ほととぎす鳴きつる方をむればただ有明の月ぞ残れる




 俺の中の何がそうさせるのかは未だに自分でもわかっていない。ただ、何となく。いつも気がついたら此処にいる。

 電車で一時間と少し。あまりにも有名なここは兵庫よりも人が多く、落ち着く場所とは少し違うのかもしれない。溢れる観光客がガヤガヤと行き交うホームで一人次の電車を待つ。やってきた電車に乗り込んで二十分ほどまた揺られれば、その車両に乗っている人々の半分が降りていく程に人気な観光地へと到着する。

 京都、嵐山。別にこれといった理由はない。けれど何故か導かれるように定期的に訪れてしまう。目に見えて移り変わる四季の色と匂い。人がたくさんいるのに、ここはどうしてか落ち着いて見える。

 鮮やかな緑で彩られた夏、紅い紅葉で染められた秋、純白の雪が降り注いだ冬、幻想的な桜が吹雪く春。いつも無意識に足が向かって気が付けばこの景色を眺めている。

 俺は別に日本的なものが特別好きなわけでも、情緒のある景色に感動するタイプでもない。雅だとかわびさびだとか授業で言われても何も理解できないし、趣だなんて曖昧に言われても共感なんて出来ない。だから何でこんなにも自分がここに訪れているのかも、なぜ数ある土地の中でここなのかも、何もわからないんだ。

 だっておかしいだろ。普通高校生が電車に乗ってこんな所までわざわざ来るか。たまにしかない貴重な部活のオフに、県を超えて、理由もなく、電車賃だって馬鹿にならない。たしかに言うほど頻度としては多くはないのかもしれない。けれど季節が変わるたびに来てしまう。そして一通り、ただぼーっとひたすら歩いて、帰るだけ。

 毎回毎回、自分でも理解し難い寂しさを覚える。締め付けられるようなこの感覚にもちろん名前なんてない。この感情は謎だ。ここがお気に入りの土地だなんてそんなことも思うはずがない。故郷は愛知、今現在住んでいるのは兵庫。縁もゆかりも何も無い。そんな土地に愛着なんて湧くはずがない。

 一両しかない短い独特の電車に乗り込んで窓の外を見た。初夏の青々とした景色が窓の外に流れて行く。自然と手に力を込めているのに気がついた。少しだけ赤くなっている手のひらを見つめる。今日も俺は何もわからず終いで家路につくのだ。

 心の奥深くにポッと灯る、一抹の寂しさを抱えながら。


◆◆◆◆◆◆◆


「角名様、此処にいらしたんですね」

 スーッと静かな音を立てた方を振り返る。ゲッ、という気持ちを隠して「何か用ですか」と努めて冷静に返事をすると、こっちを見た相手は目を見開き落ち着いた様子から一変して大股で向かって来た。

「何でまたこんなものをお召しになられているのですか!」
「いいじゃん、着やすいんだってこれ」
「そんな庶民のものを身につけてはなりません」
「相変わらず頭が固いな。もう少し時代が動けば直垂ひたたれの良さに気付く奴もきっと出てくるよ」
「たとえ未来がそうであっても今は違うのです、早くこちらに着替えてください」

 パシッと背中を叩かれて傍に脱ぎ捨ててあった狩衣かりぎぬを無理やり持たされる。そのまま、此処へやってきた時の物静かな姿は一体どこに行ってしまったんだというほどに音を立てて出て行った。

 面倒くさいことこの上ない。出ていくなら俺別に着替えなくてもいいじゃん。そう思いながらも、このままでいてあいつがまた戻ってきたりしたら更に面倒なことになるな、と判断して仕方なしに体を動かした。

 肩が凝るから嫌いだ。貴族だとか庶民だとか俺には心底どうでも良い。派手な色彩も柄も俺は好みじゃない。絹も肌触りが良いだけであとは重いだけだ。着易いものを身に纏って一体何が悪い。身分に合ったものをなんてことは言われなくなって、好きなものを好きなだけ身につけられる時代はこの先訪れるのだろうかと深いため息をつく。

 退屈。何もやることがない。夜はどっかの誰かに宴会に参加しろだなんて言われているけど、それも憂鬱。美味しいものが食べられるのは嬉しいけれど、周りのご機嫌取りは得意じゃない。必要性も感じないし、何かある事にすぐに歌詠めとか無茶振りしてくるし冗談じゃねぇ。

「角名さま〜」
「入ってきていいとは言ってないよ」
「こんな所に寝転んでいるお方が随分偉そうに」
「うるさいな」
「他の方々は激務をこなしているというのに、貴方は毎日だらけてばかりだ」
「激務って、残業じゃん。俺は俺に振られたものはしっかり片付けてんだからそんなこと言われる筋合いないけど」
「そんなだらけまくりの貴方にお手紙ですよ」
「話聞けよ」

 ドカドカと音を立てながら入ってきたこの大男は、随分失礼な物言いで預かったという手紙を押し付けてくる。正直今は目を通すのも面倒だ。けれど読まなきゃもっとだるい絡みをされるんだろうなと思い渋々それを開いた。

 誰が見ても読みやすいような綺麗な字で、流れるように書かれた文章。その筆跡からして差出人は最近親しくしている男だというのがわかった。

「内容は?」
「・・・・・・私事は秘密にしたいな」
「ここでそんなことが通用するとお思いですか」
「うぜー・・・・・・・・・会いにくるって、近々」
「それだけですか?」
「俺を疑ってる? 心外だな」

 ニコニコと笑いかければ胡散臭い顔だと一蹴される。全く本当に失礼な奴だ。俺がこんな性格だからいいものの、他のやつにそんな態度をしたら首が飛んでもおかしくはない。

「楽しみですね」
「別に」
「友好的な関係をあまり築かれない貴方には珍しいお方じゃないですか」
「圧が強いだけだよ」
「そうだとしても、ですよ」

 では私はこれで失礼致します、この後も忙しいので。と嫌味ったらしく言い放って去っていく背中を横目で睨んだ。手に持ったままの手紙をもう一度開く。良い話があるから近々出向くって一体何だろう。あの人の言う『良い話』を果たして信頼しても良いものか。俺とは作りが全く違うのではないかと思うくらいに真面目で、頭が固くて、ちゃんとしているその男の顔を思い浮かべた。

 あぁ、退屈だ。今日もこうして一日が終わっていく。


用語
狩衣かりぎぬ・・・当時の男性貴族の普段着。現代では神職の常服。
直垂ひたたれ・・・当時の男性庶民の普段着。時代が進むにつれ着易さが評価され武士の代表服になり、江戸時代には礼装にもなった。


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