不燃物

「起きましたか、おはようございますヒサナ」
「……」

目を覚まし、気だるげに寝返りを打てば身支度を整える鬼灯の背中が見えた。
しかしヒサナが彼の逆さ鬼灯の紋を認識するより早く、目覚めた気配に鬼灯が振り替えって挨拶をひとつ。
その言葉に答えることなくヒサナが朝一番に顔を会わせて思うのは、またやってしまったという男性のような後悔の念。
過ちに頭を悩ませていれば、鬼灯が溜め息を漏らした。

「そんな顔したって、昨夜の事実は変わりませんよ」
「わかってますよ…」

あれだけ求めた淫らな自分をはっきりと覚えているので、恥ずかしさに顔を会わせ続けられず視線をそらすと、のろのろと寝台から起き上がり縁に腰かけた。
連夜の営みは効を成すことなく、ズキズキと腰が鈍痛を訴える。
あれだけやれば仕方がないかと、自己嫌悪しか感じなかった。

「なんなんでしょうほんと…あ、おはようございます鬼灯様。昨夜はすみませんでした」
「昨夜『も』でしょう」
「わかってますから、訂正しないでください…」
「気分はどうですか」
「腰と足と…色々痛いくらいですかね」
「他に、具合は」
「んー…別に何も」
「…そうですか」

ぶらぶらと僅かに揺らした足元を見ながら答えていたので鬼灯の表情を見てはいなかったが、歩み寄る物音に顔をあげると初めて彼が不快そうな顔をしている事に気付いた。
それと同時に、柔らかく額に押し当てられる冷たい手。
本来は体温の低い手などではなく、鬼火のヒサナだからこそ冷たいと感じる鬼灯の手は、そのままヒサナの体温を手のひらに伝わせるようにしばらく留められていた。

「…なんですか鬼灯様?」
「そう言えばヒサナ、いつから発熱してません?」
「はい?」
「熱いですが、これは貴女の平熱くらいでしょう。行為後は、燃焼のために発熱していた筈ですよ」

鬼灯を見上げたまま数回瞬きをして、ようやくヒサナも問われた意味を理解した。
確かに初めて抱かれた日も、その次もその後もそれ以降も、ヒサナは毎度翌朝には高熱を出していた。
白澤の見立てでは、それは供給した怨念を生命力に変換するために急激に燃焼させている為か、はたまた愛欲による拒絶反応だろうという見解だったが、ヒサナも鬼灯が離した自らの額に手を当てて首をかしげた。
確かに、ここ最近は発熱を伴っていない。

「低いわけでもないので消失しそうな訳では無さそうですが、いつからですかヒサナ」
「さ…さぁ…」
「答えなさい。自覚は」
「う、ごめんなさい無かったです。でも…確かにこの暴食を始めてからは、無いような…なんて…」

己が自覚症状に欠けることは理解しているつもりだったが、鬼灯の鋭い目力に身をすくめながらヒサナは必死に覚えてる限りの記憶を絞り出した。
この状態の鬼灯はかなりのご立腹であることは嫌でもわかる。
しかし記憶を遡ってみても、婚姻届を出す前に最期に襲われた時は白澤の家で発熱していたし、それ以降も何度か事後の翌朝は、鬼灯が出勤した後の布団の中で一人唸っている。
記憶に新しいのはやはり最近の暴食か。
それらでは、確かに体調不良にはなっていない。
鬼灯も自らの記憶を思い返すが、覚えがあるのはほぼヒサナと変わりないように感じた。
そこで思うことは、今朝になって気付き危惧した一つの可能性。
真相でも危惧していることでも、それをヒサナに伝えるのは今までの経験上不安でしかなかったが、悩んでいても仕方がない。
鬼灯はヒサナの頬に手を添えると、首をかたげた。

「…嫌ですよ」
「え?」
「まさか燃焼、できなくなってるんじゃないでしょうね」

燃焼と問われて思い当たる主語は、怨念それ一つのみ。
先程消失しそうな訳ではないと自分の体温を測ったのに何故かと、ヒサナは鬼灯の手とは反対の首に手を添えた。

「ははっまさか…でも私ちゃんと熱いって鬼灯様いいましたよね?」
「言いましたが、不完全燃焼なだけではなく、体内を循環させられてないとかあるかもしれないではありませんか。だから補うために、量を摂取したがるのだとすれば…」
「あ…」
「昨日も言いましたが、現在の唯一の手段である房中術は、ヒサナ本来の正しい供給手段ではありませんからね」

言われてみれば、なんだか満足感に欠けるこの感じ。
これでもかというほど抱かれてまいっていた身だというのに、それと同等、または鬼灯がそれでも抑えてくれていた分まで求めてもなお満たされない空腹感を覚える今の現状。
確かに怨念の供給において何かが起きていることは明確だった。

「やはり、私も行きます」

険しい顔つきで、鬼灯は決断する。
今日はヒサナの様子に悪い意味で変わりがなければ極楽満月へ向かわせる事になっていた。
結果は見事に理性を失って事を済ませている。
愛しい女の身の危険かもしれないのに、一人で向かわせる訳にもいかないし、かといって延期させるわけにもいかない。
行って戻ってきて、徹夜でもなんでも自分が抜けた分の処理をすればいいと思案するが、目の前の当人は激しく首を左右に振っていた。

「駄目です。私一人でいきますからね!鬼灯様は、仕事です」
「なんなら白澤さんを呼びます」
「動けないわけでもないのに、私一人いけば済む話でしょう鬼灯様。仕事を疎かにするのも、閻魔様に示しがつかなくなりますから私は嫌ですよ」
「倒れたら」
「『ほうれんそう』はしっかりします。帰ったら一番に鬼灯様に会いにいきます。だから、私を信じて下さいよ」

軽いようで、ものすごく重い台詞。
その言霊は鬼灯の表情に変化をもたらし、暫しの沈黙を産む。
更に表情を歪めていた鬼灯は、懐から真っ赤な携帯電話を取り出した。

「念の為、持たせます」
「やっぱり前科持ちを丸ごと信用するのは難しいですよね…」
「馬鹿ですか、何かあった時用ですよ。倒れたらすぐ私にかけること」
「…でも鬼灯様の携帯を私が持ってるのに、どうやって鬼灯様に連絡とるんですか」
「それこそ馬鹿ですか。閻魔殿にかければ繋いでもらえますよ。私は今日一日法廷に居るでしょうから、閻魔大王宛でも繋がりますよ」
「そんな馬鹿馬鹿言わなくても…わかりましたよ。ではありがたく拝借致します」

初めて触る電子機器だが、もう大分朧気な彼の記憶でも操作の仕方は覚えている。
自分の体温で壊れやしないかと、差し出された携帯電話に手を伸ばした。

「じゃあ行って…いや、身支度してから、私も出ますね」

受け取った携帯電話の光沢のある背面に写りこんだ己の身なりに、このまま出ていくわけにも行かないかとガシガシ頭をかいてヒサナは床にひたりと素足をつけた。

「ヒサナ」

欠伸を一つ噛み殺して、頭上から聞こえた声に最初に視線を、次いで首を動かし見上げる。
暗い。
その印象を受けたのは、鬼灯によって部屋の証明が遮られていたためであった。

「行ってらっしゃい」

頭に一つ、鼻先を埋めるように口付けられ、既に身支度を済ませた鬼灯はヒサナの頭を二度ほど軽く撫でる。
名残惜しそうにゆっくりと離された指先だったが、それが見間違いだったかと思うほどに鬼灯は瞬時に踵を返すと振り返ることなくあっという間に部屋を後にした。
一人でヒサナを行かせると、一度下した苦渋の決断を覆したいのを無理矢理振り切ったのだろう。
部屋に一人残されたヒサナは頭に手を添えて悔しいような恥ずかしいような、何とも言えない表情を浮かべていた。

「…臭かったんじゃない…?」

こちとら寝起きで何も済ませていないと言うのに。
埃を払うように頭部を手で払うと、携帯電話を鬼灯の机の上に置いて脱ぎ散らかした衣服を探したが、見当たらないそれらは脱衣所にまとめて放ってあった。
鬼灯が集めてくれたのだろう。
そもそも臭いを気にするなど既にその程度の問題ではないかと、ひどい有り様な着物を見て頭が痛くなってきた。

今現在問題なのは、昨夜の自分だ。

昨夜だけではない、本当にどうしたのかと不安になる。
知識の神ですら未知だといった鬼火の変化体である手前、白澤のところへ行っても手がかりも何もつかめないかもしれないが行動しないよりは見解を聞けるだけでもずっといい。
何もしないまま消えるなんて事は、もう絶対に考えたくはない。
不完全燃焼かもしれない以上、無駄に怨念を燃やして鬼火で桃源郷まで駆けて行くのは自殺行為かと、徒歩での時間など軽く帰宅までの予定を立てる。
あの鬼灯の事、なるべく迅速に戻った方がいいだろう。

それに、おなかもすいてしまうから。

「…またっ」

ヒサナは脱衣所の隅に纏められた脱ぎ散らかしていた山をぼんやりと見ていたが、また無意識に腹に手をあてていることに気付き慌ててその手を退けた。
それらを見て昨夜の情事を思い出してしまったのだろうか。
空腹感に物足りなさを感じるが、かと言って食堂で補おうとは全く思わないどころか何か口にしたいとも思わない。
やはり怨気関連がおかしいのかと、自覚しても尚抑えられない物欲しさに一人小さく唸る。
どうしようもないのだ。
ヒサナは雑念を払い、この問題を晴らすためにもさっさと出立しなければと、浴室へ進むと迷うことなく熱めに調整した湯を頭からかぶった。

20151030

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