キス、されてる。


真っ白だった意識に色が付き始めたころ私はようやく状況を把握する。力の入らない腕を無理やり持ち上げて、男の人の胸板を押す。びくともしない。押す。…だめだ。というかそろそろ、呼吸が、


「ふは、っんん…!」

(なんてこった!)
息を吸い込んだ途端、狙い澄ましたように熱い舌が滑り込んできた。
私、ディープキスどころか初キスだってまだだったのに!逃げる私の舌が追いかけて絡めとられるのを感じても私は大した抵抗すらできず、時たま自分の口から洩れる色づいた呼吸に心で嘆いていた。

「ん、ふぁ…も」

やめて。


意志が通じたのかどうかは分からないが、目を細めた男の人はもう一度唇に吸い付いた後、下唇をぺろりとひと舐めして顔を離した。
私が手の甲でごしごし口を拭う様を眺めてくつくつと笑っている。


「泣くんじゃねぇ。次は襲うぞ」

「…っう」

「襲う」

「ひいいー」

その男の人が私の上に乗りかかって来た時、窓の外から悲鳴のようなものと「ぼーい!」みたいな濁音混じりの叫び声が聞こえてきた。上から舌打ちが落とされる。今回は、私に向かってではないようだ。
男の人は面倒臭そうに立ち上がって、未だ座り込んでいる私を十数分前のように見下ろして言った。

「XANXUSだ」

「…ざ」

「……すぐ戻る。逃げんじゃねぇぞ」

最後に凄みを聞かせた視線で脅し、男の人は今度は庭のドアから出て行ってしまった。屋根から入ったくせに。
しかし私はそれどころじゃない。
…キスされた。しかも見ず知らずの人に。(はじめて、だったのに)

なんで世の中こんなに理不尽で泣きたくなる事ばっかりなんだろう。私は立ち上がった。あの人はすぐ戻ると言っていたから早くしなければ見つかってしまう。どこへ?決まってる。

「逃げよう」

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