を経て再び逢おう。繋がっているこの二本の杉のように。

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