れーくんの好きな人 4


「……っう、ひっく、」

半ば転がり込むように帰宅した部屋の中。彼女は暗い部屋の隅で小さくなって泣いていた。

「っねえさん! どうしたの、なにかあったの?」

すぐに駆け寄り、抱き起す。何度も嗚咽を漏らしながら、ポロポロと涙を流して苦しんでいた。

「身体がおかしい、吐いたりして気持ち悪いし、妙に気持ちに波があるし、こんなの私の体じゃない。怖い、こわい、助けて、兄さん……」

僕がいるのに、僕に助けを求めてはくれないの。
最愛の人が泣いているというのに、こんな時まで僕は自分のことばかり考えていた。

「……どうしてれーくんが泣いてるの……?」

ぽたり、と零れた水にねえさんが顔を上げる。頬に手が触れ、涙の筋を親指で拭ってくれた。

「ねえさんに頼ってもらえないことが悔しいんだ」
僕よりねえさんの方がずっと苦しくて辛いはずなのに泣いてしまってごめんなさい。

「苦しみを過去の自分に押し付けないで、僕も一緒に背負うから」

一人で背負わなくていい。僕の言葉は『過去のねえさん』の向こう側にいるあの人に届くだろうか。死の恐怖に怯えて小さくなっている彼女は未だ帰ってきてくれない。

「甥に、れーくんに背負わせるなんてできないよ。私にとって、れーくんはまだ産まれたばかりなの」

目の前にいる人は、僕を一人の男として見てはくれない。本当のことを話したら、なにか変わったりしないかな。

「ねえ聞いて、ねえさん」

頬に触れた手に僕のそれを重ねる。手のひらの温かさはあの人と変わらなかった。

「本当はね、僕とねえさんは結婚してたんだ」

黙っててごめんね。涙目で弱弱しく告げれば、ねえさんは随分あっさりと腑に落ちた顔をした。

「そうだったの」
「嘘だとは思わない?」
「叔母と同居してて、女性に出ていかれたよりは納得できるよ。それに、れーくんは私に嘘はつかないでしょう」
「……初恋の相手と一緒になれて、とても嬉しかった」
「……初恋、だったの?」
「ああ、ずっと……ずっと好きだった」

幼いころに自覚してから、その気持ちが叶わなくても、貴女を失ってしまって一人になっても、生まれ変わって帰ってきてからも、心が同じじゃなくてもずっと好きだった。

「たぶんね、それをここの私に伝えたら喜ぶんじゃないかな」
「……どうかな」

きっとあの人は「嬉しいこと言ってくれるなあ」とはぐらかすだけだろう。そう思っていた僕に爆弾が落とされた。

「だって、いくら相手がれーくんでもキスなんてできないよ」
「……えっ?」
「? うん。今の私には可愛い甥にしか見えないから、できないよ」

当たり前でしょう? と不思議そうに返される。
だっていつもキスを拒まれたことなんてなかった。ねえさんが初めてキスを許してくれたのは、……そんな、ずっと前から? 絆されていたからとか、流されていただけとかじゃなくて、本当に?
喜色が滲んで、しかしすぐに萎む。自分がねえさんにしたことを思い出したからだ。

「でも僕は……ねえさんを酷く傷付けてしまった」
「ちゃんとごめんなさいしたの?」
「それがまだなんだ。『ねえさん』が来たから」

彼女の過去を知ることができるのは嬉しい。僕がどうしたって手を伸ばせなかったものだった。

「謝らせてもらえなかったら、許してもらえなかったらと思うととても苦しいんだ」
「大丈夫だよ」

両頬を包まれて顔を上げさせられる。ねえさんは僕の一番好きな顔で微笑んでいた。

「れーくんが反省していて、ちゃんと謝ってくれるなら、私はちゃんと許すよ、絶対に。自分のことだもの、わかるよ」

ああ、この人はいつだって、僕に甘い。

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