全部署の明かりを落とした閻魔殿内。
唯一薄暗い明かりが灯り人払いをした法廷で、鬼灯はリモコン片手に立ち尽くしていた。
輪に連ならせた鏡の中央ではヒサナの鬼火が揺れ、その前に安置された浄玻璃鏡はヒサナの過去を写し出した。
意思のない鬼火でもうまく起動した浄玻璃鏡が再生したのは、ヒサナの中に甦った彼女の記憶。
瞬間的に思い出したそれはまさに一瞬の出来事だったので、鬼灯はなんとかそこを引き伸ばして再生させた。
目の当たりにした映像に、鬼灯は言葉が出なかった。
握り絞めたリモコンが軋み、嫌な音が鳴る。
白澤はぎょっとしてそれを鬼灯の手から抜き取った。

「壊れたら困るのはお前だろ馬鹿!」
「……」
「え、何。何か言ってよ」

壊れるのを防ぐ為奪い取ったというのに無反応の鬼灯に、リモコンを両の手で握り白澤が苦笑する。
鬼灯の鋭い眼光は、依然一時停止された鏡へと向けられていた。

「…確認することができました」

それだけ告げると、床に寝かせていた金棒を引きずるように掴んで走り出そうとしたので、白澤は慌てて鬼灯の肩を掴む。
勢いに多少引きずられたが、足を止めて振り返り様、鬼の名に相応しいばかりの形相で睨まれた。

「え、ねぇ。僕全然分からないんだけど」
「馬鹿は馬鹿で結構」
「いや、ヒサナちゃんが、…可哀想だけど無意味な生け贄にされたのはわかったよ?」
「……」
「だけどさ、なんでそれで居なくなるの?別に逃げる必要なくない?」

白澤の疑問は最もであった。
鬼灯も怨鬼である為、世を怨んで死んだ後ろめたさとは考えられない。

「この先を、見ないといけないんじゃないの?」

一時停止された浄玻璃鏡の映像は、ヒサナが賽の河原から流れた子どもを抱えて岸に上がったところで止められていた。
それはヒサナが川に落ちてから流され岸に上がるまでの間に、彼女の大きな動揺と共にとてつもなく要領の大きい情報が圧縮されていたのが確認できたので、そこだけを編集したからだ。
今の記憶からは、彼女が抱いた想いは困惑以外に分からない。
失踪するに至った考えを知るには、きっとこの先だろう。
しかし鬼灯は再び白澤に背を向けた。

「見たければどうぞ」
「どうぞってお前は…」
「私は…見なくても、大体わかりました」
「間違ってたらどうするんだよ」

白澤は鬼灯が鬼火を宿している事から、何か深い怨み言があって鬼になったというのは何となく察しているし、閻魔大王に紹介を受けた際に名前の由来を聞いたような気もする。
しかし生前や鬼になった詳しい理由等、特に興味もない大嫌いな鬼灯の事をよく知りもしない白澤には分からないだろう。
本人だからこそ、鬼灯も今の映像からヒサナの考えが予想できた。
鬼灯もヒサナの心境を推測し辿り着いたのだから、彼女が至った考えなど決まっている。

「だからこそ、確認しなければならないことができました」

鬼灯は一旦歩を戻し、浄玻璃鏡にかけた鬼火を鷲掴むと躊躇い無く一飲みにした。
そうしてここに用は無いと、足早に法廷を後にする。
残された白澤は、対象者が居なくなり何も写さなくなった浄玻璃鏡を怪訝に見つめ、ため息をついた。

「鬼火取られたら、見られないじゃん」

鬼灯の事だから、端より見せる気は無かったのかもしれないが。
置いてけぼりを食らったが、白澤も敢えて後を追わなかった。
映像から白澤は何も察することはできなかったが、鬼灯の怨気が膨れ上がったのだけはわかった。
あの状態で、逃げ出したままの不安定なヒサナに会わせるわけには行かなかった。

「ここまで来たんだ。絶っ対アイツより先にヒサナちゃん見つけてやる」

保護するにしろ説き伏せるにしろ、とにかくあの地獄一の怨鬼からヒサナを守るにはまず先手を打たねばならない。
鬼灯は確認することがあると言った。
それがヒサナにであれば会えば済む事、確認という言葉は使わないだろう。
何処へ行ったかは知れないが、ヒサナを探す前に何処かへ向かったのは確かだ。
この差を逃してなるものかと、白澤も鏡をそのままに法廷を出た。

「あ」

しかし廊下に一歩踏み出した途端、白澤は声をあげて法廷を振り返り、その天井を見上げた。

「その前に照明元に戻していいよって、知らせてあげた方がいいかな」

只でさえ電力を喰う浄玻璃鏡のもう一つの機能。
その機能を使うためには、法廷以外の電力を落とさなければならなかった。
鬼灯が閻魔大王に頭を下げて点検以外の使用許可を得たというのに、気を回す余裕も無くなった鬼灯は映像を見た後、省電力解除を告げること無くそのまま出ていってしまった。
既に回りが見えなくなっている鬼と、明かりを落としたままの廊下に苦笑いしながら、とりあえず閻魔大王に知らせておこうと白澤は暗い廊下を進んだ。







がりがりと、岩肌を引っ掻くような音が近付いてくる。
よく知った気配だと、イザナミは読み掛けの書物から顔を上げた。
先日彼を感じ取った時は、顔を見せずに去ったので玄関に用があったのだろうと解釈したのだが、たった数日で顔を見せるとは珍しい。
それに、心地好い程に渦巻く怨気にイザナミは目を細める。
立ち上がり、自ら両開きの戸を開け放ち出迎えれば、正面から金棒を引きずる鬼灯と目があった。

「すみません、起こしてしまいましたか」
「いや、起きておった。こんな時間に何か用か?」

おどろおどろしい程の形相だったのだが、イザナミが姿を見せると若干呆けた顔を見せ謝罪を口にした。
甘美なまでの怨気を纏ってはいるが、まだ思考は正常かとイザナミは口許を袖で隔て笑う。
どうやらわらわへの用では無いようだと、イザナミは戸を閉め歩み寄った。

「なんだ、新しい改装でも思い付いたか?」
「いえ今日は、別件で」

イザナミの前で鬼灯が足を止めたので、だらりと下げた腕で荷物のように引きずっていた金棒が地を引っ掻いていた音も止む。
首をこてんと傾げて捻り見上げるのは、鬼灯が展示した『最高傑作』達。
寝ることも、休むことも、ましてや何も感じない穏やかな間も与えられないほどの痛みや精神的苦痛を、未来永劫常に与えられ続けられている作品達が、鬼灯の姿に悲鳴をあげた。

「どうも、二日ぶりですかね」

二日前も散々だったが、その時は機嫌の良い鬼灯に一方的に相手をされた。
しかし今日はどうだ。
天と地の差ほど機嫌が逆転しているのは、村人から見てもわかった。
この鬼神が自分達に用がある時は、陸な事があったためしが無いと村人は力無く鬼灯を見下ろした。
対する鬼灯は、首をぐるりと回して一人一人の顔を伺う。

「皆さんに聞きたいことがあって来ました」
「…今更ワシ等に、何を聞くと言うんだ」
「貴方達なら、ご存知かと思うんですよ」

イザナミ殿の一部、村人の一人が括られた柱に鬼灯は金棒を突き立てる。
頬を掠めるほど間近に、では無く既にその棘は男の頬を抉っていた。

「ーーーっ!」
「あぁ、煩いですね」

耳障りな悲鳴を上げる村人に突き立てていた金棒を、鬼灯はそのまま横へと凪ぎ払う。
鈍い音と共に村人の顔が歪に歪んだが、どうせ戻るものと気にも止めずに背後のもう一つの柱を振り返った。

「ヒサナという名に、心当たりは?」

鬼灯が口にした名を復唱して首をかしげたその村人へも、鬼灯は金棒を突き立てた。
腹部があり得ないほど陥没したが、価値なしと鬼灯は次へと視線を移す。

その村人もガタガタと身を震わせて知らないと戯言を言うので、鬼灯はカクリと首を横へ傾げて金棒を振りかぶった。
しかしそれは、頭部を振り切る事無く中途半端な位置で鬼灯は手を止める。
ばたばたと血が落ちるのを数滴見送ったあと、血で道服が濡れるのも構わずに金棒を担ぐと斜め後ろの柱に目をやる。
他の者とは違うヒサナの名の呟き方が、耳に届いたのだ。
そこには村を納めていた老婆が括られており、驚いたように鬼灯を見ていた。
彼女の表情の変化をみるのは、久方ぶりではないだろうか。

「何故お前からその名が出る」
「やはりご存知でしたか」
「…川の神の怒りを静めるために、生け贄となった娘の名がそれだったはずだ」

老婆の言葉に、鬼灯は静かに目を細める。
予想が的中したことに、的中してしまったことに。
浄玻璃鏡で見たヒサナの記憶の映像。
そこは間違いなく、鬼灯が人の子であったときに過ごしていたあの村だった。

「それはいつ頃の話なのですか」
「どうしてお前がそれを知る必要うがあぁあああああっ」
「勘違いをしてもらっては困ります。貴女方と世間話をしに来たわけではありません。こちらの質問にただ答えればよいのです」

無駄話をする老婆の両足に金棒を叩き込んだ衝撃で柱が歪んだのを見て、村人の悲鳴も他所に鬼灯はまた改築をしなければと、そんな事を考えていた。

「で、いつなんですか?」
「…覚えては、いな…お前を拾う、もっと前の…話で…」
「…そうですか」

激痛に悶絶する老婆を気にかけるそぶりも見せず、しっかりとした足取りでイザナミ殿の入り口へ向かうと、イザナミの横の扉にずるずると背を預け座り込んだ。

「収穫はあったか?」

面白そうに聞くイザナミを横目に、鬼灯は金棒を傍らに転がし頭を腕の中に埋めた。
あったも何も、見込みのあるものを狩りに来たのだ。
あって当然だった。

「一体どうしたというのだ二代目第一補佐官」
「…嫁に逃げられたんですよ元第一補佐官さん」
「皮肉に皮肉で返せるようならば切羽詰まってはおらぬのか」
「これでもいっぱいいっぱいですよ…」

肺の空気を空にするように深く息を吐ききる。
心底まいっていると言いた気な鬼灯の様に、イザナミは僅かに首を傾げた。

「どの口がものを言う。…ところでお前、伴侶を得ておったか?」
「…の予定のかたでした」

正確にはそうではないと告げながら、鬼灯はイザナミに簡単に今回の経緯を話した。
自分の中の鬼火が現化した事。
恋仲だった事。
そして、全てを思い出してその鬼火が鬼灯を前に失踪した事。

「話せと言ったんです」

どんな死に方をしていても。
どんな怨みを抱いていても。
たとえ、何があったとしても。
鬼灯はどんな事でも、ヒサナを受け止める心づもりだったのに。

「わらわだって如何に愛しておろうとも、冥界の姿はイザナキは受け止められぬ物だと思うて待てと言ったのに、やはり受け止められなんだ」

何となくだが、事情を理解したイザナミは鬼灯の横に腰掛ける。
あの冷徹な鬼神がおなご一人に惑わされ、まるで幼子のようだと珍しい思いだった。

「それは見るなと言ったのに、約束を破ったイザナキさんが悪いと思いますよ」
「予想だにしなかった事とはいえ、どんなに愛しあっていた者でも変わり果てた姿は受け止められぬのだ。お前が思い描いていた姿と異なる自分を、鬼灯は受け止めてくれぬだろうと彼女も思うたのであろう」
「そんなに器の小さい男だと思われてたんですかね」
「それはイザナキの事を言うておるのか」
「さぁ、どうでしょう」

お前たちの事情を詳しくは分からないがなと、イザナミは笑う。
しかし聡明であるイザナミの見解は、的を射ている内容であった。
ヒサナも思いもしなかっただろう過去に、鬼灯は彼女を振り返りまた思案する。
思えば、風呂も金魚草の水やりもそうだ。
あれだけ近付くのを恐れたのも、死因が水死なのだから水を怖がっていたのだ。
三途の川の大橋を渡るなど、まさにトラウマの塊の再現でしかない場所なのだから尋常ではない怯え方をしたのも仕方がない。
盂蘭盆祭りで鬼灯が矢を用いたときの怒り様にも合点が行く。
ヒサナの性分もそうだが、それでもあそこまで逆上し噛みついてきたのも珍しい。
理不尽に白羽の矢で生け贄に選出された記憶と、無意識下で直結したのだろう。
無意識下と言えば初めてヒサナが酔いつぶれた時には、会話が噛み合わない部分があった。
生け贄となる事を甘んじて受け入れた幼い丁を称え、自分は無理だったと否定していたのも、鬼火としてヒサナが遠巻きに見ていたか鬼灯の記憶を覗いて抱いた感情か何かかと思っていたのだが、あれは酔いに朧気に浮かび上がった自身の記憶を話していたのだ。
手がかりになる片鱗は確かにあった。
全ては、川の氾濫を静めるための人身御供となった彼女の過去に繋がっていた。


話せといったのに。


また鬼灯はそこに帰りつく。
自分はどんなヒサナでも受け止める覚悟があり、それは今でも変わらないのだ。
あの惨事が鬼灯の育った村だということが分かり、ヒサナが至ったであろう逃げ出した理由に確信を得た今でも。

だからこそ、ヒサナが勝手に自分を判断し、逃げ出した事が非常にカンに触る。

「こんな時間にすみませんでした」
「いや大丈夫だ。もう行くのか」
「ええ。何としてでも、捕まえてやります」
「怖い怖い。そなたと鬼ごっこだけは、わらわも願い下げだ」

立ち上がった鬼灯は、真っ直ぐな強い目をしているが、それはイザナミに向ける為のもの。
件の彼女に向けている本心は腹の中でどろどろに渦巻いていると、イザナミは見透かしながらも指摘せずに笑ってその背を送り出した。

「やっかいな鬼に想われたものだな。そのヒサナとやらも」

否、鬼神に想われるとはこういう事なのだろうと、イザナミは想いの種別は違えどその果てである御殿の柱を見回し、口端を僅かに上げてそれらに背を向け衣を翻した。

20150620

[ 65/185 ]

[*prev] [next#]
[戻る]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -