魔法もガラスの靴もないけれど
これの続き
彼に抱かれた、クリスマス。
その幸せな時間を最後に、私は大きな鳥を手放した。
彼が、本当に好きな人の元へ飛んでいけるように…
流れる涙には、気づかないフリをして手紙を出した。
ただ、一言「今までありがとう、幸せになってください」と人生で一番綺麗な字で書いた。
それから、半年。
住んでいたアパートも引き払い、違うアパートへ引っ越した。
携帯も解約して、新しいものに変えた。
年末も家に帰らなかった。
もし、彼と会ってしまったら…
彼と連絡を取ってしまったら…
彼がさつきと仲良くしているところを見てしまったら…
そう考えたら怖くなったのだ。
だから、時間が経てばいいと思った。
時間が経てば、忘れられる。
いつか、さつきの隣であの笑顔を見せる彼を祝福できると思った。
けれど、そう上手くなんて実際行かない。
彼の笑顔が見たい。
もう一度話したい。
彼に、愛されたい。
けれど、その度に首を振った。
ダメだ。
彼は私の手を離れて、飛び立った。
あの美しい金色の鳥は、今何処を飛んでいるのだろう。
ちゃんと、愛した人の元へ飛んで行けただろうか。
そう思うと、涙が止まらなくて、言い様のないくらい苦しくて、あれだけキッチリ作っていた食事は殆どがウイダーゼリーやこんにゃくゼリー。
たまに自分で作っても、お粥でなければ戻してしまう。
酷い時は食べ物の匂いにさえ身体が反応して、何もないのに胃液がこみ上げてくることもあった。
夜もなかなか寝付けない。
女友達からは顔色が悪いと心配され、仲の良い男友達でさえも、持っているお菓子をわけてくれたり、時間が合えば車で送ってくれたりした。
みんなに心配をかけていることは分かっていた。
それでももう一度戻りたいと言うことなんてできなくて、忘れることもできなくて、どうしようもなかった。
そんなある日の事だった。
とうとう、大学で倒れかけて友達から代返してやるから帰れと言われた。
フラフラと家に戻る途中の信号。
ふと顔を上げると、横断歩道の向こう側。
さらさらな金髪は、変わらない。
他の人より一際高いスラリとした王子様の隣には、桃色の髪の可愛くて優しい本当のお姫様。
気づいたのはほぼ同時だった。
「お姉ちゃんっ!!」
「名前さんっ!!」
向こう側からさつきと彼が叫ぶ。
と、同時に走り出した。
カバンを抱えて、全力で走る。
闇雲に角を曲がり、ただ只管に駆けた。
逃げても、余計事態を悪化させることは分かっていた。
それでも、今彼に会えば縋ってしまうから…
もう一度彼を縛り付けてしまうから…
だから、逃げた。
けれど、最近の荒れ果てた生活習慣で全力疾走など、自殺行為でしかなくて…
突如こみ上げた吐き気とガクンと曲がった足。
そのまま私の身体は硬いコンクリートに打ち付けられた。
「っ…けほっ…うっ…」
吐き気が一気にこみ上げるが、吐けずに蹲る。
「名前さんっ」
後ろから声が聞こえる。
「だ…めっ…こないっ…」
言い切る前に私の身体は突如逞しい腕に抱き起こされ、抱きしめられた。
ひゅっと、喉が鳴る。
「ちょっ…なんでこんな軽いんスか…」
見上げると泣き出しそうに歪んだ瞳。
ああ、綺麗な顔をそんな風に歪めないで…
私は、笑顔のあなたが好きなの。
「いい、よ…家、帰れる、から…だから、さつき…と…」
立ち上がろうと、その腕の中でもがくが、逆に抱きしめる腕は強さを増す。
「いい、の…あなた、は…自由…」
私の目にも、涙が浮かんでいたと思う。
それでも笑った。
これで、終わった…
「それならっ」
黄瀬くんは叫んで私を抱きしめる。
「俺はもう一度、名前さんを選ぶ。」
ぎゅうっと抱きしめられ、肩口に埋められた顔。
肩が少し震えて、私の肩口が少し湿ってきている。
「もういなくならないでっ…」
肩に触れる涙も、頬を伝うそれも、どこか暖かい。
「黄瀬くん」
頭を撫でた。
「あたし、さつきじゃないよ?」
「俺、名前さんがいなくなって気づいたんス。俺が好きなのは桃っちじゃない。桃っちはもう友達なんだって。本当っス。」
「そっか。」
「もう、俺のこと嫌いっスか?」
「ううん、好きだよ」
ぎゅっと力を込めて抱きしめると、安心したように彼の力が抜けた。
魔法もガラスの靴もないけれどさらさらの金髪の王子様は私をお姫様に選んでくれた。
手を繋いで大通りに出ると、さつきが泣きながら飛びついてきた。
それを見る黄瀬くんの顔は、まるで妹を見ているようなそんな笑顔で、目が合うとさつきではなく私の頭を撫でてくれた。
「泣かないで、さつき」
私がさつきの頭を撫でてあげると、さつきはさらにわっと泣き出すから、それに二人で苦笑した。
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