火蓋

こうも隣を歩く人が異なるだけで違うものかと、ヒサナは別の種類の視線を感じるようになった。
それは鬼火にとって心地良いような、まだるいドロリとした類いの思念を伴うもの。
幸い詳しくは読み取れないが、『どうしてあんたなんかが鬼灯様の』といったものだろう事だけは容易く感じ取れる。
そういった怨みの念だ。

「大丈夫ヒサナさん?」
「は、大丈夫です」

時折ヒソヒソとこちらを見ながら話す人々をチラリと見かけながら、閻魔殿への道を歩む。
衆合地獄は女性の獄卒が多いと聞いたが、鬼灯が多少は目を瞑りますと言っていたのはこういうことかと、ヒサナはまた若干背を丸めて道を行く。
鬼灯の前では、陰口など叩こうものなら返り討ちに合うだろうと口にする者は居ないが、鬼灯が側に居ないのであればそれを案ずる事もないのだ。
視線が痛いとは正にこの事と、ヒサナは思い知るばかりだった。

「大丈夫よ。さっきも言ったけど鬼灯様ほどの防護力はなくても、ここの主任補佐のアタシがついてるんだから面と向かって言われたり、取って喰われたりする事は無いわ」
「ありがとうございます」
「いいえ。こんな事になってるからお気をつけてとお伝えしたつもりだったんだけど…どうして置いてかれたか分かりますヒサナさん?」

隣を行くお香が顎に綺麗な指を添えて小首を傾げる。
仕草一つでこうも女性らしさが出るのかと頭の隅で感心しながらヒサナは頷いた。

「はい、鬼灯様を怒らせたからです」
「どうして怒られたか分かります?」
「鬼灯様の事を考えなかったからでは?」
「うーん、半分正解かしらねぇ」
「半分不正解ですか」
「謙遜するのは日本人の良いところとも言うけれど、時には貴女を思ってくれている相手の事を否定する事になったり、傷つけたりしてしまう場合もあるのよ。覚えておいて」

つまり自分が釣り合わない退こうとした事が、鬼灯の気持ちを蔑ろにしてしまった訳か。
鬼灯は少なからずヒサナの事を思ってくれている。
ヒサナは返事をできていないのにだ。

「お香さん」
「何かしら?」

お香は鬼灯の幼馴染みであり、良識な女性であり、ずっと話してみたいと思っていた人。

「異性を好きになるって何でしょうか。人として尊敬して好きになるのとは違うみたいなんです」

未だよくわからない感情。
私の反応を見て鬼灯様は時折嬉しそうに構うが、私が鬼灯様に見せる態度は意中のその人に見せる様なのか。
白澤様や桃太郎さんに同じように遭遇しても、同じような反応をする自信がある。

「そうねぇ」

お香は腰帯になっている片対の蛇の頭を撫でながら、柔らかく微笑んでヒサナを見た。

「見返りを求めないのが愛だって言うけれど、人それぞれで難しい問題じゃないかしら」
「見返り…」
「ずっと側に居たい人達もいれば、離れていても思い合うだけで満たされる方達もいるわ。これ、っていう形は無いんじゃないかしら」
「難しいですね…」
「一番多いのは、この人が良い、この人じゃなきゃダメだーって思うみたいだけど」
「そう、この周りの方々も鬼灯様に抱いてるわけですよね?」
「まぁ、そうなるわねぇ」
「難しい…」
「ごめんなさいね、答えてあげられなくて」

申し訳なさそうに謝るお香に、とんでもないですとヒサナは首を降った。
答えが欲しかったと言うより、口に出したかったと言うか相談したかった。
何でも良い。少しでも情報がほしい。
しかし一方通行ではダメなのに、互いに思い合えるのなんて希なんじゃないかと思えてきた。
ヒサナを睨む彼女達も、鬼灯を想う者。
鬼灯が自分絡で白澤に向ける視線の立場を味わっているわけかと、ヒサナは一人納得する。

「まぁ…痛感いたしました」

想う力とは、なんと強かなのだろうかと。






「ただいま戻りました」

お香が鬼灯と書類をやり取りする傍ら、何か二言三言交わすのを遠目に眺め、お香が後は頑張ってねと目で語って退室したあと、書類に目をやったまま一瞥も寄越さない鬼灯に向かってペコリと頭を下げる。
鬼灯は今気がつきましたとでも言うように、ボールペンの頭を顎に添えてこちらに目をやった。

「何か用ですか」

ぎゅうっと胸が痛むが何だろうかと胸元に手を添えながら、ヒサナは不貞腐れながら鬼灯に負けじと口を開いた。

「社会科見学、ありがとうございました」
「いかがでしたか」
「大事に囲っていただいているのがよくわかりました」
「品行方正までは養えませんでしたか…その通りにしてやっても宜しいのですよ」

鋭い眼光にヒサナがうつむき着物の裾を握ると、鬼灯はカタリとペンを机に置き目頭を指先で掴んで大きなため息をついた。

「もう下がっていただいて結構ですよ」
「何処に下がれって言うんですか」
「あぁ、そう…ですね。私の部屋へ先に戻っていてください」

息を吐きながら一気に言い切る仕草は、以前にも覚えがある。
内に渦巻く苛立ちを堪えているのだ。
盂蘭盆祭りの後に、鬼灯に同じように聞かされたのも記憶に新しい。
あの時は頭に血が上って反論したが、今はヒサナも距離を置いた方が良いだろうと判断し、追言はせず素直にうなずき背を向けた。

扉が閉まる瞬間『すみません』と小さな声が聞こえたが、今更開いて聞き返す訳にもいかずヒサナは暫く扉を見つめていた。

「すみません、今お手透きですか?」

今正に考えあぐねていた単語で声をかけられたので、跳び跳ねてすぐさま振り向けば、車輪を抱えた女が立っていた。



「助かりました、ありがとうございます」
「いえいえ」

ヒサナは段ボールと巻物を抱え、獄卒の女性と倉庫への道を行く。
手を貸して欲しいと彼女についていけば、先の通路で車輪の軸が折れた台車が隅に寄せられていた。
何故車輪?と思ったが、この有り様では抱えていたのも頷ける。

「鬼灯様の所に居なくて大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ」

彼女はこれから倉庫へ台車の中身を納めに行くところだと言うので、ヒサナはその量の多さに台車が壊れてしまっては独りで大変だろうと手伝いを申し出た。

「すみません、お仕事中では無かったですか?」
「今から部屋に戻るところでしたから」

嘘は言っていない。
部屋へ戻れとは言われたが、真っ直ぐ帰れとは言われていない。
手伝いを終えてから戻っても何の問題もないだろう。
仕事を気にするとはヒサナを獄卒だと思っているのだろうか。
自分の事を知らないとは、報道を見ていないのかと隣を行く彼女をちらりと見やる。
小柄で可愛らしく、礼儀正しい。
こういう人がモテるのだろうとヒサナは一人頷いた。

「つきました、ここです」

大きな扉が並ぶ、閻魔殿の奥に位置する各部署の倉庫郡。
幾つかの扉を通りすぎ、一つの巨大な扉の前で足を止めた。

彼女が懐から大きめの鍵を取りだし錠前に差し込むと、ガチンと内部で何かが跳ねる音が聞こえ、巨大な鉄の扉を一人で開け放った。
ヒサナが驚いて重くないのかと問えば、鬼ですから当たり前でしょうと柔らかく微笑まれる。
成程、怪力揃いの鬼にとって女性でもこの扉は容易いのかと鉄の扉を見上げながら納得し、荷物を抱え直した彼女に続いて中へ足を踏み入れた。

「私はハ列の棚に片付けてきますので、ヒサナさんはク列の棚にそれをお願いできますか?」
「わかりました」

二手に分かれ、棚に書かれたイロハを小走りに辿る。
少し誇り臭いだだっ広い倉庫を奥へと進んでいると、暫くして『ク』と表記された棚を見つけ、段ボールに記された通りの番号に箱を納め、巻物も直した。
整頓を終え、ヒサナが元来た道を戻れば、おかしな光景が広がっていた。

閉まっているのだ。倉庫の入り口が。

小走りに駆け寄れば途中で大きめの鍵が落ちていた。
それはさっきの娘が、開くときに持っていた南京錠の鍵。
そしてガチャンと、金属同士がかち合う音が扉の向こうから倉庫内にも響いた。
南京錠のかかる音だ。

「あ、あの、私まだ中にいるんですけど…」
「知ってるわよバーカ」

扉の向こうからは、先程まで親しげに話していた聞き覚えのある声。
しかし雰囲気は一変し、蔑むような声音であった。

「バカじゃないの?ノコノコついてきて」
「お香さんまで味方につけといて…普通警戒するんじゃないの?ねぇ」

一人ではない。扉越しに複数の女性の声が聞こえる。

「だ…出してください!」
「貴女の足元に転がってる鍵がないと開かないのよ」
「閻魔殿て古いじゃない?なんだか特殊な細工の鍵らしいから、開けて貰えるのはいつになるかしらね?」
「ていうか叫んでも、扉が分厚いからさっきから小声でよく聞こえないのよね」
「どうしてこんな…!」
「どうして?鬼灯様に手を出すからよ」

彼女達の主張に、ヒサナは扉の向こうにいるであろう彼女達に眉根を寄せた。

「鬼灯様があんたなんか選ぶと思う?」
「勘違いしないで。鬼灯様が貴女の相手をするのは、鬼火の貴女を繋ぎ止めておくためよ」
「思い上がらないで。あんたの事なんか、誰も気にかける筈無いじゃない」
「ほんと…鬼灯様はこんなやつのどこがいいのかしら」
「鬼灯様が来てくださったとしても、それは鬼火が居なくなったら困るからよ?」

ヒサナが黙っているのを良いことに、次々と一方的に言いたいことだけ捲し立て、満足したのかそれじゃあねと去る気配がする。
中から拳で扉を叩くが、重々しい鉄の扉はヒサナの力ではタンタンとしか響かなかった。

まさかの展開にサッと血の気がひく。
だって誰が監禁しに来ると思うだろうか。
困っていたら助けるだろうと思い返している最中、ふと過った考えにヒサナは息を止め、扉を見上げた。

このヒサナの前に立ち塞がる、何メートルもある重厚な鉄の扉。
軽々とそれを開け放った彼女は鬼だからだと笑ったが、だったら台車のあの量の荷物も一人で簡単に運べたのではないだろうか。
そう言えばあの女獄卒は、鬼灯の側を離れてもいいのかとヒサナに聞いてきた。
名乗ってもいないのに、棚の場所を教わったときに『ヒサナさん』と名を呼ばれていたではないか。

「ぬかった…!」

やはり知っていたのだ。
初めからヒサナの事を。
全て作戦の内だったのだろう。狙い通りまんまとノコノコついてきた愚か者は自分で、さぞ滑稽だったことだろう。

ヒサナは鉄の扉にゴツンと額を押し合て、目を閉じる。
分厚い鉄の扉、鬼火を集中させれば穴くらい開けられるだろう。
今度はそっと扉に手をついて、辺りを見回す。
書物の保存のためか、余計な光が入らないよう倉庫内に窓は見当たらないが、通気孔は幾つか確認できる。
変化を解き、鬼火に戻れば脱出も容易いだろう。

しかし、ヒサナはそのどれをも行う気にはなれなかった。

『鬼灯様はヒサナさんのどこに惹かれたんですにゃー!』
『ほんと…鬼灯様はこんなやつのどこがいいのかしら』

さっきの女達の言葉に、ヒサナは何も言い返せなかった。
確かに想いは告げられたが、何故自分なのかは鬼灯から聞いていない。
彼女達の言うように、鬼灯が自分をそんなに想ってくれる理由が、ヒサナにも答えられなかった。

鬼灯に対する気持ちのモヤモヤがわかった気がして、ヒサナはずるずると扉に背を預けて座り込んだ。

「わからないよ…」

鬼灯の気持ちも、自分の気持ちも。

ヒサナは背中越しに扉の金属の冷たさを感じながら、その場に身を横たえ、忘れていた睡魔に身を委ねた。

公開20140926
復元20141109

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