あをによし良の都は古りぬれどもと 霍公鳥ほととぎす鳴かずあらなくに




「でっか〜!」
「ツムは前にも来たことあるやろ、何初めて見たみたいなリアクションしとんねん」
「ええやんか、何事にもちゃんと反応するんが楽しむ秘訣やろ。なぁ、角名?」
「・・・・・・うん」

 すげぇ。想像していたよりも遥かに大きかった。でも初めて見たというような感覚よりも、やっぱりデカイなという感想の方が先に出てきた。教科書とかでずっと見てきたからだろうか。やっと見られた。懐かしい。そんな変な気持ちになった。

「せっかくやしみんなで撮ろ」
「全員で? 虚しくない?」
「ええやん、思い出や思い出〜」

 近くにいた人に声をかけて写真を撮ってもらう。ここは珍しく本堂内での撮影が許可されていて、大仏の姿を自身のカメラに収められる。四人で横並びになって大仏と同じポーズをした。ポーズは同じなくせに全員バラバラな方向を見ているのがおかしい。俺たちらしくて良いと思う。

 凄かったなぁなんてありきたりな感想を言い合いながら東大寺を出た。どこかで何か食べようとスマホで検索しながら歩いていると、「迷子なんかなぁ」と治が後ろを気にしながら唐突に話を切り出した。一体何のことだと振り向いて確認すれば、いつの間にか俺たちの真後ろをぴったりと歩いていた一匹の鹿が足を止めた。

「さっきからずっとついてきとんねん」
「俺らもう煎餅持ってへんぞ、腹減ったんなら他当たれや」
「何でそんな喧嘩腰なん」

 呑気な三人の会話はあまり頭に入ってこなかった。ジッとこちらを見る鹿は俺から視線を外さない。何だよ、怖いな。そう考えた時、ふっと頭の中に先ほどの光景が思い出された。こいつさっき見たあの鹿だ。一匹で落ち葉を踏みながら鳴いていたあいつだ。もちろん鹿の顔なんか判別できないし、あの鹿は遠くにいて顔もよく見えなかったはずなのに、何故だか確信を持てた。

 ついて来とるだけなら気にせんと行こ、どうせふらっとどっか行くやろ。俺このカキ氷食いたい。今の時期じゃもう寒くないか? と気にせず話を再開させる三人の後についていきながら、後ろから聞こえてくる砂を踏む寂しげな音に耳を澄ませた。

 事前に調べてきたという、こういう時だけ準備の良い治の注目していた店に入って腹も満たされ、次はどこに行くかなんて話しながら店を出た。あ! と立ち止まる侑に、急に扉付近で立ち止まんなよと苦言を呈しても、全く動じずに「見ろやあれ」と前方を指差す。その方向へと視線を向けると、そこには先ほどの鹿がこちらを見ながらポツンとやはり一匹で立っていた。

 俺たちが出てくるまで待っとったんか。出待ちや出待ち! と双子が騒ぐも、全く気にしない様子でのそのそと歩いてくる。一直線にこちらへと向かってきた鹿は、身体を押し付けるようにして俺の周りをくるりと回った。

「え、何これ」
「ここの鹿は人馴れしとるって言うしなぁ」
「それにしても慣れすぎでしょ。見てないで助けてよ」

 くんくんと匂いを嗅ぐように寄り添われて、逃げても逃げても追いかけてくる。三人の方には見向きもしないで、ひたすら俺の方に向かってくる様子を動画に撮りながら双子が笑っていた。ムカつく。それどころじゃないでしょこれ。

「角名、動物フェロモンでも出しとるんちゃう」
「動物みたいな顔しとるしな」
「いくら何でも失礼すぎでしょ」
「襲ってきとる訳でもないし、懐いとるだけやったら気にせず行くか」

 それからも春日大社に氷室神社、興福寺に猿沢池などの有名な場所に訪れた。結構な距離を歩いているし、奈良公園の敷地はとっくに出てきているのに、相変わらず俺たちの後ろには、同じペースで絶えずこの鹿が着いてきている。最早三人はこれに慣れてしまったようで、「信号ちゃんと止まれて偉いなぁ」だとか、「お前角名に惚れたんか?やめとき」「泣かされて終わるのがオチやで」なんて歩きながら話しかけている始末だ。

「すまんな、残念やけどここでお別れやで」
「最後に餞別として煎餅買ってきてやったわ。これ食べて元気出し」

 少し寂しそうにする双子と、されるがままに頭を撫で回されている鹿。なんだこの光景は。銀も隣で「せっかく仲良うなれたんになぁ」と悲しそうにしている。こいつらよく鹿にそんな感情抱けるよね。

「角名も何か声掛けたり!」
「せやで、こんな良え子侍らせたんやから責任取ったれ」
「・・・鹿なんだよなぁ」

 ほんと何言ってんの。と思いながらそっと手を差し出すと、スンスンと鼻を寄せて確認した後、擦り寄るようにして手のひらに顔を押し付けてくる。そのままその手でワシワシと頭を撫でてやれば、嬉しそうにキィとひと鳴きした。しゃがみこんで目線を同じ高さにすると、途端にグッと勢いよく飛びつかれて思わず尻もちを付く。え、痛いんだけど。てかちょっと、これはヤバいって。

「笑ってないで助けろよ」
「シャッターチャンスやで〜! 鹿に襲われる角名!」
「ムツゴロウさんみたいになっとるな」
「角名の前世もしかして鹿やったんとちゃうん」
「そんな訳ないだろ」

 一通りじゃれあって満足したのか、落ち着いた鹿はゆっくりと俺から離れた。伸ばされた銀の手に捕まって起き上がる。砂ヤバいんだけど。今のはマジで本気でビビった。パンパンと服をはたいていると、「電車もう少しで来る!」と時間を確認した侑が急に焦り始める。

 歩き出した三人に続いて俺も足を踏み出すと、鹿がクイッと背負っていたリュックの紐を噛んで引っ張った。時間ねぇっていうのに。角名置いてくぞ〜と容赦なく進み続ける三人にイラッとしながらも、どうしようかとため息をついて、もう一度視線を合わせるようにしゃがんだ。

「また来るよ」

 ジッとこちらを見続けるつぶらな瞳は、相変わらず俺から視線を外すことはない。けれども声をかけた途端にクンと喉を一度鳴らして大人しくなった。まるで俺の言葉を理解して返事をしたみたいに。わしわしと先程と同じように頭を撫でて、そのまま立ち上がる。目を合わせながら一歩、二歩、三歩と後ろ向きに下がった。その場に佇んだ鹿は、もう追いかけて来る様子はなかった。そのまま背を向けて三人の所まで走る。振り返りはしない。

 三人に追いついたあとにそっと後ろを確認した。そこにはもうあの鹿の姿はなかった。

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