共死火

「ヒサナ!」

何度呼び掛けても、体を揺すってもヒサナの返事はない。
鬼灯の腕の中でぐったりとしており、顔色は蒼白で呼吸はか細い。
鬼灯の背筋を冷たいものが走り、恐怖から瞳を揺らがせた。

「…っ!ヒサナ!!」
「動かすな!首の骨は?」
「折ってませんよ!」

突然の出来事に駆け寄った白澤が二人の横に跪き、神眼を凝らす。
確かにヒサナの首に異常は見られない。
が、目の当たりにした状態に白澤は拳を思い切り床に叩き付けた。

「そうか…どうして気付かなかった…っ!」

白澤の食い縛った歯が鈍い音をたてる。
その隣で、鬼灯は仰向けに抱いたヒサナの頬に手をやると顔をしかめた。
ヒサナの手を取るもやはりその違和感に首を捻りながら、今度は彼女の首筋に手を添えた。

「…低い?」

まさかと思い、次いで自身の首にも手を添えさせる。

ヒサナは鬼火の為、そこらの鬼や動物達よりも体温が高い。
なのに今は、どうしたことか。
鬼灯と変わるか変わらないくらいか、然程差も感じられないほどに体温が下がっていた。
先程腕に爪を立てられたときは逆上して気付けなかったが、鬼火にとってこれは低すぎるのではないだろうか。

「ヒサナはどうしたんですか」

ヒサナの頭部を胸に抱き寄せながら、狼狽えている白澤を教えろと威嚇する。
白澤は睫毛を震わせ、瞳だけ鬼灯に向けて小さく口を動かした。

「ヒサナちゃんが、こうなったことは?」
「なってたらとっくにお前のところに担ぎ込んでる。…そういえば倒れる前にヒサナが『また』と」
「前から前兆はあったのか…くそっ」

ガリガリと頭をかきむしる白澤は、一人納得している様子で鬼灯にはまだわからない。
状況を理解できずに居て忌々し気に睨み付けてくる鬼灯を他所に、白澤はぶつぶつと何かを考えていた。

「何で気付かなかったんだ、ホント馬鹿じゃないの…」
「何が」
「わからないのかお前」
「だから教えろと言ってるんです」
「あぁもう、だから遅くなったんだ!」

屈んでいた腰をあげ、白澤が吠える。
しかし鬼灯にはなんの事だかさっぱりわからず、思い当たる節もない。
未だ理解できていない鬼灯に、今度は白澤が腹立たし気に彼を見下した。

「ヒサナちゃんを、欺けるわけなかったんだ」

白澤は自らの不甲斐なさにも拳を震わせながら、再び傍らに跪く。
鬼灯の腕の中で横たわるヒサナに手を伸ばすが、それは抱いている鬼の腕によって防がれてしまった。
触るなと、身を捻って全身で拒絶する鬼灯が白澤からヒサナを僅かに遠ざけた。

「どういう事ですか」
「お前も自分の事で精一杯で本調子じゃなかったから、気を配れなかったんだろ」
「だから、何が言いたい」
「ヒサナちゃんは鬼火だよ?怨念を糧とする彼等が、お前の募らせてる怨念に気付けなかったと思うか?」

鬼灯はヒサナに悟られまいと、許容範囲をとっくに越えている怨念を圧し殺してきた。
その為にヒサナに気付かれる事なく、今日まで過ごして来たのだ。

「気付いていなかったと思いますが。それはヒサナが知っていたと言いたいので…」

違う。
白澤の言わんとしていることに気付き、鬼灯は口をつぐんだ。

「まさか、」

白澤は言った。
ヒサナに、この怨気に本当に気付いていないのかと。

「気付けていないから、問題だと言うんですか」

あの時ヒサナはわかっていない様子だった。
鬼火であるヒサナが餌である怨念に反応出来ていなかったとしたら、それが既におかしいということになる。
つまり鬼灯と時を同じくして、ヒサナにも異常が出ていたと言うこと。
白澤は振り返ると、ヒサナに触れられなかった手で鬼灯を指差して閻魔大王を呼んだ。

「閻魔大王はわからないでしょ?」
「うん?何が?」
「ほらね。亡者だから気付けないだろうさ。お前に渦巻く怨念は普通は見えないし感じない。桃タローがお前の怨気にあてられても、わからなかったみたいにね。だけど神獣である僕や、それを糧とする鬼火のヒサナちゃんは違う」

言われて閻魔大王は目を凝らして鬼灯をじっと見るが、それでも何の変化もない。
首を傾げるているが、大王はこう言ったものを敏感に感じ取れる事はない。
業に携わっている分其処らの亡者よりは幾何かの違和感は感じられるが、鬼灯の体調不良を気遣えたのは閻魔大王の稀に的確に発揮される勘だ。

「へぇ、本当は鬼灯君溢れ出ちゃってるんだね?」
「そ。ヒサナちゃんは怨念を察して感じる事が出来るんだから、そもそも隠すなんて無理な話だったんだ。お前の内の鬼火も怨念も、ヒサナちゃんには手に取るようにわかるんだから」

確かに今までは鬼灯が怨気を募らせれば、ヒサナが反応していた。
地獄門でも、お礼参りに極楽満月を訪れた時も、ヒサナは鬼灯の僅かな変化をも敏感に察知していたと鬼灯は思い返す。

「なのにヒサナちゃんに隠す事が出来たって事は、ヒサナちゃんが怨念を感知できないくらい弱ってたって事さ」

弱る、という単語に鬼灯は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
そんなもの、思い当たる事は一つしかない。

「…還れていない。という事は、」
「そうさ。お前が消化出来てないってことは、ヒサナちゃんも怨念を食べられてないって事だ」

鬼灯は腕の中で眠るヒサナに視線を落とす。
改めて自身の怨念から視点をそらして見てみれば、生気が薄れているようにも感じる。
生気が無いという事は、鬼火の火が弱まっており、即ち糧である怨念が枯渇していることに他ならない。

「どうしてお前が処理できないってわかったときに、気付いてあげられなかったんだ僕は…っ」

この鬼も参っている今、真っ先に気付いてあげるべき立場であったのに。
奴の暴走を防ぐ手立てにばかり重点をおいてしまい、その処理しきれていない怨念を今まで抑えられたのはヒサナが食べていたからであるという根本的な事を失念していた。
それに早く気付いていれば、彼女が倒れる事もなかったかもしれない。

「つまり、ヒサナは怨念が枯渇して力が出せないという状態ですか」

ヒサナの肩を抱く鬼灯の指に力が込められたのが見てとれた。
白澤は少し思案した後、真っ直ぐに鬼灯を見据えて口を開く。

「力がっていうより、死にかけてるって思ってくれた方が的確だな」

彼等の命の源である怨念が足りないのだ。
非常に危険な状態であると見た方が正しい。

「…ヒサナを、私のなかに戻せば、彼女は助かりますか」
「さっきまではな。彼女の意志があれば還れたかもしれなかった。けど、今の状態のヒサナちゃんじゃ無理だ。お前に還る…憑依するのも難しいだろうね。今更決断しても遅いんだよっ!」

白澤の言葉に、鬼灯は悔しそうに下唇に牙をたてる。
鬼灯が苛立ってるのはこの法廷にいる誰もがわかった。
しかしそれはこの場の者ではなく、自身に向けられていると言うことも。
何だかんだ言っていたが、いざ彼女の消滅が現実の物となれば躊躇している鬼灯に、白澤は苛立ちを隠せない。
後悔するなら、始めから彼女を第一に考えていれば良かったんだ。

「私は、どうすればいいですか。白澤さん。鬼火を集めてくればヒサナは目を覚ましますか。それとも、人の怨み立ち混む霊場にでも連れていけばいいですか」

この鬼なら、本当にあの世とこの世中の鬼火をかき集めてくるだろう。
現世で一番強力な霊場に赴くだろう。
しかしそれらを、白澤は鼻で笑って一蹴りした。

「…お前さ、何でヒサナちゃんが変化できるのか考えたことある?」

不思議そうな視線を寄越す鬼灯に白澤は呆れた様子で手を払ってみせた。

「いくら僕でも、鬼火が変化して姿を成すなんて聞いたこと無い。怨みの塊である鬼火がヒトガタを取る必要なんて無いだろ?それが何で出来たかって。ヒサナちゃんはお前の怨念を喰らってたからさ」

強く深い怨み辛みを。
地獄で閻魔大王に次ぐ実力であり、つまり地獄一の鬼神である鬼灯を拠り所にしていたのだから。

「強い怨みを抱くお前の鬼火だったからこそ、そして更に別の個体以上にお前の怨念を食し、力をつけて昇華されたんだ」

それが鬼火ヒサナなのだとしたら。

「ヒサナちゃんは、お前以外の怨気は食べられない」

契約主であるのは勿論、もし他の鬼火が他者でも食せたとしても、彼女が糧にしていた怨気の質があからさまに違うので、下手に用意しても受け付けられないだろう。

「今の現状通りさ。お前がいなきゃヒサナちゃんは生きられないし、ヒサナちゃんがいなきゃお前も生きられない。風前の灯火なんだよ、お互いにな」

あの日、ヒサナ達に見つけてもらったあの日から。
独りでは生きられない者同士、鬼灯と鬼火達は共生してきた。
その中でもヒサナの食欲が飛び抜けているので、彼女が欠ければ鬼灯は悪鬼と化す。
ヒサナも鬼灯の質の高い怨念でなければ、最早生きることは難しい。
白澤の言う通り、共にあれなければ死んでしまうのだ。

「…では、何故ヒサナは食欲不良に陥った…?」

怨気を糧とする鬼火が怨気を食べたくないなどと、これまた聞いたこともない。
食べなければならないものを食べたくないとは、どういった症状なのだろうか。

「ん…これは僕の推測だけどね、ヒサナちゃん、胃もたれおこしたんだと思うよ」
「…は?」

呆けた声を上げた鬼灯に、白澤はムッと口をへの字に曲げた。

「冗談でも何でもないからな。ちょっと考えてたんだ。お前が悪鬼に堕ちた時にヒサナちゃんを求めたのが何よりの証拠だ」
「…どういうことですか?」
「悪鬼に堕ちたお前の衝動は本来怨みの根元に向けられるはずなのに、それがヒサナちゃんに向いた。つまりお前の怨念の中には、今やヒサナちゃんへの想いを含む物が深く根付いてるのは確かだ。純粋な怨念を喰らう鬼火にとって、自分へ向けられた好意が混ざった気なんてどうだと思う?」
「まさかそんな」
「一概に違うとは言い切れないんじゃないの。食欲不良の時期と、お前が好意を自覚した時か、告白した時期とか考えてみろよ」

一致する。
よく覚えている、考えるまでもない。
盂蘭盆祭りの時にあれだけ食べていたヒサナが、揉めて還した後に呼び起こした数日後の翌朝にはもう白澤に食欲不良を相談していた。
還している間に鬼灯の気持ちも整理もついた。
その間に、既に流れがヒサナに向いていたとしたら。
有り得ない話ではない。

「そんなことが…」
「知らないの?愛する旦那の遺伝子がアレルギーだった妻とかいるんだよ。妊娠大変だったんだって」
「あ、それ知ってます…って、お前とのんびり話してる暇は無いんですよ」

とにかくヒサナをどうにかしなければ。
亡者や鬼とは違い、魂を持たず怨みの念から生まれた彼女がこのまま辿る末路は消滅。
まだ姿を成しているが、いつ消えるともわからない。

「今はまだ辛うじて大丈夫だよ。鬼火を急激に酷使し過ぎて貧血起こしてるみたいなものだから。今は、ね。危ない状態には代わり無いけど」
「何も状況は解決してないのに、どうしてそんなに落ち着いてられる」

気付けなかった事にたいして怒りは見せていたが、先程から一度も白澤は焦りを見せない。
神様のペースで鬼灯も話していたが、そんなことをしている場合ではないとヒサナを抱き上げる。
そんな鬼灯の肩に、白澤は手を置いた。

「どこ行くんだよ」
「離せ。お前には関係ない」
「闇雲に抗ってみるだけ?それは得策とは言えないなぁ」

白澤の含みを持たせる言い方に、鬼灯はヒサナを抱え直して睨み付けた。

「何か方法があるような口振りですが」
「どうかな…お前次第。ヒサナちゃんの為ならなんだって出来る?」
「そのつもりですが」
「手段にも、上手くいかなくても、文句言わない?」
「だから、何を」
「一つだけ方法があるかもって言ったら…お前、信じる?」

険しかった目元を見開いた鬼灯を意思ありと見て、白澤は笑う。
閻魔大王をチラリと目の端に捉えた後、鬼灯に耳を寄越せと手招いた。
嫌な顔をして耳を差し出す鬼灯に、僕だって嫌だよと舌打ちしながら手を自らの口許に添えた。

「あのさ、房中術って知ってる?」

20150201

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