の色は移りにけりないたずらに我が身世にふるながめせしまに




 花が咲き、緑が芽生え、葉が色づき、銀世界が広がる。

 色とりどりの一年間。目に見えて通り過ぎて行く四季。それに伴って自分や他人の感情もどんどん移り変わっていく。それら全てをしっかりと見て、感じて、自分の中に取り込んで、そして言葉にして表現する。好きも嫌いも、良いも悪いも、喜びも悲しみも苦しみも愛しさも、全部。どうすれば、この美しく趣のある世の中を精一杯楽しむことができるのかを考えながら。

「ねぇ、小町の歌聞いた?」
「すごいよね。あんな歌詠んでみたいね」
「でもあれ少し寂しくない?」
「確かにそうも感じるね」

 宮中では色々な噂が絶えず溢れている。その中でも取り分け多く耳に入ってくる話題といえば、どこの誰が誰とくっついただとか、誰かがあの娘の所に忍び込んだだとか、通い出しただとかの色恋沙汰に関するものだ。そういう話題が溢れているうちは平和だという証なので、みんな元気で何よりだなぁ、と微笑ましく聞き流しながら私は今日も自分に与えられた仕事をこなす。

 華々しいこの宮中で働けるというのは、私にとってとても誇らしいこと。外で男の人と一生を過ごす幸せも、それはそれで良いとは思っていたけれど、家庭を持つよりも自分のやりたいことを優先した。ここに入り働く道を選んだ。
 

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに


 あんなに美しく咲き乱れていたはずの花の色も、今ではすっかり虚しく衰え色あせてしまった。物思いにふけっているうちに、私も同じように。

 同僚はこの歌を寂しいと言っていた。けれど、これを詠むに至った小野小町のことを思うと、ただ寂しいという一言では気持ちが表現しきれない。絶世の美女と言われ、人々の羨望を一身に受け、華やかに生きた小町だからこそ、移り変わっていく世の中と無常にも過ぎてしまう時間と衰えていく自分を、盛りを終えてしまった花に例えられたのだと思う。この歌の中に小町の人生が詰まっているのだ。私にはこれは詠めない。小町だからこそ詠めたものだ。

「ここにいるとさぁ、恋とか疎遠になりがちじゃない?」
「そうだねぇ」
「たまにそれが虚しくなる時があるのよ」
「すればいいじゃない」
「そんな簡単な事じゃないって解ってる癖によく言うわ」

 なまえはどうなの? というその問いにうーんと言葉を詰まらせる。私は私のやりたいことを優先して、それを貫いてきた。これからもそうでありたい。覚悟を決めてそういう道を選んでしまったから、きっと最後までこの考えを崩さずに今生を生きていくんだろう。

「興味がないわけじゃないよ、いつかしたいって思う」
「いつかなんて言ってたらすぐ乗り遅れるわよ。小町もそう言ってたじゃない」
「うん。だから、来世に期待かなぁ」

「来世ってあんたねぇ。・・・でもそういう夢見がちな思考は嫌いじゃないわよ。良かったね、歌人向きで」と、褒めているのか貶しているのかわからない同僚は「今のうちに夢でも語っておけば? 来世の」と少し馬鹿にしたように笑いかけてきた。

「うーん・・・考えるからちょっと待って」
「本当にやるんだ」
「他に何も考えられなくて物事の分別もつかなくなっちゃうような全力の恋愛とかしてみたいなぁ」
「これまた意外なのが来たわね。あんたの事だからもっとのんびりした答えが返って来ると思ってたわ」
「どうせ恋をするなら激しい方が楽しそうじゃない?」
「確かにね。せっかくだからその気持ちを歌人らしく歌にしてみなさいよ」
「ここで? そうだなぁ」

 暖かな風がふわりと袖を揺らした。太陽が少しずつ威力を増してきて、冬の間は寂しそうに凍えていた木々も、今では立派すぎる程の緑をまとっている。その足元では可憐な菖蒲あやめが気持ち良さそうにそよ風に吹かれて、ほととぎすが奏でる綺麗な音色が燃えるような夏の到来を告げた。

「ほととぎす 鳴くや五月さつきの あやめ草・・・・・・・・・」

 遠いいつかに思いを馳せて。今は想像でしかないこの歌に乗せた気持ちが、いつの日にか実現しますように。


用語
五月・・・当時の五月は陰暦なので、現在の五月下旬〜七月上旬の初夏の頃。皐月。


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