れーくんの好きな人 ねえさんの好きな人1
この街に住んでいたら誘拐なんて日常茶飯事だよね。前世の子供の頃も一度くらいはされたことあったっけ。
目を覚ましたら両手両足を縛られて寝かされていた。 デジャブだ。今世で誘拐されたときのことを思い出す。あのときはロリコンのモブおじさんに売られそうになってたんだっけ。ご勘弁願いたい。ランドセルの底と靴底、スマホとストラップと……あとはたぶんどこかに数ヶ所。GPSと、もしかしたら音声も聞いていたのかもしれない。 彼は仕事の都合上どうしても一緒にいられないことが多いから、これだけしてしまうのも仕方ないだろう。私とは気を付け方が違う。
れーくんもされかけたことあったもんなぁ。一人でいたれーくんが声をかけられてて、ちょうど私が迎えに来たところだったから難を逃れたんだった。 暗い時間に子供だけにならないことや、送迎の徹底、怪しい人がいたらすぐに私に連絡するか近くの大人に助けを求めること、等々言い含めることくらいしか昔の私にはできなかった。 それに比べると、彼の気を付け方はこの街では最善と言える。生きていて一度は誘拐されてしまうのだから過保護とは言えまい。
……そういえばこれはもしかして現実だろうか? 記憶にしては外は騒がしいし頭が痛いし……あれ、少し血の匂いがした。 頭を殴られて気絶させられて連れてこられたというところだろうか。薬を使われているわけじゃなくて良かった。どんな影響があるかわからない。 彼のことだ、たぶん今回もどこかしらに何かをつけているはずだ。数も位置も把握する必要はないのでもういい。
「ねえさん!!」
おや、来てくれたようだ。すぐに手足の縄を解いてくれる。
「っ……! 血が……」
彼が息を飲む。血が付いているのであろうこめかみにそっと触れられた。ぬるつく感じがないということはもう血も止まって乾いているということだろう。それなら大した量は流れていないはずだ。彼がそれほど遅くなるわけがない。
「来てくれてありがとう、零」 「……え……? なまえ?」
彼の名前呼べば信じられないというように固まっていた。 ……その背後、部屋の外から、人、が、――その眼には、明確な殺意が灯っていた。
「れーくんっ!!」
悲鳴のような声が喉を揺らした。 拘束のない手足で、考えるより先に彼を突き飛ばす。反射なんてものじゃない、もはや本能に近かった。 耳を焼くような音をたてて放たれた銃弾は、私の脇腹を掠めていった。 後ろにバランスを崩した彼に重なるように倒れ込む。
「ねえ、さ…」はやく、「はやくつかまえて!!」
私の声に我に返った彼は、弾かれたように顔をあげる。すぐに私の下から抜け出し、銃を持った男を取り押さえていた。 その様子を横目に見ながら、床に寝転がる。 痛い。めちゃくちゃに痛い。傷自体は肌が少しえぐられたくらいで深いものではないけれど、ともかく痛い。でも、わかる。この傷で死んでしまうようなことはない。押さえつけた指の隙間からじわりじわりと血が滲んでいるけれど、大した量ではない。このぐらいなら、耐えられる。 ……あのときの方が、もっと痛くて苦しかった。
制圧が終わった彼が戻ってきた。他にまだ誰か残っていないか部下に確認しに行かせたようだ。 私一人の誘拐事件に公安の方々がわざわざ足を運んでいいのかな。と思ったけれど、犯人の一人が銃を使っていたくらいだ。きっともともと彼らの仕事なのだろう。 倒れ伏したままの私をそっと抱きかかえる。
「ごめ、なさ……」 「大丈夫、ね、大丈夫だよ、れーくん」
俯く彼の頬にキスをする。撫でてあげようとしたが、手に血がついていることに気付いて躊躇った。それなのに、空をさ迷った私の手を捕まえて頬を寄せてくる。すり、と頬擦りされた。汚れちゃうのに。
「僕のせいで……」 「いいんだよ、私が勝手にしたことなの、貴方のせいじゃないよ」
これくらいの傷、大袈裟だよ、なんて笑い飛ばすこともできない。きっと彼はまた私を失う不安に押しつぶされそうなんだ。自分を庇って、なんて最悪の事態で私が死んでしまう可能性。私にとっては、彼を守って死ねるなら、これほど幸せな死に方はないのだけれど。
「……でも、もう、れーくんをあんな風に悲しませたくないなぁ……」
ぽろ、眼から雫が零れていた。 二度とこの人を置いて逝きたくない。私がいなくなった後で、彼は独りでずっと苦しんでいた。空いた穴を埋めることもできず、果てには友人達も失って。あれが夢でも妄想でも、きっとそれは事実だ。私はそれをこの瞳で見て来た。 彼の前で泣いてしまうのはこれで二度目だろうか。
「……救急車が到着しました」
固い声が告げる。すぐに救急隊員が入ってきた。ストレッチャーに乗るためには彼から離れないといけない。ぐし、と目元を腕で拭う。何か言いたげに口が動いていたが遮った。無理矢理笑ってみせる。
「まだ、やらないといけないことがあるんでしょう? 私は大丈夫だから」
憶測でしかないけれど、上司としてここに居るのなら、共に救急車に乗り込むことなどできないはずだ。しかしそんな予想は別の声に覆った。
「いえ、構いません。……行ってください、降谷さん」 「……っ、わかった。指揮は風見に一任する。やれるな」 「ええ」 「感謝する。……優秀な部下達を持って、俺は幸せ者だな」
自嘲するような笑みを浮かべて、彼も救急車に乗り込む。その後ろに残った風見さんは私をじっと見ていた。
「……こんな時ぐらい、物わかりのいい振りをしなくてもいいはずです」
そうか、ちょっとくらいわがままを言ってもいいのかな。 戻る
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