千尋の谷

「小判さん?」

扉をあけてキョロキョロと見回すが、従業員通路には誰もいなかった。
不思議に思い、気のせいだったかと室内に戻ろうとすれば「下ですよ」と声がする。
そうしてすぐに渡された墓石デザインの名刺を読み上げヒサナは首をかしげて見せると、二本の尻尾をゆらりと揺らしながら、猫又小判は手でごまをすりながらニコニコと笑った。

「はーい小判と申しますにゃ。初めまして」
「あ、知ってますよ小判さん」
「みゃーそんなにわっちは有名ですかにゃ」
「いえ、奪衣婆さんのヌードを納めた方ですよね?」
「ぐっほぉ…何故その事を…」
「初対面を良いことに猫を被ったって無駄ですよ。ヒサナさんは私の中で全部見てますからね」

ヒサナの背後から聞こえた低い声に総毛立たせ尻尾を下げた小判は、恐る恐るヒサナの後ろに目をやる。
ヒサナも気付いて身を壁際に寄せると、冷たく猫又を見下ろす鬼灯が立っていた。

「な…何故ここに…」
「何故も何も私の部屋の扉をノックしたのは貴方でしょう。小判さんこそ閻魔殿の従業員通路まで、どこから入り込んだんですかねぇ?」

ぎらりと光る鬼の眼に卒倒しそうになるが、小判は冷や汗を堪えてなんとか笑顔を取り繕うとヒサナの足元にすりよった。

「細かいことは良いじゃにゃいですかー。ねぇヒサナさん〜一言だけでもコメントくださいにゃ〜」

渾身の猫なで声で愛想を振り撒く小判だが、彼の悪行の数々をぼんやり知っているヒサナは困った顔をして笑うしかなかった。
そしてそんな小判の行動を黙って見ていられないのは鬼灯だ。
目を見開き腕を伸ばすと、ヒサナの足首に尻尾を絡み付ける小判の首根っこを掴み高々と掲げ上げた。

「だから、媚を売ろうと無駄だと言ってるんですよ」
「ほ…鬼灯様、流石にそれは可哀想ですよ」
「猫であることに託つけて…羨ましい」
「うらや…にゃ…?」

鬼灯の不機嫌の理由がなんとなくわかったところで小判を助けようとヒサナは手を伸ばすが、鬼灯の高身長プラス腕の長さにより2メートル以上の領域には掠りもしない。

「あ、その必死な姿いいですね」

なんて鬼灯に言われて驚いて手を引っ込めると、鬼灯はその高さから無情にも小判の手を離したのでヒサナは小さな悲鳴を上げる。
が、流石は猫。
そんな高さを物ともせず、くるりと着地すると何事もなかったように喉元を擦っていた。

「すごい…」
「感心している場合ではありませんよ。そろそろ出ないと遅れてしまいます」
「あ、そうでした」

鬼灯はヒサナを促し一度部屋へ戻ると、金棒を担いで出てきた。
出掛ける様子の二人にこれはいいタイミングなのではないかと、ぎらりと目を光らせた小判は歩き出した二人の横をちょこちょこと並走する。

「みゃーこれからデートですかにゃ?」
「そうだったらどうします?」
「是非とも独占密着取材させて欲しいにゃ〜」
「ちっ…違いますよ!これからお香さんに会いに行くんです…!」
「お香…ってーと衆合地獄の主任補佐かにゃ」
「そうなんです、やっとお話しできるんです!」

ヒサナは目を輝かせて嬉しそうに笑う。
鬼灯の中で見ていた時から、いつか話してみたいと思っていた人だ。
盂蘭盆祭りでも少しだけ会えたが、その時はまだヒサナの事は伏せられていたので初対面のふりをした。いや実際初対面だったのだが。
そんなお香の方から話があると言われて、今日は衆合地獄の甘味処で待ち合わせをしている。
嬉しい反面、電話越しのお香の声は深刻そうでしたと鬼灯に言われており、何の話しかと不安も募る。

「では失礼します」
「みゃーひとつだけ!一つだけ答えてくだせぇにゃ!」
「くどい」

凄みながら目を見開いて小判を見下ろすのでヒサナも肩を震わせたが、それ以上に身をこわばらせたのは鬼灯からの虐げを身をもって経験してきた小判だ。
勢いよく後退り壁に背を預けた小判だが、そこで引き下がれないのが記者魂。

「鬼灯様はヒサナさんのどこに惹かれたんですにゃー!」

鬼灯はそれに答えることもなく、その声は虚しく廊下に木霊した。




「ごめんなさいねぇ鬼灯様。忙しい時期に御呼びだししてしまって」

頬に手を添え、申し訳なさそうに微笑むお香に鬼灯は静かに首を降った。

「いえ、ヒサナさんを連れ出す良い口実になりました」
「それ本人横に置いて言いますかね」
「こんなバタバタしていなければ、どこへだってつれ回したいですよ」
「私は外出するより寝ていたいです」
「フフ、仲がよろしいんですね」

お香にそう指摘されてヒサナは膝の上で手を握って俯く。
照れるヒサナに満更でもないようで、鬼灯はそれ以上追言しなかった。

「それで、お話というのは?」

注文した白玉善哉を漆塗りの匙で掬って口に運びながら、鬼灯はお香に問う。
お香も呼び出した手前伝えたいと思うのだが、切り分けた葛餅に手をつけずに竹楊枝を皿に添えると、一度店内の様子を気にかけた後に小さく口を開いた。

「先日の記者会見の内容ですが、アタシも拝見させていただきました」
「お騒がせしてます」
「いいえ。鬼灯様がどうして鬼になられたのかは、小さい頃にお伺いした事がありますから存じておりましたが、ヒサナさんの事はなんにも気付かなかったわ。盂蘭盆祭り以来ですねヒサナさん」
「あっ、こちらこそご挨拶が遅れました。改めまして鬼火のヒサナです。いつも鬼灯様がお世話…に?なってます」
「あ、それ家内みたいでめっちゃいいですヒサナさん」
「めっ…なんてこと言うんですか!」

耳まで真っ赤にしたヒサナが餡蜜スプーン片手に立ち上がり吠えたが、鬼灯は相手にせず白玉を頬張った。
どうしてやろうかと考えていると、口許に手をあてクスクスと笑うお香の声が聞こえたので、ヒサナは人前であったと慌てて席についた。

「すみません…」
「いいえ。通りで鬼灯様が嬉しそうにお祭りを回ってたわけだわ」

お香の中で合点が行ったようだったが、ヒサナは毎年の事ではと首を捻る。
そんなヒサナに、お香は楽しそうなのと嬉しそうなのは微妙に違うんですよと小声で教えてくれた。
長年の付き合いが成せる洞察力なのだろう。
しかし鬼灯に「お香さん」と低い声で咎められると、お香はあらごめんなさいねと面白そうにしながらもそれ以上何も言わなかった。

「お話を戻しますね」
「お願いします」

水を一口喉へ流してからお香は改めて姿勢を正す。
鬼灯は善哉を食べ進めるが、ヒサナは何事だろうかと蜜豆を咀嚼して飲み込んだ。

「鬼灯様の考えもね、何となくわかるんですけど」

お香はその続きを言い辛そうに視線を泳がせたあと、手をテーブルの上で握りしめた。
恐らくお香が話しているのは報道の事だろう。

「それにしたって突然すぎましたわ。心の準備ができてなかった方たちはなんて思うかしら」
「どうせ出るならと先手を打ったつもりでしたが、甘すぎましたかね」
「甘いと言うか…そうねぇ、現実をそのまま受け止められる人ばかりじゃないんじゃないかしら」

鬼灯とお香のやり取りにちまちまと餡蜜を食べ進めていたヒサナだったが、話しが飲み込めずスプーンを軽く食む。

「あのーなんの話ですかね…?」
「要は、ヒサナさんと鬼灯様の関係のことをよく思ってない娘がいるってことよ」

潜めた声音で告げられた答えに、ヒサナは驚いて声を上げるが、回りの客に何事かと注目されたので、口を手で塞いで一旦落ち着いてからそっと口を開いた。

「…いえそもそもお付き合いしている訳ではありませんしポッと出の私なんかがどなたかのお怒りを買ってるようでしたら謹んで身を引きま痛い痛い!」
「馬鹿ですか?私よりどこぞの馬の骨を優先させるつもりですか」

鬼の剣幕で睨まれ頭をグッと鷲掴み抑え込まれるが、負けじとヒサナも頭を上げる。

「だって誰かの反感を買って傷つけてまで側にいられないものなんじゃないですか」
「私の中に居たのにどこのドラマの受け売りですか。反対する親もいませんので問題ありませんよ」
「で…でも女性は怖いと聞きますし。私なんかが…」
「自ら行動しない方々を相手にする必要はありません」
「でもそんな方々に打ち勝てる自信が無いですよ」
「私の想い人だと言うことが最大の強みで勝ち組じゃないんですか」
「でも…」
「でももへちまもありません。…先程から見ず知らずの相手ばかり気にかけてますが、私の事はどうでもいいようですね」

低い、食器が振動に音をたてるのではないかと思うほどの低い声にヒサナはしまったと口をつぐむ。
チリッと禍々しい空気が鬼灯を取り巻くが、それに飲まれることなく鬼灯はヒサナを鋭い目で睨み付けていた。

怒らせてしまった。

今更後悔しても遅いが、こんなにあからさまに怒気を向けられたのはそれこそ祭り以来かもしれない。

「…お香さん、ご忠告ありがとうございました。気を付けてみます」

鬼灯は立ち上がり勘定をテーブルに置くと、ヒサナに目もくれず立ち去ろうとするので慌てて後を追おうとテーブルに手をかけるが、鬼灯は足を止めて僅かに顔をこちらに向けた。
しかし、それはヒサナにではない。

「お香さん、この後お時間頂いても宜しいでしょうか」
「ヒサナさんを閻魔殿まで送れば良いのね?でも、鬼灯様が離れない方が良いと思いますけど…」
「お香さんが側にいれば手荒な真似は出来ないでしょう。多少は目を瞑ります」

そう言いきると、今度こそ鬼灯は暖簾をくぐり店を後にした。
その背を見送ってしまったヒサナはそろりとお香を見やると、彼女は困ったように肩を竦めたのでヒサナも成す術なく席に戻った。

「すみません…お忙しいのに私のせいで」
「大丈夫よ気にしないで、ついでに書類届けちゃうから。…不安そうね、置いてかれたのは初めて?」
「…迷子になった事と、置いていったことはありますけど」

自らの意思で離れたことはあったが、鬼灯の方から放り出されたのは初めてだ。
側に居るのが当たり前だった分、どうしてよいかわからずヒサナは途方にくれた。

「とりあえず、食べ終わったらすぐに帰りましょう。アタシじゃ鬼灯様ほどの防護力は無いけど、可愛い娘には旅をさせたいみたいよ」
「はぁ…要するに自分がどれだけ守ってもらってるか、身をもって思いしれの刑に処されたわけですね」

どこの地獄かしらそれはと微笑むお香に、ヒサナはいつの間にやら空にした餡蜜のガラスの器を手で包んだ。

20140923

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