昇華

特に流行性のものも流行らない季節。
もともと天国はそんなぬるま湯のような気候だが、地獄は話が違う。
よくあの鬼に驚異を振るう物好きな病原菌がいる等と考えながら、暇な店内で白澤は机でまどろんでいた。

「ねぇ桃タロー」
「なんですか白澤様」
「暇だから店閉めて遊びにいこうよ。僕が奢るからさ」
「そう言ってサイフ丸投げして、お勘定俺に任せてまた女の子と遊びにいくんでしょう。嫌ですよ一文無しでボロボロにされた白澤様をサイフ持ってその手の店に謝りに行くの…」

ケラケラと笑えば笑い事じゃないと、棚の掃除をしていた桃太郎がこちらへと冷たく目を細めてくる。
その視線を感じながら、白澤は暇だと大きなため息と共にその言葉を吐き出した。

「薬屋が暇なのは良いことなんだよ桃タロー、皆健康だってことさ」
「そりゃそうですけど」
「だから遊びに行こうよ」
「駄目です。ちゃんと店にいるのも仕事でしょう。誰がいつ来るかなんて分からないんだから」
「じゃあ分かったら良い?」

桃太郎の言葉に頭をあげた白澤はにんまりと笑う。
くだらない予感しかしない桃太郎は、片付ける手を止めずに首をかしげた。

「未来予知なんてできないでしょう白澤様」
「今周辺ざっと気を探って、誰もいなかったら今日は店じまいだ」
「は?」
「きーめた、よし誰も居なかったら遊びに行…」
「アンタ何言って…って、白澤様?」

テンションの高い師がぴたりとその言動を止めたので、不思議に思い呼び掛ける。
椅子から立ち上がっていた白澤は虚空に視線を泳がせると、顰めっ面で唸った。

「うげ…早く店出とけばよかった」
「どうしたんですか?」
「いやでもあの子には会いたいかも…」
「ちょっと、白澤様何なんですか」

やっと桃太郎の声に気付いたのか、白澤はハッと身を揺らし意識をこちらへ戻す。
思い立って即行動に起こし、周囲の気を探っていたその表情は歪んでいた。
先程までの威勢は何処へ行ったのか。
力なく机に再び突っ伏すと、気だるげに桃太郎へと首を動かした。

「アイツが来る」
「白澤様がアイツ呼ばわりするのは一人しか思い付きませんけど」
「そいつだよそいつ。はーもうさっさと店閉めてれば顔合わせずに済んだのに桃タローのせいだ」
「そんな無茶苦茶な」

気配からしてもう間もなく店の扉か開かれ姿を表すだろう。
嫌いなものをわざわざ視覚で先見する必要もない。
宝物をつれて何の用だと、白澤は店の戸口を睨んで待った。

「こんにちはー」
「…ってあれ一人?」
「え、はい?」

店の戸を開いたのは予想通り白澤の思い描いていた人物だったが、全てが予想通りでもなかった。
ヒサナが店内を見渡すまでもなく机に突っ伏していた白澤に挨拶をすれば、彼が驚いたように目を丸く見開く。
質問の意味が誰を指しているか察したヒサナは、あぁと小さく声をあげた。

「鬼灯様は仕事で残りました」
「珍しっ…アイツが一人で寄越すなんて」
「ちゃんと許可はもらってきましたよ」
「あぁ、いやうん。違うよ僕の勘違い。気にしないで」

二人居るような気がしたのだが、しかもあのいけ好かない朴念人が。
だと思ったのだが、彼女が戸を閉めたあたり本当に一人で来たのだろう。
彼女が居るなら奴も一緒だと先入観から思い違いをしたのかと、白澤は首を捻りながらも気持ちを新たにヒサナを席へと招いた。

「いらっしゃい。今日はどうしたの?」
「今日は、その…体調面で、ご相談を」

来客があるとわかってから、手際よく茶菓子の準備を済ませた桃太郎がヒサナへと茶を差し出し作業場へ下がる。
作業しながら、いつ要りようになってもいいように聞き耳をたてずとも聞こえ、また聞こえにくい位置で控えているのだろう。
良くできた人だと思いながらも、この状況にヒサナは大切なことを忘れていたことに気づいた。
今回の相談内容、只の暴食だと言うだけならば良いが、食事かと聞かれればそうであってそうではない。
自分が食べたいものを思えば他人には話しにくい内容だと、顔を真っ赤にさせたヒサナは視線を泳がせた。

「どうしたのヒサナちゃん」
「い、いえあの、その」
「相談しにくいこと?」
「う、まぁ…」
「んー…異性だから話しにくいこともあるかもしれないけど、ちゃんと漢方医として聞くから大丈夫だよ」

異性だから話しにくくもあり、また白澤の色欲を知ってるからこそ尚である。
しかも、犬猿の仲であるヒサナの夫の名を出そうものなら一体どうなるか。
しかし鬼灯に一人で行くと啖呵を切った手前、何も言わず何の収穫もなく戻るわけにもいかない。
膝の上にある拳をきゅっと握り締める。
解決できてもできなくても、何か手がかりが掴めればとヒサナは意を決して顔をあげた。

「あのっ、」
「うん?」
「食べても食べても、お腹一杯にならないんです」
「…え」
「むしろもっと食べたくて仕方なくて、止められなくて…でも食べても食べても足りなくて」
「……ヒサナちゃんの食事って聞かなくてもわかる気がするんだけどええと一応、なんの?」
「………私の…鬼火の主食の怨念です…っ」

赤面したヒサナの様子から、白澤の中で瞬時に答えは出ていた。
ヒサナは現在、現化したままとなっている。
宿主の体内に存在できない彼女が唯一の食料元である鬼灯の怨念を摂取する方法は、以前自分が教えた方法、つまり房中術以外に今のところありはしない。
それで摂取しても満たされないとは、つまりいくらナニをしても足りないとそういう相談かと、白澤は相手を思い浮かべ嫌悪を露にした。

「普通の食事は?」
「そっちはなんか食べたくなくて…」
「アイツじゃ満足できないなら、僕が相手してあげようか!」
「ちがっ…!そういう意味じゃなくて…真面目に相談に来たんです…」

掌で顔を覆い隠し、最後の方は羞恥から消え入りそうな程か細い声だった。
からかうのも可哀想かと、ヒサナの様子を見て白澤は頬を掻く。
ため息一つと共に、白澤は項垂れた頭部を見下ろした。

「えーっと…太るとか、そう言ったご相談?」
「違います…」
「だよね」
「怨念をいくら摂取しても空腹感が収まらないのは、怨念を上手く取り入れられてないんじゃないかと鬼灯様が。それはあの…営み後の発熱も最近無くて。食べたくて仕方なくて。還れなくなった時のように、何か異変が起きたんじゃないかと、白澤様のもとへ伺わせていただきました」
「成程」
「私は、異常現象ですから」

聞いたこともない、一度ヒトに熔けた筈の鬼火の現化。
現化に始まり、還れなくなり別離したことまで、全てが異常現象だ。

また何か、この身に起きているのでは。

どうも自分は自覚に欠けるのがもどかしい。
何かしら異変を感じ取ることができれば対処の幅も広がるだろうに、今回も鬼灯に言われるまで発熱していなかった事にも気付けていない。
もう、鬼灯を独り残して逝きたくは無いのに。
そう思うが故に、只の消化不良でもなんでも怨気を正しく身に混じ合わせられこの場に留まれればと思う。
その為の方法を探しにここへ来たのだ。
ヒサナは僅かに涙の浮かぶ顔を、再び白澤へと向けた。

「助けてください、白澤様」

目の前の女性は涙を滲ませながら、なんて強い目をしているのだろうとその瞳からしばらく眼が離せなかった。
白澤の九つ全ての眼が、無意識に彼女に向けられる。

そこで、白澤は我が眼を疑った。
疑うどころか、むしろ己の眼で捉えたのだからこそ確信を持つしかない。
普段から気を、神眼を張り巡らせているわけではないので気付かなかったが、しかしヒサナが述べた不安材料を全て解決させてしまえるほどの事案。
白澤はずるずると椅子から滑り、背凭れに深く背を預ける。
勘違いするわけだと、深く深く息を吐いた。

「暴食ね、そうだよね…うん」
「はい?」
「そりゃ食べるよ、食べるタイプの子も居るもん」
「…や、やっぱり上手く摂取できてませんか…っ」
「違う違う。ちゃんと循環してるから安心して」

彼女の中の怨気は正しく体内を巡っているし、きちんと摂取されている。
彼女は健康そのものと言って大丈夫だろう。
問題なのは、もう一つの方だ。

「はぁ、さっき一緒に来たと思うわけだよ。半身だもの」
「は…白澤様?」
「なんでそんな泣きそうな顔してるの。心配無いって言ってるでしょ…いや心配しないのもアレだけど」
「もう…白澤様!死の宣告でもなんでも受け入れますから、とりあえず言ってやってください!」
「妊娠してるんだよ」


隅っこにいた兎の従業員の鼻がひくつくのも、桃太郎がすりこぎの手を止めたのも、ヒサナの身動きが止まったのも全て同時だった。
ふんと鼻をならして椅子に正しく座り直している白澤だけが、唯一この店内で動いている。
そうして、聞き間違いではない台詞を再び口にする。
その顔は残念そうな嫌そうな、祝福するような、複雑に表情が入り交じっていた。

「おめでとう。妊娠してるよヒサナちゃん」


20151107

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