鎮魂火

気付いたら真っ暗な場所に居た。
驚いて顔を上げれば、そこは膝を抱えた自分の腕の中だったようで、ヒサナは辺りを見回して眠りこけていたことを知った。
涙が乾いて動きの鈍い瞼をこすり、いつの間に寝たのかとぼんやり考える。
そうしてその手のひらを見つめ、これが死した自分の姿であると再確認した。

そうだ、何もかも思い出して逃げ出してきたのだ。

人を怨み、怨みに呑まれた結果が鬼火として生きるこの姿。
何故、思い出してしまったのだろうか。

こんな記憶ならいらなかった。
知らないままで、鬼灯と共に過ごしていきたかった。

知ってほしくない、知られたくない。
ヒサナはまた涙が溢れ始めた目元を拭い、思案する。
これからどうしたらいいだろう。
鬼灯の元へ戻る選択肢は、その問いの答えに含まれてはいなかった。
いっそこのまま、姿を眩ませてしまおうか。
広い地獄、どこかしらに隠れて暮らすしか思い当たらないが、衆合地獄の裏通りは鴉天狗警察も踏み込みにくい無法地帯だと聞く。
そこに身を寄せても生きていけるだろうか。
そんな事を考えながら、この森でもいいのだろうかと不思議な植物の生えた地を見回した。


「起きちゃったか」

突然聞こえた声に飛び上がってヒサナは辺りを警戒した。
聞こえる筈の無い、しかも予測すらしていなかった方の聞き覚えのある優しい声。
まさかこの人まで動いているとは。
鬼灯が協力を絶対に求める人ではないと見回すが、周囲に人影はみられない。
残された頭上を見上げれば、白い毛並みの神獣がふわふわと空に浮かんでいた。

「はくた…!」
「無事でよかった」

優しい光を宿した三つの目が細められる。
ヒサナは立ち上がり、身構え拳を握りしめた。

「まぁ待ってよ、落ち着いてヒサナちゃん」

怖がらせないよう心掛けながら、慎重に白澤は地に降りる。
ヒサナは警戒した様子を崩さずに、いつでも鬼火に熔けて飛べる状態であった。

「こんなところに居たんだ。ずいぶん遠くまで来たね?見つからない筈だ」
「…」
「僕は君を連れ戻しに来た訳じゃないよ」
「…」
「アイツにも、僕が探しに行くとは言ってない」
「…本当、に?」
「うん、本当」

人型に変化した白澤を怪訝に見つめ、警戒心を露にするヒサナ。
内密に来たと言う言葉に、やっと固く閉ざした口を開いた。
そう、勝手に来たのは本当の事。
白澤は何でもないというように、両の手を広げて笑って見せた。

「僕一人だろう?」
「じゃあ、見なかった事にしてください」
「それは無理だなぁ。僕、ヒサナちゃんと話がしたくて一生懸命探してたんだもん」
「…逃げると、言ったら?」
「一度捉えたから逃がさないよ。だって神様だもん。僕の目を舐めてもらっちゃ困る」

ハッタリだった。
神出鬼没の鬼火に一度でも飛ばれれば、神獣白澤と言えど目で追うのは敵わない。
鬼灯にも話したが、白澤の目は数多の場所は探れど特定の対象者を感知してそこが何処なのかを伺い見ることは出来ないのだ。
また見失ってしまうだろう。
しかし、そんな詳細を知らないヒサナには効果覿面だった。
今回も偶然ヒサナに辿り着けただけなのだが、逃げてもしつこく追いかける、そう取ってもらえたようだ。

「白澤様が、私に何かご用ですか…」

諦めてヒサナは構えていた体勢を崩す。
追ってきたと言うことは、おそらく自分が逃げ出した事を白澤は把握しているのだろうと顔をしかめた。
しかしどこまでを知っているのか、それはヒサナにも分からない。

「うん、まず最初にごめんね。僕も見たんだ。ヒサナちゃんの昔話」

その答えに、ヒサナの目が大きく見開かれた。
まるで心を見透かされたような、今正に考えていた話題に手足が強張る。
瞳は動揺を隠しきれずに揺れ、何故、そう目が語っていた。

「奴の執念を甘くみちゃいけない。アイツはヒサナちゃんの残した鬼火から思念を読み取ったよ」
「そんな、事が…」
「アイツならやるよ」

嫌がらせにわざわざ一夜かけて落とし穴を掘るなど、労力を惜しまない鬼神だ。
因縁の相手に対してそれなのだから、それが想い人に向けられるのであればどんな物でも使うだろう。

「じゃあ、鬼灯様も私の事を…」
「もう知ってるよ」
「…!」

白澤に真っ直ぐに向けていたヒサナの視線が、初めて反らされた。
顔を俯かせて視線を落とし、微かに肩が震えていた。

「辛かったね」
「……っ」
「…ごめん、そんな顔はさせたくなかったんだけど…落ち着いてヒサナちゃん」

目元を歪め、立ち尽くしてしまったヒサナに静かに歩みより、その震える肩ごと白澤は彼女を抱き締めた。
普段のヒサナならば鬼灯の手前抵抗の一つでも見せただろうが、身じろぎすらせず白澤の腕の中に収まった。
白澤は幼子をあやすようにその背を撫でるが、ヒサナからの反応はない。
肩越しに彼女の様子を伺いながら、白澤は口を開いた。

「ねぇ、ひとつ聞いてもいい?」
「な…何、を…」
「僕ね、どうしてもわからないんだ」

それは鬼灯にも、つい先程彼女にも投げ掛けた疑問。
白澤はヒサナを抱き込みながら、心底不思議そうに首を傾げた。

「なんでヒサナちゃんが奴から逃げ出したのか、映像を見てもどうしても分からないんだ」

白澤の言葉に、ヒサナの息が止まった気配を感じ取った。
震えも止まったが、全身固まったと言った方が近い。

「や…いやだ!」
「ヒサナちゃん、」

触れたくない話題に、ヒサナが急に腕に力を込めて白澤から逃れようとするが、鬼灯とは違う細い腕でも相手は男。
白澤は抱き締めることで拘束する働きを為している両腕の力を増した。
可愛い可愛い女の子一人、ちょっと手荒になってしまうが離さないなんて簡単なこと。
鬼火に溶けようとしたのも、神力で捩じ伏せてやった。

「アイツはもう君の過去を知ってるんだよ?」
「離して白澤様!」
「まだ帰れないの?」
「知らな…っ」
「アイツにバレたのにまだ逃げようとするってことは、やっぱりヒサナちゃんが隠してることはまだ何かあるんだね?」
「……っ!」

彼女の両腕を掴み、無理矢理顔を合わせる。
乱れた髪が顔にかかり、それから覗く綺麗な瞳は泣きそうな色をしていた。
手は震え、怯えを露にしている。
そんな状態の子を前にしても探求心の方が疼くのは、知識の神だからか、はたまた人ではないからか。
彼女を追い詰めていると自覚しながらも、罪悪感は無く白澤は引く気はなかった。
ヒサナの腕から力が抜けたので、白澤も拘束する力を弱める。
只、知られたくない過去を知られ逃げていると言うには何の変鉄もない、只のヒト一人が怨みを抱いて鬼火になっただけの話。
あの記憶の他に何かあるのだろうという事は、あの情報だけで何等かを読み取った様子だった鬼神を見て、奴と彼女だけが理解できる何かがあるという憶測だったのだが図星なのだろう。
彼女の目からぼろぼろと涙が溢れた。

「…放っておいて下さい…」
「やだね」
「白澤様には、関係ないじゃないですか…っ」
「いいや、関係大アリだね」
「…何故?」
「泣いてる女の子がここにいるから」

罪悪感は無くても、酷いことをしているのはわかる。
喋りたくないものを無理矢理聞き出そうとしているのだ。
普段はもう少し感情を込めて言う言葉を、なるべくそれに近いように真似て口にした。
いつもの様に、見える様に。
あくまでも自分は人とは違う存在なのだと微かに笑う。
先程までは確かに彼女を心配して探していた筈なのだが、いざ前にしてみると気遣うよりも何よりも、鬼火として姿を成したヒサナという存在が辿っている歩みに非常に興味があった。

「…ほ、鬼灯様には…」
「僕は言わない。約束は守るよ」
「…お話ししたら、見逃して下さいますか」
「うん、いいよ」

ヒサナが涙を拭うために腕を動かしたので、白澤は自然と手を離してやった。
ヒサナは袖の裾で何度か零れる涙を押さえながらその場にしゃがみこんだので、白澤も彼女が背にする岩の上に腰かけた。

「白澤様は、私の記憶を見た…と言うことは、映像か何かで…?」
「うん、浄玻璃鏡のもうひとつの機能でね」
「あ、ありましたね…」

ヒサナが白澤に背を向けたまま話始める。
白澤は催促もせず、彼女のペースに合わせ見守った。

「私が、生け贄になった村、」
「うん」
「鬼灯様も、生け贄になった村なんです」
「…へぇ」

アイツも生け贄として死んでいるのかと、興味のない情報に白澤は表情を歪めるが、それを話すと言うことはヒサナの話に関係していることになる。

「でも、会ったことはなくて。鬼灯様が生け贄になるよりずっと前の話で」
「うん」
「白澤様はご存知かもしれませんが、鬼灯様は、雨が降らなかったので生け贄にされました」

ご存知ではなかった。
知りもしないというよりも、知ろうともしなかった興味のない情報で、初耳であった。
しかしそこは、否定せずにただ黙ってヒサナの言葉を待つ。
表情を歪めながらも、彼女に芽生えた話す気を損ねないよう相槌の声色はなんとか保った。
ヒサナは話しにくいようで、指先を弄びながら言葉を選ぶ。
どんな言葉を選びなんと伝えればいいのか、もうよくわからなかった。

「私は、それよりも前に、何度も何度も起こる豪雨による川の反乱を静める為に生け贄にされたんです。それも無理矢理だったので、だ…だから、だから…」
「…?」
「私、願ってしまったんです」
「何を?」
「落ち着くどころか、あんな村に、二度と雨が、降らなくなればいいって」

ヒサナの頭と袖が動いたので、涙を拭った動作だというのは後ろ姿からもわかった。

村人の死を、村の破滅を願いながらヒサナは命を落とした。
人の都合で天候も命も邪魔物扱いされるのであれば、いっそ無くなってしまえと。

「私は、どうしたらいいです、か…?」

話始めたことで堪えていたものが溢れたのか、止めどなく涙を溢れさせながらヒサナが白澤へと振り返った。
白澤は相槌を入れるのも忘れて、その表情に見入ってしまった。

「わた…私のせいかも、私のせいでっ」
「…お、落ち着いてヒサナちゃん?」
「鬼灯様を…殺してるかも、しれないんです…っ」

呼吸が乱れてきたので、白澤は滑るように岩肌を降りて彼女の横に片膝をついた。
自らを抱くように肩を掴んでいるヒサナの背を、白澤はまたやんわりと撫でてやった。
ヒサナは喉を震わせながら声を絞り出した。

「雨が、降ってないんです…っ」
「うん」
「少し、降るときもありましたけど…でもあれだけ荒れ狂ってた雨季が、無くなったんです…。だから、私が、願ったから、私が死んでから、だから鬼灯様が生け贄に、捧げられたのだとしたら…っ!」

ヒサナは自らの過去を思い出した瞬間に、持ち合わせていた鬼灯の過去の歯車が噛み合い、その可能性を導きだしてしまった。

私が願ってしまったから、雨が降らなくなったのでは。

その可能性を見出だしてしまってから、その事で頭が一杯で仕方がなかった。
その為に鬼灯が生け贄として出なくてはならなくなったのだとしたら、根源は自分にある。
ヒサナは確かに皆死んでしまえと呪った。
直接的に手を下してないにせよ、それが理由なのだと言うならば殺したのと同じ事。
その死因ゆえに、鬼灯は理不尽な扱いを酷く嫌う。
もしも、鬼灯が自分の過去を知ったら。
あの願いを、知られたら。
その為に行われるどんな憂さ晴らしでも、怨みでも摂関でも、甘んじて受け入れよう。
だが、もう要らないと、鬼灯に不必要とされることが、ヒサナは何よりも一番怖かった。

丸まるヒサナの背を撫でながら、白澤は元より細い目を更に細めて彼女越しに遠くを見た。
成る程、ようやっと彼女が逃げ出したのにも納得がいった。
過去ではなく、そちらの呪詛の方が露見するのを恐れているのか。
愛しい人に嫌われる事を恐れているのだ。
白澤はヒサナの頭部を片手で抱き寄せながらフッと小さく笑った。

「バカだなぁヒサナちゃん」
「…なっ!」
「大馬鹿者だ」

ヒサナは慰めも肯定も否定も望んではいなかった。
只、話せと言われたから話しただけに過ぎない。
なのにまさか馬鹿者呼ばわりされるとは。
ヒサナは白澤の肩に預けられている頭を上げたが、直ぐに引き戻されてしまった。

「そんな事で逃げ出しちゃったの」
「そん…そんな事って…!」
「そんなことだよ。所詮元人間はニンゲンかぁ」

あきれたように笑う白澤の声が聞こえるが、顔を抱えられているので何も伺えない。
涙でぐしゃぐしゃの顔を手の甲で拭うと、白澤がヒサナの頭を両の腕で抱き締めた。

「実に愚かだね」
「な…何がですか」
「傲慢だ傲慢。自分を買い被りすぎてる」
「う…?」
「あのねぇ、ヒサナちゃん」

散々罵声を、しかし笑い声を含んでその言葉を口にする白澤は何処か楽しげなように見える。
しかしそれは同時に、ヒサナを安心させる声音であった。

「人間ごときが、神様の領域を侵せるわけないだろう?」

緩められた腕のお陰で、ヒサナは今度は簡単に顔を上げることができた。
この人…いや、この神様は何を言っているのだろう。
上げられた顔は、そう読み取るには充分な気の抜けた表情をしていた。

「天候を操るなんて僕らの領域なんだよ」
「はい…?」
「まぁ管轄じゃないから僕にだってできない。だから、人間が簡単に操作できる代物じゃないって言ってるんだよ」

白澤の細められた目の奥で深く光る黒目を覗き込む。
吐息が感じられるほどに近いのだが、ヒサナは気にはならなかった。

「祟りを起こす神はいるけど、生け贄を欲しがる神なんかいないんだよ。それこそヒトの偶像だね」

神の恵みにより得た供物を捧げることはあれど、自らヒトを所望した神が居たのかと白澤は言う。
確かに生け贄として誰か人間を出さなければと思うのは、誰かが考えてもう長いこと刷り込まれていた当時の風習だった。

「じゃ…じゃあ私は雨は…」
「止めてないと思うよ」
「私のせいじゃ…ない」
「大干魃の頃だったんじゃない?自然の流れはヒトの手にはおえないよ」

自分は雨を止めていない。
その事実に、胸のモヤモヤしたものがスッと抜け出たようだった。

「鬼灯様を殺してはいない…」
「うん」
「じゃあ、本当に私の死んだ意味は、全くないんですね…」

村のため、父と母のため、人身御供として受け入れたことも。
自分が死ななくてもいずれ雨は止んだし、干魃も起きたのだと。
肩の荷が降りたのと同時に、新しい涙が一筋流れた。

「私は何の意味も無く、死んだんですね」

村人を呪うことも、助けることすらも出来ていない。
何のために死んだのかと、悔しくて悲しくてたまらなかった。
彼女の言葉を聞きながら、白澤はその頭に手のひらを優しく添える。
ヒサナがこちらに視線を寄越したので、微笑んで見せた。

「そんなことはない。人々の心は救われてるよ」
「…はい?」
「偶然だったにしろ雨は止んだんでしょ?だったら、少なからず君の村の人達の中に、ちゃんとヒサナちゃんに感謝してる人もいると思うよ」

それこそ、その行為が信じられていた時代なのだから。

「…私が皆を恨んでるのに、そういうこと言いますか」
「言うよ。ヒサナちゃんは優しい子だからね」
「…はぁ、神様だから優しいんですから。意味なんて全くなかったって、言い切ってくれても良かったのに…」

それでもかつて、そして今でも怨み続けている村人達皆までが賛同したわけではない事はわかっている。
今思えばあのご時世、口出ししようものなら父のように次の『供物』だ。
自分に胸を痛めてくれた人々が、そんな人たちだけでも僅かでも安らぎを与えられる事ができていたのだとしたら嬉しいと、今更だがそんな複雑な思いだった。
困ったように、また今にも泣き出しそうに笑うヒサナの頭を撫でながら、白澤は名残惜しそうにその手を離すと、口元に人差し指をたてた。

「アイツには分からないだろうからね。これは僕の仕事」

『アイツ』と口にされた単語に、ヒサナの表情が強ばった。
白澤がそう称してさす相手は、今の状況からたった一人しか思い当たらない。
白澤はそんな彼女を見て笑う。
僕が踏み込めるのはここまでのようだと、心の中でヒサナへと謝罪した。

「理解したヒサナちゃんのここからの相手は、コイツの仕事」
「?!…つあ゛っ!」

突然、思い切り肩を掴まれた。
あまりの力に、肩の骨が軋みそうだった。
目の前に居る白澤は片手を口元に、もう片方はヒサナを指差しているから掴んでいるのは彼ではない。
そして、白澤様が示しているものも私ではない。
僅かに自分から反れている白澤の指先を辿るように、ヒサナは背後を振り返った。

この話は、鬼灯にはしないと白澤はヒサナと約束をした。
その約束は守ろう。
『僕は』言わないと、確かに約束した。
この話は、君から言うことになるだろうから。
話を聞いた僕は、約束通りヒサナちゃんを見逃してあげよう。
ようやく君を見つけ出したこの鬼神が、簡単に見逃す筈がないけれど。

20150627

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