消沈

天地左右暗闇に呑まれ定かではないのだが、確かに足は地を踏みしめている。
まさか、こんな真っ暗闇の中で意識が在るだなんて思っても見なかったのでヒサナは途方にくれる。
手のひらを見れば、光源など何も無いのにはっきりと見える己の四肢。
まだ闇冥処にでも居るのかとも思ったが、それにしては自分だけ見えるというのもおかしく闇火の気配も何もない。
何も感じられないそこは、矛盾するようだが無だけが有った。

死の終着地点のあの世である地獄で死ぬということは、消滅を意味する。
しかし何も、跡形もなく消え去るということではない。
現世で死んだ者は現世での己のまま彼岸へ渡るが、こちらで死ねば存在が次に引き継がれることはない。
消滅は、自己も記憶も無くなり魂がまっさらになること。
消滅した魂の行く末の事を、あの世で正式な手順を踏んだものであればそれを転生と呼ぶ。
刑場での罪の償いを必要としない神や鬼、妖怪物の怪の類いは、命途絶えたときに自然と輪廻に還るサイクルが出来ている。
つまり消滅とは、あの世をもって死としない類いの魂が転生と同じく現世に還る事を言う。

暗闇で目標物も何もないが、ヒサナは無意識に歩みだした。
そちらに行かなければならないことは、何となくわかった。
只ひたすら、無の中を進み続ける。
三途の川という概念が無いのは良かったのかもしれない。
川も橋も、渡るのは御免だった。
しかしヒサナは歩きながらふと考える。
川と橋の、何がそんなに嫌なのかよくわからなかった。



「いくんですか」



不意に手を引かれ、ヒサナは足を止めた。
見れば腰より少し低いぐらいだろうか、幼い男の子が手を伸ばしてヒサナの手を取っていた。
こんな小さな子が独りで迷子かと思ったが、すぐにその考えを改める。
ここに居るということは、自分と同じということだ。

「君も独りなの?」
「……」
「小さいのに大変だね」

ヒサナがかけた言葉に唇を噛み締めて俯く幼子は、相当無念なのだろう。
ここに居るということはこの子も妖怪の類いかと、不憫に思い黙りこんだ男の子に合わせて屈めば俯いていて短い黒髪に引き結んだ口許しか確認できないが、額には一つの小さな角。
鬼の子か、そういえば以前もこんなに小さな男の子の無惨な姿を目にしたことがあると思い当たったが、首をかしげる。

思い出せない、誰のことだっただろうか。

ヒサナは頭を撫でてやろうとして右手を伸ばそうとするが、この子が握りしめているので振りほどくわけにもいかず反対の手を頭部に添える。
男の子の肩から、ほんの僅かに力が抜けた気がした。

「あれ?」

じんわりとその手から伝わってくる僅かな温もりに、ヒサナは目を見開いた。
死後の世界のそのまた後であり、地獄とはまた対極にある生との狭間であるこの世界に、温もりなどとそういった概念があるわけがない。
生が産まれるこの場で灯っているということは、まだ彼岸で終わりを迎えてないということ。
つまりこの子の命の熱は、まだここに在るべき存在では無いということだ。

「何でここに居るの?」
「……」
「君がここに居たら、まだダメみたいだよ」
「……っ」

固く引き結んだ口元に呼応するように、腕を握りしめてくる力が増す。
やはり迷子なのだろうか。
キョロキョロと見回すが、暗闇以外に何も見えない。

「どこから来たかわからないの?」
「……」
「困ったなぁ…独りで帰れない?」
「…あなたが」
「え?」
「あなたがそちらにいくなら、いっしょにいきます」

絞り出された声にヒサナは困惑する。
男の子が指を差すのは、ヒサナの目指す方角。
転生を迎える、此岸の方向。
ついてくると言うのかと、慌てて否定の意味を込めて両手のひらを胸の前で振った。

「えっ駄目だよ!君は戻りなさい」
「いやです。ぼくひとりでいければよかったのですが」
「…寂しいの?」
「うまくいきませんでした…」

ヒサナの腕を掴む手とは反対の、小さな手のひらをぱっと広げて見つめ男の子は悲しそうに呟く。
何度も何度も、独りで試したのだろうか。
独りでこの暗闇をうろついて、何処にも辿り着けず途方にくれていたのだとしたら、ぽっと現れた誰かを恋しくなるのはわかる。
だからと言って、これから此岸に渡る自分に頼られついてこられるのは困ってしまう。
まるで自分がこの子を連れていってしまうようではないか。
この子の親も酷く悲しむだろう。
うまく帰れないと言うのならば、送ってあげようかと進んでいた反対側の闇を見る。
どちらに行けば良いか、なんとなく方角はわかる。
しかしそちらに戻るという気持ちを抱くだけで、胃から喉にかけて重苦しく吐き気に似たような感覚を催し酷く億劫になる。
戻りたくはない、しかし、魂の導き手である彼の火である自分が、迷子を放っていくわけにはいかない。

……誰の火だっただろうか?
……だれが火なのだろうか?

もやもやする。
が、それらを打ち払うようにヒサナは首を振った。

「うーん仕方ないなぁ…じゃあ、私が送ってあげるから」
「えっ」
「一緒にいってあげるよ、途中まで」
「…っ!とちゅうはだめです…!ちゃんとおくってください」
「う…でも私…」
「ついていくのがだめだというのなら、いっしょがいいです。ひとりは、いやです」

ぱっとあげられた表情が、ヒサナが続けた言葉でむっと歪んだ。
この子は誰かみたいなことを言う。
独りは嫌だの、側に居ろだのと。

さて、誰だったか。

その『誰か』を思い出さないといけないような気がするのだが、先程から脳は簡単に思考を放棄して通り抜けてゆく。
放棄しながらも、それでもヒサナは重い腰を上げて立ち上がった。

「わかったわかった。一緒にいってあげるから」
「…いいの?」
「うん、いいよ。ちゃんと送ってあげるから」

ただ送るだけだというのに、男の子は酷く安心したように肩を震わせ泣きそうに顔を歪める。
それ程に心細かったのだろう。
戻ることには物凄く気は進まないが、こんな姿を見せられてはやっぱり無理だと告げる事はできない。
送り届けたら、またここまで戻ってくればいい。
こんな小さい子なら仕方がないかと、ヒサナは軽めの溜め息をひとつついて歩いて来た道無き暗闇を引き返し始める。
先程まで歩いていたのとはうって代わり、一歩一歩の足取りが酷く重い。
闇か、それとも見えない何かが四肢にまとわりついてくるように怠い。
今にも背上がって来そうな、ぐるぐるとした気持ち悪さにも目を回しそうだった。
しかしそれよりも、この子を一緒に此岸へつれていってはいけないような気がした。
緩んでくる男の子の手を握り直して、必死に足を持ち上げ手を引いて進む。
いけないというよりは、ヒサナが嫌だった。
この子は、何としてでも彼岸へ戻す。

「あつっ」
「えっ!」

急に上がった叫び声に、ヒサナは慌てて振り返った。
途端に、鼻をつく生き物の焼ける臭い。
見れば繋いだ男の子の手からうっすらと煙が上がっている。
手のひらが、燃えているようだった。

「ごめんなさい!私鬼火だから!」
「…っだいじょうぶ」
「でも!」

ヒサナは微塵も熱くないと言うことは、自分が発している熱だということ。
咄嗟に手を離そうとするが、焼けるにも関わらずその子は振りほどこうとしても小さな手を懸命に握り返してくる。
離さないと言わんばかりに、喰らいついてくるようにしがみついてきた。

「へいき、ぜったい、はなさないで」

燃えたぎっているわけではないが、チリチリと手の内が燻る。
何故手のひらがこんなにも熱いのかヒサナにもわからなかったが、はっと目指す彼岸を見やる。
この世界で熱が備わっているわけがない。
熱は即ち命の火。
命が蝋燭によく例えられるのはこの為だ。
魂が火のように燃えるから、熱がある。
この子ならまだしも、自分に灯るとは一体何事かと小走りになりながら考える。
導き手として火を灯したのだろうか等と考えて、もやもやした認識に眉根を寄せた。

導き手とは誰の事だろうか。

そういえば先程咄嗟に口をついて出たが、自分が鬼火だと口走っていたが。
また暗闇に吸い込まれて終わりそうになる思考を一生懸命不審がり、脳に考えろと心で叫ぶ。

鬼火とは、導き手とは、誰?


「私……?」

そうだ、私だ、私の事だ。

ヒサナは走りながら己の手を見る。
意識すれば、その手はほどける様に火へと揺らいだ。

そうだ。
自分の事だ、自分が鬼火なのだ。
魂だけではなく本体が燃ゆる鬼火なのだから、命ある彼岸に近づけば自身に火が灯るのは当然の事。
ヒサナは顔をあげる。
自分は鬼火、怨みの火の妖怪。
鬼火に魂を導くなどというそんな大層な役目はないが、自分はあの人の、


鬼灯様の、鬼火だから。


今まで霞がかっていた物が一気に焼き払われたように、頭の中がスッキリしている。
そうだ、自分は鬼灯の鬼火だ。
数多の亡者を導いてきた彼の鬼火である自分が、迷子の幼子一人導けなくてどうするのだ。

気付けば次第に足が持ち上がるようになってきた。
あと少し、きっとこの場を抜けられる。
押し潰されそうな息苦しさも薄れ、ヒサナは振り返り繋ぐ手を強く握りしめ子どもに笑いかけた。

「絶対離さないで。一緒に、いこうね」

ヒサナの笑顔を見て、男の子がつられて泣きそうな顔のままで笑顔を作った。
ぎこちない、眉間に皺を寄せて泣くのを堪えて笑う姿が、滅多に笑顔を見せない誰かと重なる。

いつも眉根を寄せた切れ長の瞳の、黒髪の一角鬼。

ああ、思い出した。
この子は、遠い昔の日に見つけた幼子と、瓜二つなんだと。

20160319

[ 89/185 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -