ヘタレだって理由がある
幼なじみである萩原研二のことをどう思っているかといえば、もちろん好きだ。 けれど、どうにかなりたいとは思わない。今のままでも、彼は傍にいてくれるからだ。
研二の友人である松田氏と共に、成人の祝いだと言って三人で飲みに行ったことがある。 まだお酒の飲み方を覚えていない私たちは各々好きなようにグラスを開けた。結果として、ぐだぐだに潰れたのは研二だった。
ジョッキ片手にテーブルに頬擦りして、垂れた目尻をいっそう甘くとろけさせて気分良く笑っている。身体を起こすと頭が重いようでぐらぐらと頭を振るからテーブルの上に落ち着けた。
対して私と松田氏は酒は回っているが研二ほどではない。研二はもう駄目そうだしそろそろ帰ろうか、と立ち上がった。私には重くて研二は運べないから、松田氏に協力してもらわなければならないだろう。
「ん、あれ、松田……? 松田だ」 「おう帰っぞ、起きろ」
研二の腕を担いで立ち上がるのを支えていると、ぱちぱちとまばたきをした研二が気付いたように声を出した。
「あのさ、なあ松田、前に言った幼なじみのことなんだけどさ」 「今それ言って良いのかお前」
私をちらりと見て苦笑した彼が肩をすくめる。当人である幼なじみの私が居るのに溢すように話し出したその内容は懺悔のようでもあった。
松田はさっさと付き合えとか言うけどさ、やっぱり好きなんて言えないよ。 だってすごく居心地が良いんだ。 あの子になんだかんだ振り回されるのが楽しくて仕方ないよ。毎日傍に居て、ずっとそこにいるのが当たり前で。これだけ近くにいてくれるのも信頼されてるからってわかる。 友達と喧嘩したときもうっかり怪我したときも、真っ先に俺のところにとんできて頼ってくれるんだ。無防備に同じ部屋で寝たりするのも、俺と同じように居心地が良いって思ってくれてるからだって。 だからそれを壊したくないんだ。 好きなんて伝えたら、きっと全部変わる。俺のこと警戒して近付いてくれなくなるかもしれない、今まで傍に居たの全部欲のためだったのかって軽蔑されるかもしれない、もう会いたくないって実家に帰るかもしれない、……いつか、他の男と一緒になるのかもしれない。 少なくとも今は、俺にべったりくっついていてくれるうちは誰かに唾つけられるような心配は無いし、そんな影もない。ぬるま湯に浸かってるみたいな、現状を変えるのが一番怖いよ。
酒に酔った幼なじみの、心情の吐露を私たちは静かに聴いていた。
「……だ、そうだが?」
研二をじっと見つめていた彼は目線だけで私を伺う。
「研二が今のままが良いって言うなら、このままでいいんじゃないかな」
研二の言葉に異論などあろうか。 お互いに傍に居たいと思えるなら、現状を変える必要なんか無いだろう。
幼なじみである萩原研二のことをどう思っているかといえば、もちろん大好きだ。 けれど、どうにかなりたいとは思わない。 今のままでも、彼は傍にいてくれるからだ。
「そんでねぇ、そいつが『今日は何色? 水色かな、白かな、それともピンク?』って……」 「なまえ、おまたせ」 「あ、研二! じゃあまたね!」 ほろ酔いで私の話を聞いていた友人に、手を振る。彼女は彼女で優しい彼氏が迎えに来るので大丈夫だろう。 外に呑みに行ったときの帰りは、研二に送迎をお願いしている。別に一人でも大丈夫なんだけど、と断ろうとするが、治安が悪いからだの、心配だだのと言われて今に落ち着いている。引き換えに食事一食を振る舞うようになった。 迎えに来た研二にくっついて、店を出た。去り際にぺこりと友人に会釈をする研二。顔が良いから周囲の女子の心をさらっていったことは一度や二度ではない。私はちょっとだけ苦い顔になってしまう。
「何の話だったの?」 「ん、この前の変質者が下着の色聞いてきたときの話」 「……ちゃんと俺にも言ってよ」 「忘れてたの」
首をかしげれば、不満そうに眉を寄せる。
「だって電話だけだったし」 「いや待って。それだけじゃないから。電話してきたってことは、個人情報握られてるんだよ? それ」 「あ、ほんとだ。……でも、研二が守ってくれるんでしょ?」
頼りにしてるよ、と悪戯に笑って、指を絡めて研二の手を握る。アルコールが入ってる私と比べると、少しひんやりとしていた。
「……酔ってる」 「せいかい」
繋いだ手をぶんぶんと大振りしながら、気分よく帰路を行く。 お酒も飲んでないのにちょっとだけ赤くなった研二の顔を横目で見る。やっぱり、今のままで幸せだな、と思うのだ。
私は幼なじみに対して公平を心掛けている。
お互いの生存確認のために合鍵を交換し、研二のお母さんに頼まれたように部屋の片付けをしてその代わりに私の部屋を掃除させ、うっかり研二のビールを飲み干した代わりに食事を作った。自室のバスルームで小型カメラを見つけてしまってからは研二の部屋に行って、研二のシャンプーを消費してしまわないように自分のを置いた。もちろん研二のが髪に合わなかったのもある。お風呂を終えてから着替えを忘れたことに気付いた私は、研二の部屋に散らかった衣服をかき集めて片付けた代わりにジャージを借りた。冬の始まりで、たった数歩でも外に出たくなかった。
その均衡を崩したのは研二である。だからバランスを取ったに過ぎない。 私のお金で買ったパンツが研二のものになるなんてフェアじゃない。私が気付かなければ下着は減る一方で、別所に流れていると思い込んでいたままだったろう。 パンツを買いに行くのは研二が欲しがるからで、研二が消費した(消費したってなんか食べたみたいだな、流石に食べてはないだろうけど)私のパンツを買い直すのは当然のこと。研二の欲しがる下着を買うのも当然だ。でも、新作の下着は私が欲しかっただけだから、研二の目の前で脱いでパンツをあげたのがサービスになるだろう。それだけじゃ足りないかもしれないから、食事代は出した。デートにもなって一石二ちょ、んん、なんでもない。何も言ってない。 昨夜その場で脱いだパンツをストッキングごとあげたのは、寝落ちた私を部屋に運んでくれたことで相殺されるだろう。
そんなこんなで1日研二の買い物に付き合った私は、昨日するはずだったことを研二に要求しても許されると思う。
痴漢されたのだ。昨日の帰りに。 虫が這い回るような感触が未だに肌に残っている。だから、研二に払拭してもらおうと思ったのだ。
「太ももを撫でられて」
恐る恐るといった様子で研二の手が太ももに乗る。寝転がった研二の身体の上に乗ったままの体勢で、研二の服の胸元をきゅっと握った。
「手が、上がってきて、お尻も触られた」
ぐっと歯を噛み締めた音が頭上から聞こえた。同時に、スカートの布越しにお尻に触れられる。
私に最後に触ったのが知らない人なんて嫌だ。ずっと、ずっと身体が気持ち悪い。私の身体に触るのは、研二だけがいい。 研二の胸元に埋めていた顔を上げる。
――研二に上書きをしてもらったら、この不安を取り除いてもらったら。 幼なじみに対して公平を心掛けている私は、彼に何を差し出せるんだろう。 してもらったことに釣り合うだけの対価を、私は用意出来るのだろうか。 ずっと前から燻っていた恐れが、心に火を点した気がした。
ぽろり、と溜まっていた涙が零れ落ちた。
「ひゃ、あっ!?」
突然視界が動いて、お尻がぽすりとベッドに落ちる。研二が身を起こして、上に乗っていた私はベッドに尻餅をついた。脚の間に研二が陣取っていて足が閉じれず、捲れたスカートから下着が見えそうだ。
「けん、じ……?」 「上書き、するから」
名前を呼んで見上げれば、彼は真面目な顔で私をまっすぐ見ていて。 そんな表情、初めて見た。 心臓の音が煩い。ベッドについた手に、研二の指が絡む。 少しずつ縮まる距離に、そっと目を伏せた。 戻る
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