火種

バタバタと道服の袖が音をたてて風に舞うほどに、空を駆ける神獣は速度をあげていた。
眼下に広がる大河を見下ろし、鬼灯はまたがっていた白い獣の角を引いて首を曲げさせるとある一点を指差した。

「ぐえっ」
「あそこが賽の河原です」
「言えばわかるよ!首が折れる!」

白い毛をなびかせ、神獣姿の白澤も涙目で眼下を見下ろす。
鬼灯に示されたそこだけは、他の砂利の川岸とは異なり積み石が多く見受けられる。
親を悲しませ死した幼子が落ちる、賽の河原。
近年ジェンガが導入されているが、最近は昔の手法も触れてみようということで時折昔の石積も行っている。
白澤はクンと首を垂れると、その場所めがけて駆け降りた。

店を出てすぐ、飛んでくださいと白澤は鬼灯に強制的に地に伏された。
明日まで待ってもいいと言ったその口で、手伝うのなら役に立てと急かす鬼神に舌打ちしながらしぶしぶ背を貸した。
女の子以外、ましてや朴念人等尚更乗せたくはないが着いていくと言った手前仕方がない。
何よりも、ヒサナが居ない今の状況で怨気を膨れ上がらせるのも得策とは言えなかった。
こうして地を駆けるよりも早く、二人は目的地である賽の河原へとたどり着いた。

「なんで賽の河原?ヒサナちゃんがいなくなったのは橋の方だろ?」
「戻っているはずなんです」
「ヒサナちゃんが?」
「…違いますよ」

若干残念そうに言う鬼灯から視線を外し、神獣姿から人の身に変化した白澤は別に汚れてもいない手を払いながら川原を見回す。
どこを見ても、子どもが石をせっせと積み上げていた。
罪を償う地獄で、その光景が可哀想だとかいう心情は抱かない。
しかしここに何の縁があるのかと、刑場へ進んでいく鬼灯の背に黙って続いた。

「ここの監督獄卒は!」
「ほっ鬼灯様!!」

突然鬼灯が声を上げ刑場に響いた怒号に、ばたばたと慌てて駆けつけた体格の良い獄卒が到着するや否や、鬼灯の前に地に頭を叩き付けて土下座をかました。

「申し訳ございませんでしたぁ!!」

あからさまに怯えを見せる獄卒は、見た目に似合わずガタガタと身を震わせている。
鬼灯はその肩を蹴りあげると、力付くで獄卒の面を上げさせた。

「亡者が見ている前で醜態を晒さない。ナメられる事になりますよ」
「失礼しました…っ」

おかしな方向にイッてしまった肩を庇いながら、獄卒がヨロヨロと立ち上がる。
その表情は恐怖に歪み、自ら打ち付けた額には血が滲んでいる。
鬼灯は冷めた目で彼を睨みながら、次の言葉を待っているようだった。

「わ…私共の不手際で子ども一人行方不明になるところでした…!二度とこのような事が無いよう、一同職務を改めると共に一層…」
「それは始末書で後程じっくり拝見しますので今は必要ありません。今回私が来たのは別件です」
「と、言いますと…?」
「その流された子どもが、戻っている筈ですが」

鬼灯の言葉に眉を寄せた獄卒だったが、瞬時に会いたいのだということを察し、慌てて踵を返し刑場に戻っていった。
何やら叫んでいるのは鬼灯が求める子の名前だろうか。
落ち着きのない様子の彼に、改善の余地ありと呟いた鬼灯の隣で白澤は確かにと小さくうなずいた。
見てくれは怖くて子どもにも恐怖の効果を発揮するだろうが、落ち着きに欠けるように思う。

鬼灯から聞いた話を思えば、三途の川の橋を渡らなければ、つまり賽の河原から子が流されなければヒサナが居なくなる事態にはならなかっただろう。
何れヒサナに訪れていたかもしれない事態だとしても、今回の件が引き金になったのは確かなのだ。
賽の河原担当の獄卒が事態にいち早く気付いていれば、とりあえず今回彼女が居なくなる結果にはならなかった筈。
普段の鬼灯ならば問答無用で獄卒に矛先を向けているだろうに、それを圧し殺してでも穏便に済ませているのは、これから会う子どもを怖がらせない為だろうか。

「連れて参りました」

一人の子どもの手を引いて、先程の獄卒が足早に駆けてくる。
引きずられるように後を着いてくる子どもは、自分一人だけ呼ばれ何をされるのかと表情が強ばっていた。
小さな背を押され目の前に差し出された子を、鬼灯はただ黙って見下ろす。
鬼灯の長身は小さな子どもにとってそれだけで脅威だろうにと、白澤は忠告も咎めることもしなかったが鬼灯の意図など知らずに身を縮こませて怯える幼子の姿に密かに嘲笑した。

「ありがとうございます。後は私が話します」
「は?」
「聞こえませんでしたか?下がれと言ったんですが」
「失礼します…っ」

これ以上機嫌を損ねてなるものかと、獄卒は大慌てで一礼し去っていった。
残された子どもは口を真一文字に結んで閉ざしている。
只でさえ恐い鬼の前に一人残されたのだ。
無理もないだろうと、白澤は鬼灯の少し後ろで腕を組み、成り行きを見守る事にした。

「あれ?」
「何ですか黙ってて下さい白澤さん」
「いや、その子亡者だよね?」
「そうですよ。だからなんだというんですか」
「何で鬼火ついてるの」

観察をと思ったのだが、どうしても気になって白澤が声をあげた。
連れてきたときは頭部の影になっていて気付かなかったが、今も若干子の影に身を潜めるように、少年の背後には鬼火が揺らめいていた。
妖怪モノノケの類いなら解るが、何故只の人の霊である子どもに鬼火が憑いているのか。

「ですから、この子がヒサナが助けた亡者ですよ」

この鬼火は間違いなくヒサナの鬼火。
そしてあの時は落ち着きを失いよく顔を覚えていなかったが、この子はヒサナが助けた亡者だと確信する。
数少ない手がかりであり、唯一鬼灯が思い当たるヒサナに繋がる道標。
鬼灯は子どもにも用はあるが、本題はこちらだと鬼火に目をやる。
意思のない只の鬼火は、子どもの横で揺らめいていた。

「貴方が流されていたのを助けた女性と知り合いの鬼です。こんにちは」
「……」
「黙ってても私は引きませんので、早く居なくなって欲しいなら話す方が懸命だと思いますよ」

その挨拶もどうだと、白澤は表情をひきつらせた。
鬼灯は子どもに視線を合わせるように片膝をつくと、子どもの前にしゃがむ。
それでもまだ鬼灯の方が大きいのだが、子どもは近くなった鬼灯の顔をおそるおそる伺い、小さく唇を動かした。

「鬼よりも強い、一番、怖い鬼…?」
「なにそれ面白い。誰が言ってたの」
「白澤さんは黙ってて下さいよ」
「助けてくれた、おねーさん…」

ヒサナの話題に、鬼灯が表情を険しくする。
子どもはその変化に身をすくめたが、構うことなく鬼灯は顔を近づけた。

「ヒサナはどこへ行くと言っていましたか」
「…ヒサナ?」
「貴方を助けた女性です」
「…おねーさん、何も言ってなかった」
「何か知りませんか」
「わ…分からな…でも、僕と一緒には行けないって…」
「…戻れないと言うことか」

それは鬼灯と顔を会わせる前から、ヒサナは戻らないつもりだったということになる。
一体何があったというのかと鬼灯は顎に手を添える。
彼女の心境の変化が全く分からない。
だからこそ、こうしてここを訪れたのだが。

「私は彼女を探しているんです」
「い…居ない…の?」
「ええ。ですから手がかりに、その鬼火を返していただけませんか」

ヒサナが託したものだというのに自分に『返せ』とは。
元は私のものだと暗に彼に言っているのだろうが、伝わるわけがないだろうと白澤は鼻で笑う。
鬼灯もそれはわかっているが、それでも声に出さなければ気がすまなかった。
例え分離した意思の無い鬼火として彼についているのだとしても、自分以外の子どもの側を離れないのも気に食わないし、それは私のだと告げずにはいられなかった。

「駄目」

今まで弱気だった少年が、怯えは消えないものの眉を僅かにつり上げてはっきり言いきった。
大声とまではいかずとも、態度の変化に鬼灯は目を細める。
それは不機嫌を露にしていた。

「何故です」
「…渡せない」
「手荒なことはしませんよ。ヒサナに会えればそれは彼女に必ずお返しします」
「…おねーさん、お前の事怖がってた」

子どもから見ても分かるほどに、それほどにヒサナは鬼灯を拒絶していたのかと白澤は興味深そうに少年の話に聞き入る。
鬼灯もヒサナの酷く脅えていたその様を思いだし、僅かに歯を軋ませた。

「…渡して頂けませんか」

それでも取り上げないのは、意思がなくともヒサナが子どもに添わせた鬼火は、力付くでは手に出来ないと知っているから。
彼に憑いている鬼火を手にするには、今は子どもの意思次第なのだ。

「おねーさんにオレ、助けてもらったから、おねーさんを怖がらせる鬼に、これは渡したくない」

無理もないだろう。
自分だってヒサナが怖がっていたらコイツには会わせたくない。
さあどう出る常闇の鬼神と、白澤は面白そうに鬼灯の背を見据える。

「返して下さいませんか」

それでも鬼灯は怒りを露にすることはなかった。
声をあらげるどころか、声音も、纏う空気も怨気を増幅させておらず、むしろ穏やかな方であった。

「私の、唯一の、とても大切な方のものなんです」

白澤からは鬼灯の表情は見えないが、鬼灯に両肩を捕まれた少年の両目が驚きに見開かれる。
鬼が浮かべもしなさそうな、鬼灯が他人に見せないようなそんな表情をしているのかもしれない。
子どもは食い入るようにその表情を見つめると、困ったように目元を歪めた。

「…会いたい?」
「会いたいです。とても」
「大事なんだね」
「大切だからこそ、居なくなられては困るんです」
「…そっか、じゃあ何でおねーさん怖がってたの」
「それを知るために、その鬼火が必要なんです」

ちろりと少年は鬼火に目をやる。
ゆらゆらと揺らめいた鬼火は、少年が作った手のひらの器のなかにすっぽりと収まった。
しばらくその火を見つめた後、少年は口角を僅かに上げた。

「できたら、僕もおかーさんに会いたいから、鬼の人の気持ちも分かる」
「そうですか」
「うん、わかった」

その一言と共に少年は鬼灯へ両手を差し出した。
鬼灯も腕を差し伸べると、意思のない鬼火はとろけるように鬼灯の手のひらに移りまた炎を揺らめかせる。
鬼灯が手を解いても、その側を離れることなく鬼灯に憑いていた。

「さっきの鬼がね、連れてこうとしても僕から離れないし、時期に消えるだろうって言ってたけど消えなかったの。でもおにーさんならいいみたい」
「…」
「おにーさんを待ってたのかもね」

子どもはませたことを言うし、かといって時折純心ゆえに核心を着いてくることもある。
その為に、あの態度をとったヒサナが残したとは思えないが、意思のない鬼火がすぐ焼失せずに留まっているのはやはり何かあるのかもしれない。

「そうであれば、良いのですけれどもね」
「おねーさんを怖がらせないでね」
「…約束します」

そんなの本人を前にしてみなければ自分だってどう出るか分からないくせにと白澤が鼻で笑えば、子どもに気付かれないように視線を寄越した鬼灯に睨まれたので怖い怖いと口元を手のひらで覆った。
白澤は鬼灯と二人幼子を見送り、そちらに背を向ける。
鬼灯は手中に揺らめく鬼火の灯を見つめていた。

「それがヒサナちゃん…な訳無いな。狐火に近い類いの鬼火だもの」
「ええ、意思はありません。しかしこれは間違いなく、寸前までヒサナの中で行動を共にしていた鬼火です」
「だから?」
「つまり、この鬼火はヒサナではありませんが、鬼火である彼女自身の鬼火でもあります」
「成程、そう言うことか…!」

鬼灯の意図を察した白澤が、感心したように数回頷き鬼灯を見た。
鬼灯も白澤の考えを肯定するように、一度大きく頷いた。

「そうです、彼女を知る鬼火。ならばこの鬼火を浄玻璃鏡にかければヒサナの心情がわかるかもしれません」

20150612

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