3.おねがいはいつも矛盾を孕んで

俺の名は路槃、この度めでたく第一皇女の側近を務めることになった宮人だ。失敗ばかりであわや失職寸前の俺を拾ってくださり、指導までしてくれた第一皇女には私は深く感謝しておりまして、また彼女のご厚情においては海よりも深く山よりも――

「なんて言うかバァァァァァカ!」

あいつに出会った初日のことをまだ俺は忘れていない。くっそ「可愛い鳴き声ね」とかなんとか人を馬鹿にしやがって…!何を思って畑仕事しか脳のないど平民を側近に任命したんだよ馬鹿じゃねーの恥かかせたいの!?仕え始めてからも仕事多いし世話係は鬼畜だし同僚は殆ど皇女様シンパだしマジでストレスマッハ。

しかもこの前紅炎様の髭について俺が『謎の三角形』って言ったの告げ口されたし!三枚下ろしにされたわバーカ!なんか謎の能力で怪我は無くなったけど代わりに三度三枚下ろしにされたけどお陰様でピンピンしてますよ!!
まあね、確かにね、紅燭焚き付けたのは俺だよ?疑問持たせたのは俺だよ?ムーンサルトプレス喰らったのも俺ですよ!?「じゃあ行ってくるね!」って言うから「はいはい(鼻ほじ)」で送り出したよ!?

でもそれ本気だと思わないじゃん!?普通冗談だって思うじゃん!?無邪気な子供らしさをそこで発揮しなくてもいいんだよ皇女様よォ!?

子供っぽいとこ出すのもっと別のとこにしてくんない!?人のスケジュールに仕事詰め込んどいてなあにが「この程度もできないの?」だボケ。じゃあお前この書類の山片付けてみろよ、ハンッ無理だろ……、え、早……期日前に終わってるし……こわ……皇女こわ……「次は路槃の番ね」ってそれ俺に求めないでください俺の能力平凡なんであんたのスピードがおかしいだけなんで。は?べべべ別に俺無能じゃないっすけど。あんたがおかしいんだよほんと頭の中どうなってんすか。あーもうむり。あんな幼女にできて俺にできないとかマジ無理ぽよ。モチベーション下がりまくり……リスカしょ……。

「この私の前で堂々と仕事をサボるとはいい度胸ね新人」
「ゲッ麗良さん」

この艶やかな白髪の美しすぎる女性はばく麗良らいらさん。俺と同じく練紅燭の側近で、今は俺のお世話係をしている。なんでも第一皇女付きの宮人の中でも唯一の側近らしく、女中の中ではトップの存在といえる。そんな人がどうして紅燭の世話を他人に譲ってまで俺の面倒を見てくれるのか分からないが、とりあえず目の保養にはなっているので深く考えないことにする。

こちらを見下ろす麗しきお世話係に、俺は考えるより先に「すいません」と頭を下げた。相手に言われるより先に謝っておくとお叱りが軽くなる、というのが俺がここに入って最初に学んだことだった。我ながら情けなさすぎるがこれも生き延びる知恵だ。

「まあいいわ、反省しているようだし……」

ほうら、あの鬼お世話係もこの通り――

「サボった分追加の書類上乗せしておくから、よろしくね」

にっこり笑った麗良さんは、口元に黒子を携えた美しい唇で「本当に助かるわあ、今日は早く上がって飲みにでも行こうかしら」と嘯いた。ゲゲッ、

「そんな麗良姐さん殺生なぁ」
「冗談よ。でも次に嘘ついたら本当になるからね」
「なんのことですか?」
「はい二回目〜。新人にはこの書類の山をプレゼント〜」
「そんな!麗良さんの鬼!悪魔!魔性の美女!」
「お褒めいただきありがとう、でも退かさないわよ」
「俺がそんなセコい男に見えますか?」
「残念ながら見えるわ」
「ですよね……」
「自覚はあったのね……」

元農民のノリに付き合ってくれる麗良さんの懐の深さに乾杯。仕事鬼のように回してくるけど同僚には優しいんだよな、仕事鬼のように回してくるけど。

ところで女中の中でもトップと言っていい麗良さんとこんな気軽な会話ができるのはここに周りに人目がないからだ。そしてここは俺の仕事部屋。つまり俺の仕事部屋はなんと個室なのだ。新人イジメかな?

いいもーん他の人なんて知らないもーん麗良さんは頻繁に来てくれるしいーこんな広い部屋も独り占めできるしいぃーいじけてなんかないしいいぃーー寂しくなんか……ないし……っ

「やあやあ仕事は順調?」

ノックも無しにドアが開き、そこからひょこりと飛び出した赤い影。麗良さんがさっとそちらに体を向け右の拳を左手で包む。遅ればせながら俺も椅子から立ってそれに倣って拱手すると、彼女は軽快な足取りで執務机に近づいてきた。

「……紅燭……様」

取ってつけたような敬称にしかし少女は眉根を顰めるでもなく「お前にそう呼ばれると大口開けて笑うしかなーい」と実際に大笑いしてみせた。お前も三枚下ろしにしてやろうか。

「三枚下ろしにはされたくないなあ」
「はっ……まさか俺、口に出して……!」
「ないですよ。顔に全部書いてあります」
「本当に間抜けだよね。ま、面白いからいいけど!」
「よくありません。路槃、貴方はもう皇族に仕える身なのだから、感情を律することは無理でも心の内くらい隠しなさい。いつか足を掬われるわよ」
「え〜、一人くらいわかりやすい子がいても良くない?」
「尻拭いをするのは御免です」
「まだ赤ちゃんなんだしさー」
「つーん」
「育児放棄イクナイ!」
「いくない?」
「間違えた!ヨクナイ!」

会話が辛辣すぎる。もうやだ帰りたい、帰らせて……と部屋の隅でめそめそ膝を抱えていれば、いつの間にやら傍に立っていた紅燭がポンと俺の肩に手を置いて「まあ元気だしなよ」いや大体お前のせいだよ。これもまた顔に出ていたようで、奴は笑いながらこの部屋唯一の椅子に腰掛けた。
と思えば執務机の上に乗った書類の束をパラパラと、おい確認するのやめてー!またなんか言うんでしょどうせ!わかってるんだから!

「……わ、こっち方面も鈍臭いとか」

あああああ俺のメンタルがん削げーーーー!!

ちょっと小声で言ったとことか目を見張ってるとことかが俺の無能説を進呈してる……やめて見ないで……やめて……そんなに深刻そうな顔しないで……もうやめて……

タン、と紙の束を机で揃える音。「顔を上げて、よく聞いて」言われるがままにゆるゆると上を向いた。どんな罵倒でも受け入れるつもりだった。ごめんな、自分がこんなに出来ない奴だったなんて、知らなかったんだよ。誰とも比べることがないから「これが普通だ」って誤魔化してきたけど、俺の作業が遅いのは麗良さんの反応を見ても明らかだった。麗良さんは隠していたつもりだろうけど。いつも彼女から追加される書類だってたぶん本来は俺の分だったものだ。申し訳ねえなあ。

「お前の作業効率は率直に言って猿以下だね。質も量も新人の文官に遠く及ばない。これならまだ我が国の武官にやらせた方が捗る。自分でもわかってるよね」

そうだ、わかっていた。俺が常人以下だなんて、俺には何の才能もないことなんて、家督争いで兄貴に負けた時からわかっていたことだ。

でも、それでも、俺にもできることがあると思っていた。兄貴には『農家なんて土くせえ職業に俺は収まらないんだよ』と言い残して来た。馬鹿だった。たまたま有りつけた仕事に浮かれていた。王宮に仕えるなんて名誉なことだと親に誉めそやされて調子に乗った。それだってただ、運が良かっただけなのに。

あ、ダメだ、上手く息が、吸えない――

「と、愚鈍な主ならそこで終わるだろう。安心しろ、私は決して君臣の才能を潰さない」

幼くとも凛と、鋼鉄より硬く、弦のように張られた声。けれど内容は俺のこの頭じゃまだ不明瞭で朧気なままで。時間をかけてゆっくり、解きほぐす。

「顔を上げなさい、路槃」

その声に引き摺られるように、俺は少女を見上げた。彼女はきっと己の喉に悪魔を飼っているのだ。と、そう思ってしまうほど、彼女の声には人を惹きつけ従えうる魔力が宿っていた。

――目に移ったのは、冬の東雲より鮮やかな赤。

「お前がなんだかんだ言いながら人一倍努力しているのは知っています。その調子であれば作業効率はこれからどうとでもなるでしょう。そもそもお前に、普通のことが当たり前にできる才能は望んでいません。お前の不器用さは分かりきっていたことで、」

――そんなこと(、、、、、)より、と。

「私はお前の能力に惹かれたよ、路槃」

子供のように目を輝かせて彼女は言った。練紅炎の瞳が何もかもを燃やし尽くす熾烈な炎を連想させるのなら、彼女のそれはきっと、この身を流れる命の証。

本能のまま蠢く血潮に翻弄されて、すると途端に呼吸が楽になる。服の上から掴んだそこが、どくどく、どくどく、と脈打つ。まるでこの心臓までもが、彼女の次の言葉を待ち望むかのように。

「改めて言う。私に、お前をください」

幼い声で、幼い体で、その割にムカつく性格で、奔放で、自分勝手で、年上への態度なんかまるでなっちゃいない我が儘皇女。


――それでも。お前をくれと、欲しいのだと、そう言ってくれた人は、紅燭が初めてだったのだ。


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