黒い焔

カガチのような目だと、以前白澤は鬼灯の目を形容したことがある。

赤く血走った大蛇の目が、赤く熟れた鬼灯の実と酷似しているため、ヤマタノオロチの目を昔の人々はそう形容した。
昔は鬼灯も蛇もカガチと称された為である。

普段から鋭い目付きの鬼灯だが、ヒサナを捉えた瞳は正にカガチのように赤く血走っていた。



滞空している烏天狗を足場に、鬼灯は目にも止まらぬ速さで地に足をつけると一直線にヒサナ目掛けて踏みきってくる。

いつもの鬼灯じゃない。

ヒサナは足を止めることは無かったが、あまりの凶悪な面構えに一瞬怯んでしまう。
白澤は負担の増した繋いだ腕に舌打ちをすると、ヒサナを担ぎ上げて駆け出した。

「…!」
「何か言えよ怖いなぁ…もうっ!」

牙を剥き、無言で追いかけてくる鬼灯を巻くために白澤は全速力で疾る。
しかし鬼神の速さは、神獣のそれを上回っていた。
あっという間に後ろ向きに担がれているヒサナの眼前に鋭い爪が迫った。

捕まる。

震える手で白澤の肩を掴みながらそう思ったが、寸前の所でその手は宙を掴んだ。
鬼灯が突然の奇襲の為防御に徹したからだ。

「あらぁ鬼灯様、他の方に目移りしてる暇は無くってよ?」
「地に足つけていらっしゃるなら私達だってお相手できますわ」

牛頭が槍を鬼灯に向かって振りあげる。それを地に突き立てた金棒で防いだ鬼灯は、金棒を足場に宙に躍り出ると牛頭の頭部目掛けて右足を蹴り被った。
直撃を避けきれなかった牛頭が綺麗に横に吹き飛ぶが、鬼灯が着地する前の無防備な状態を逃さず、今度は馬頭が素手の鬼灯に突っ込みその身を壁に押し付けた。
言葉にならない声をあげて鬼灯がもがくが、馬頭も負けじと腕に力を込める。

「駄目よぉ。白澤様がいい案出してくださるまで私たちとお話ししましょう?」

にっこり笑う馬頭だったが、力はけして緩めない。
暴れる鬼灯にその言葉は届いていないようで、彼女を睨み付けるだけだった。



「あっぶな!何あれこっわ!」

牛頭と馬頭のフォローのお陰でやっとの事で地獄側の通路へ転がり込んだ白澤は、肩からヒサナをずり下ろすと壁に背を預けて咳き込んだ。
全力で駆けた彼の髪は、白く染まりかけている。
変化を解けば手が使えない分獣には不利であると考え人形を保ったが、半獣化までしかけなければ奴からは逃れられなかった。
鬼灯との付き合いは長く、よく打ちのめされてもいるが、今日の鬼灯に捕まったら何をされるか分からない。明らかにいつもの鬼灯ではなかった。
息を乱す白澤に、ヒサナは未だ震える手を伸ばす。

「だ…大丈夫ですか白澤様」
「ん、だーいじょうぶ。ちょっと奴の毒気に当てられただけ…どうしたんだアイツ…」

袖で顎を伝う汗を拭う。
辺り一体を取り巻いているこの禍々しい気は紛れもなく鬼灯が発している。
地獄の鬼、常闇の鬼神、閻魔の犬と呼ばれようと、こんなに毒々しい存在ではなかった筈だ。

深く肩を上下させながら、やんわりとヒサナの手を取り笑う彼の髪色はまだ白いそれのまま。
顔色も悪く見えヒサナは不安に瞼を震わせるが、白澤は少し休めば大丈夫だからと彼女を気遣った。

それは、現状を目の当たりにした彼女の顔色の方が悪く見えたからだ。ヒサナの方が、鬼灯のあまりの変わり様に惚けてしまっていた。
白澤は九つの瞳を通して解っていた事だったが、出来れば詳しい経緯を聞いて心の準備をさせてから会わせてあげたかった。

「ヒサナちゃんこそ、大丈…」
「白澤くーん!ってどうしたのその髪の色!」

白澤の声を遮った穏やかな声と共に、通路の奥から連絡を受けた閻魔大王が烏天狗につれられドカドカと姿を表した。
頬には大きなガーゼを貼っており、負傷している様だった。

「閻魔大王こそ大丈夫なの?薬いる?」
「ん?あーぁ大丈夫大丈夫。ワシ亡者だからすぐ治る…筈なんだけどねぇ、ちょっと治りが遅いみたいで手当てを受けたんだ」

頬を擦りながらなんでもないように言うが、治りに差が出るなどあまり無いことだ。
…原因が思い当たらないこともないが。

「誰にやられたの?」
「…鬼灯君」

その名前にヒサナが肩を跳ねさせて顔を上げる。
先程まで同じ名を聞いて極楽満月で顔を赤らめていた反応とは違い、明らかに何か怯えていた。

「どうしたの?ヒサナちゃん」
「あ…あの…」

白澤が案じるように握り締めた手に力を込めると、ヒサナは力なくその手を胸に抱いてすがった。

「ヒサナ?あれ、その名前」

ヒサナが口を開こうとすると閻魔大王がはてと首をかしげる。
大王の口から紡がれるはずのない名前に、白澤は眉を寄せた。奴は、彼女のことは一切口外していなかった筈だ。

「あれ、閻魔大王ヒサナちゃんの事アイツから聞いてるの?」
「アイツって鬼灯君?いや聞いたことないけど、ちょっと前に聞いたばっかりだよ。鬼灯君、ここに向かって部屋を飛び出す前に『ヒサナ、ヒサナ』って誰かの名前を呼んで探してたんだ」

君がヒサナさん?と閻魔大王に問われてヒサナは俯く。
それは、ヒサナの中の不安が確信に変わってしまったからだ。

「私…が…っ」

私だ、私がいけない。
鬼灯の元をこんなにも離れたことはなかったから、それがきっとこんな事態を引き起こしたのだ。
皆さんに迷惑を、鬼灯は一体どうしてしまったのか。

「こら、落ち着きなさい」

ぺちんと、両頬を白澤に叩かれる。
叩かれると言うよりは意識をこちらに呼び戻す程度、むしろ掌で包み込まれたといった方が近い。
ヒサナは目を泳がせながら顔を上げ白澤を見つめ返す。
白澤は幼子をあやす様に優しく微笑んだ。

「何か気づいたことがあったら、教えてほしいな」
「あ…わた…し…」
「アイツを元に戻す為には、少しでも多く情報が欲しい」

コツンとおでこを合わせて、白澤はヒサナと目をあわせる。
文字通り白澤は額の目をヒサナに合わせて、何かを探るようだった。

「アイツを見た瞬間から何か狼狽えていたのは、気迫にのまれただけじゃないね?どうしたの?」

白澤に見つめられ、ヒサナは目を反らせられなかった。
しかしそうした所でこの疑問は解決しないし、むしろ鬼灯の為にはこの知識の神様に相談した方がいいのかもしれない。
ヒサナは顔を歪めながら小さく唇を動かした。

「…鬼灯様、角があるんです」
「そりゃ鬼だからね」

何を言うのかと思えば当たり前のことを。
白澤は何か気になることがあるだろうかと首をかしげるが、ヒサナは違うんですと首を激しく横に降った。

「牙も…あと何故か爪も鋭かったんです。いつも邪魔だから切り揃えていらっしゃるのに…って違うんですそうじゃなくて…!鬼だったんです鬼灯様…私が、ここにいるのに!」

ヒサナは自らの存在を強調するかのように、胸に手を当てる。
白澤は、初めてヒサナに会った日の事を思い出した。
鬼火払いの薬の効果で、極楽満月で現化したヒサナに目を見開く鬼灯の身体は、完全に人の身に近かった。
どういう事だと掴みかかってきた奴の手を簡単に払い除けられたので、お互いに驚愕したことを覚えている。
あの後も何度かヒサナを伴った鬼灯に会ったことがあるが、鬼火であるヒサナが現化しているときは、鬼灯は角も牙もなく鬼ではなかった筈だ。

「そうか、ヒサナちゃんがここにいるのにそれはおかしな話だね」
「だから、最初烏天狗警察が総出で追いかけてるのが信じられなくて。力も、人のように非力になる筈なんです。なのに全力…いえ、むしろ加減をなさってなくていつもより荒ぶってらして…」

ヒサナが内に居ないのであれば牛頭程の巨体を蹴り飛ばす事も、
何より愛用の金棒すら振り回せない筈なのだ。
それを普段のように軽々とやってのけるあれは一体、何なのか。

「でも…紛れもなく、鬼灯様なんです…」

見間違える筈がない。あれは間違いなく、ヒサナが寄り添うと決めた丁であり鬼灯自身だ。

「あのー話が見えないんだけど、今の鬼灯君とこの女の子、何か関係があるの?」

閻魔大王がおずおずと手をあげて問うが、どう説明したらいいものか。

「…詳しい話はアイツに聞いて欲しいな。勝手に話して怒られるのヤだし、奴と関わりたくないし」
「んーそうかぁ…でもヒサナさんが鬼灯君と関係があるなら、なんとなく噛み合う気がするんだよね」
「何が?…そうだ、詳しい事を聞かせてよ」
「んー鬼灯君を起こしに行った時は角、無かったんだよね。それでどうしたのって聞いたら何かに気づいたみたいでヒサナさんを探し始めたんだ。一直線に天国に向かったんだけど、何か変だって牛頭馬頭に止められたら暴れだしたんだ」
「それ本当?」

角は初めは無かった。
確認するために白澤はヒサナに向き直る。
ヒサナも思い出すように視線を宙に向けるが、直ぐに白澤に向き直った。

「はい、私が昨晩現化したときは鬼灯様に角はありませんでした。睡魔に負けて、こう…額を私の肩に預けられたのですが、角があったら無理だと思いますので確かです」

身振り手振りで説明すると、白澤は何か思い当たるようで片膝を抱えて考え込んでいた。
そして、チラッとヒサナに視線を向ける。

「…ヒサナちゃん、いつから食欲無いんだっけ?」

突然、何故体調の話が出てきたのか分からないがヒサナは小首を傾げながらも素直に答える。

「お祭りの…あとくらいですけど…?」
「その間食べてた?」
「はい?」
「アイツの怨念」

一瞬何を言われているのか分からなかったが、その意味を理解するとヒサナは目を丸く見開いた。
白澤もその表情に確信を得たようで顔つきが険しくなる。

「いいえ…いいえ!多少は食べていたと思いますが、お腹が空かないので、普段より摂取は少なかったと思います…!」
「決まりだね」

白澤がヒサナの肩に手をかけると直ぐに立ち上がる。
ゆっくりと振り返り広間の方を見据えるが、馬頭がまだ堪えてくれているのか辺りはしんと静まり返っている。
話が未だ見えない閻魔大王は、二人を見比べていた。

「どういうこと?やっぱりヒサナさん、鬼灯君の鬼の力と関係あるの?」
「…ヒサナちゃんはアイツの中に住む鬼火だよ。ヒサナちゃんが出た時はいつも通りだった。でも奴の中では普段彼女が食べてる分の怨念が募っていた。許容を越えた自分の怨念を押さえる術がなくて呑まれて、奴は悪鬼に堕ちかけてるんだ」

白澤の導きだした結論に、ヒサナは泣きそうになる。
普段の鬼灯は憎悪を募らせようとも、ヒサナがそれを糧にしているので増幅することなくバランスよく己を保つことができていた。
それが近頃のヒサナの食欲低下により、均衡が崩れてしまったのだ。閻魔大王の傷の治りが悪いのはその為だ。

やはり自分のせいで、鬼灯は今自我を失っている。その事実にヒサナはふらりと立ち上がるが力が入らず、壁に手をついた。

『…外になんか出なければよかったんです』

以前、鬼灯が口にした言葉が蘇る。
その通りだ。私は鬼灯の中から出てくるべきではなかったんだ。

「…そんな顔しないで。体調不良は仕方がないよ」
「でも、私が出てこなければ、こんな事にはならなかった筈です…」

涙を瞳いっぱいにためて思い詰めるヒサナを見て、白澤はため息をつく。
女の子が泣いてる姿は見たくないなぁと、白澤は安心させる為にヒサナの頭を両腕で包み込んだ。

「私が鬼灯様の中に戻れば、鬼灯様は助かりますか…?」
「大丈夫。ヒサナちゃんならアイツを元に戻してあげられるよ」
「本当ですか?」
「奴がヒサナちゃんがいないって気づいた時も、広間を突っ切った時も、アイツの狙いはヒサナちゃんだった。悪鬼としては妖力として君を食べて取り込む為なんだろうけど、正しく帰れれば君はいつもの働きを担える筈だから」

そう言って白澤はヒサナから手を離す。
頬を伝う涙を指で拭いながら、白澤はヒサナに笑いかけた。

「君がちゃんとアイツの中に帰れるようにしてあげるから、僕に任せて?」

おまじない、と言って白澤はヒサナの額に口づける。
額に手を当て彼を見上げれば、白澤の髪色は既に黒く戻っていた。
20140814

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