決断

思いもよらなかった白澤の提案。

大丈夫かこいつ。

鬼灯の目は、そう語っていた。

「言っとくけど、この期に及んで変なこと考えてる訳じゃ無いからな。お前の為じゃなくてヒサナちゃんの為だって言ってんだろ。信じろよ」

女性に対して下心を覗かせているような普段のしまりのない姿はなく、凛とした神様の顔をした白澤を前に鬼灯はしばし考え込んだ。

「…気功の方は専門外ですが、一応」
「なら話は早い」

白澤は閻魔大王に鬼灯を少し借りると承諾を得ると従業員通路へと足を向けたので、鬼灯も大王に一礼して下がりその後を追う。
法廷から出て少しした廊下の壁に背を預けて、白澤は鬼灯へと振り返った。

「閻魔大王には聞かれない方がいいでしょ」
「お気遣いどうも」
「いやいや。僕は別に構わないんだけどね。ヒサナちゃんが嫌がるかもしれないし」

白澤は優しい目でヒサナを見つめ笑っているが、その嫌がる内容を思っての表情だと思うと不快以外の何物でもなく、鬼灯はヒサナの頭を抱え込んだ。

「で、なぜその単語が出てきたんですか」

淫獣の目に触れないよう、再度ヒサナを弾みをつけて抱え直すと、鬼灯は声を潜めて問いかける。
そんな鬼神を、成る程怨気はどうやら募らなかったと、白澤は注意深く観察しながらくるくると指先で耳飾りを弄んで笑っていた。

「延命最優先で手段を選んでられないならどうかと思って」
「では何故それは私の時には手段としては無かったんですか」
「お前が危ないならヒサナちゃんを還すのが最善策だった。でも弱ってるヒサナちゃんの場合は、還れない状況の現時点で考えられるのはこれが最善策。まぁ何よりあんまり教えたくなかったのもあるけど」

誰にと問う鬼灯に、お前にもヒサナちゃんにもと白澤は肩をすくめた。
先程までの悪鬼に堕ちかけている鬼灯だったら、ヒサナの事など問答無用でその手段を選んだだろうし、ヒサナに話せば鬼灯の為を思い自身の事など顧みずに選んでしまった事だろう。
白澤の言葉に鬼灯は否定も肯定もできないような、なんとも言えないように表情を歪めた。

「要するに怨念も気だ。ただ何も出来ないまま待つより、試してみる価値は十二分にあると思うけど」
「だからと言って、房中術は…」

鬼灯は白澤までとはいかずとも漢方は熟知しているが、同じ中国医学である気功はその種類や効能を知識として有している程度。
しかしその程度でも古来より用いられてきたその術を、鬼灯もよく知っていることから躊躇っていた。

「殺すことはできるのにそれは出来ないんだ?初なやつだっけお前」
「私はどうでもいいんですよ。只、ヒサナの承諾も了承も無しに…ましてや籍も入れる前に、やらかしたくありません」
「お偉い事で。だけどな、そんな綺麗事言ってると、娶る前に看取る事になるぞ」

そんな事は、言われるまでもなく鬼灯にもわかっている。
急を要する事だと。
別にヒサナとそういった事をしてみたいと思った事が無いわけではない。
だからと言って、独断で判断して良いことだろうか。
まだ時間があるとは言うが、処置が早いに越したことはないだろう。
事が事だけに悩む時間がないのが惜しい。

「僕がやってもいいんだけどね」
「殺しますよ」
「最後まで聞けよ!僕ができれば喜んでやるんだけどね、怨念は流石に僕には扱えない。お前じゃなきゃ、出来ない」

私にしか出来ないこと。
その言葉に、ヒサナを助けるために何をすべきかは、既に理解している。
鬼灯は、未だに眠るヒサナの顔をじっと見つめたまま思いを巡らせていた。

「では白澤さん、何故今なら話そうと思ったんですか」

自分には提案しないという判断を一度はしているくせに。
今でも自分に話したって、ヒサナの事など考えずに事を成すかもとは思わなかったのだろうか。
条件は変わらないように見えるがと問えば、白澤はそんな事と鬼灯の疑念を鼻で笑った。

「今は、最後の薬とヒサナちゃんのおかげで、いつもの冷徹な鬼だろ」
「…!」
「そうやってちゃんとヒサナちゃんの為を思える今のお前になら、僕としては安心して背中を押せる」

白澤の言わんとしている意味が分かった鬼灯は、小さく息をついて呆れたように普段は色事を貪る神獣を見た。

「成る程。普段の行いはそういう訳ですか」
「僕が気持ちいいのもあるけど、それだけじゃないからね。そういう奴だと知られてればやり易いし、話す手間もなくて楽でしょ」
「でも前者が大半だろ」
「当たり前だろ!」
「その処置を要する客も、その分だと少なそうですね」

漢方医だけではない、気功師の名も聞いて呆れる。
鬼灯はヒサナを抱く腕に力を込め、真っ直ぐに正面を見据えたまま白澤の前を通り過ぎる。
無言で成り行きを見守っていた白澤だったが、鬼灯がはたと立ち止まるのでどうしたのかと声をかけた。

「貴方に、礼を言う日が来るとは思いませんでしたよ白澤さん」

そう言い残し、鬼灯は迷いなく従業員通路の奥へと進んでいく。
長い長い通路の端の突き当たり、目指す所はそこしかないだろう。

「…それは言ってないって言うんだよバーカ」

意地でもその言葉を口にはしていない鬼灯に舌を出し、白澤は法廷へと戻っていった。







トントンと振動が伝わる。
歩いているリズムだと目を開ければ、すぐ目の前に鬼灯のすらりと白い喉元が見えた。
ヒサナは突然突きつけられた状況を把握しようとして瞬きを繰り返したが、よく思い出せない。
どうやら自分は鬼灯に抱えられているらしい。

「あ…れ?私」

自問の意味も含めて声を出せば、鬼灯が気付いて顔を見せてくれた。

「気付きましたかヒサナ。丁度良かったです」
「なんで抱っこされてるんですか」
「具合はどうですか」
「別に何も…そっか、私目眩がして…?」
「倒れたんですよ」

そんなに酷く立ち眩んだだろうか。
規則正しい鬼灯の歩調のリズムに揺られながら下を見れば、横抱きにされている事はわかった。
なんとも気恥ずかしい気がして、目を覚ましたのに何故降ろされないのだろうかとヒサナは鬼灯を見上げた。

「あの、歩けますけど」

降ろしてとの意味合いで口にしたのだが、聞こえているだろう鬼灯は無言のまま歩を進める。
天井や壁を見る限り、どうやら従業員宿舎へと続く長い通路のようで、この先にはホオズキの実が描かれた扉がある。

「鬼灯様?」
「もうすぐつきますから、少し黙ってなさい」

もうすぐと言うことは、やはり目的地は自室か。
倒れた所を運んでもらっている身なので、手を煩わせてしまっている分黙れと言われれば黙るしかない。
大人しくしていると鬼灯がちろりと視線を寄越したので、ヒサナは再度首をかしげて見せたがすぐにそれは反らされた。

「そうして頂けてれば、ありがたいんですけどね」

呟かれた言葉の意味も、何を指しているのかヒサナにはさっぱりわからない。
そもそも目眩で何故倒れたのかもわからずじまい。
心配した鬼灯が、怒って寝台に横にさせにでも動いてくれるのだろうか等と考える。
下から仰ぎ見る鬼灯の表情が、僅かに険しく見えるからだ。
これは体調管理がなってないなどと怒鳴られるのは覚悟したほうがいいだろうと、ヒサナはそんなことを考えていた。

通路を突き当たり、鬼灯は自室の扉を片手でヒサナを抱えながら開く。
古書と煙管と薬剤が入り交じったような、鬼灯の部屋独特の慣れ親しんだ空気を感じる。
後ろ手で扉をしめた鬼灯は、そのまま寝台へと進みヒサナをそっと布団へと座らせた。
縁ではなく寝台の中央辺りに降ろされたので、ヒサナは足のやり場に困り横に崩して座る。
縁に移動して足を下ろしても良かったのだが、鬼灯が乗り上げて目の前で正座をかましてきたものだから、ヒサナも何となく居たたまれずに居て正座に直した。

「あ…あのー、何ですか鬼灯様?」

膝の上できゅっと拳を丸めて問いかけるが、面と向かったまま、無言で鬼灯が見つめてくるものだからやはり居たたまれない。
怒って小言を言われるのかと思いきや、鬼灯の鋭い表情は普段と変わりないもので、落ち着きはらった様子で座していると言っていい。

「あの…」
「ヒサナ、これが私にとってもヒサナにとっても最後のチャンスです。貴女が私の中に還れるのなら、それで仕舞いにしましょう」
「あ、え!いいんですか」

そう言えば、還るなんだのと揉めていた事を思い出す。
しかしあれだけ拒んでいたのに、どういう風の吹き回しか。
構えて座る鬼灯をまじまじと見つめるが、その身からは何も読み取れない。
そして瞬き以外身動きすらしない鬼灯に、ヒサナはまさかと口を開いた。

「私からですか!」
「それ以外に何か」

構えてる様からまさかと思ったが、どうやらヒサナから還る手段を用いれと言うことらしい。
ヒサナは左右に視線を泳がせたあと、僅かに俯き平然と座る鬼を見上げた。

「一思いにやってくれないんですか」
「ヒサナが言った事でしょう。それにこれで最後になるかもしれないのですから、思い出作らせて下さいよ」
「えええ無理です!」
「ヒサナから是非。地獄門では出来たでしょう?」
「出来ましたけど!あの時は急を要しましたし余所事考えていられませんでしたからもう無意識で…!」
「今も全く同じ状況ですよ。悪いかもしれませんが」
「は?」
「こちらの話です。やるんですか、やらないんですか」
「や…やらせていただきます…」

鬼灯のあの状態を思えば、気が変わらない今のうちにとヒサナは腹をくくって膝で立つ。
摺り足で鬼灯へと距離をつめれば、膝立ちした姿勢で丁度いい高さ。

やるしかない。

ヒサナは意を決して広い肩にそれぞれ手を置く。
鬼灯は身動ぎもしないで見つめてくるままで、恥ずかしさのあまり居心地がいいとも言えない。

触れるだけでいいのだから。

口の端でも。
少しでも行き交う道が出来れば事を成せる。
そう言い聞かせながら目を閉じ、そっと唇を寄せ鬼灯に口づけた。

が、心持ち新たに望んでもヒサナの身体は内に溶けなかった。

「あれ?なんで…」
「やはり、こうなりましたか」
「白澤様以前、私がその気で望んだから元に戻れたって…確かに前は還れたのに…!」

地獄門ではヒサナの想いにより、きちんと鬼灯の中に還れた筈だ。
完全に還れたからこそ、鬼灯が自分を引き摺り出したのだと白澤は確かに言っていた。
それなのに戻れなかった事に狼狽えるヒサナの頬に手を添え、鬼灯は彼女の視線を強制的に自身へと向けさせた。
唯一心当たる手段が叶わず、ヒサナは瞳を揺らしていた。

「いえ、白澤さんが言った通りですよ」
「なんて…?」
「今のヒサナでは還れないと言うことです」

そう告げられながら、頬に添えられていた鬼灯の手が首筋を滑り肩へ降りたかと思うと、グッと力を込められヒサナはたまらず後ろへと倒された。

背中に当たった固めの寝台の発条が、僅かに音をたてて弾む。

「できれば、したくなかったのですが…やむを得ません」

天井を背にした鬼灯が、残念そうに眉を寄せている。
肩を押さえつける手の力は変わらず、ヒサナを抑え込んだままだった。

20150205

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