4.わけがわからないよ 煌帝国とは誰もが認める侵略者である。圧倒的な武力で他を制圧し、息をするように他国の文化を踏み躙り、どんな特色ある地域も煌帝国の色彩に染めるような冒涜的な存在である。 その力任せの蹂躙は血に飢えた獣の如く。しかしある時から、かの国に知力ありと喧伝する者が現れるようになった。曰く、煌帝国の力は武だけではないと。曰く、煌帝国の技術の進歩はめざましく目が離せないと。曰く、その正体は知れず、と。 彼等の口を滑らかに動かしたその“正体”は、かくして煌帝国の王宮の、地下に隠されていた。 庭園にひっそりと佇む古めかしい小屋。中に施された様々な仕掛けを解いて現れた階段を下れば、待っているのは暗闇と、厳重な警備に囲まれた頑丈な扉。扉の最上を見るには二階建ての建物を見上げる時と同じくらい首を回さなければならず、その横幅、大人の男性を二十人横にして並べたとしても裕に余る。 夜目の効く兵士達が守る巨大な扉――の、横に設置された、大人の女性が一人通れるか程度、正に申し訳程度の大きさの扉から今、小さな影が飛び出してきた。 もちろんその存在を見逃す煌帝国の兵士達ではない。小さな扉周辺の兵士達が慌てた様子もなく、見逃すまいと影を注視する。 その姿形をはっきり確認すると、彼等は何事も無かったかのように再び定められた配置についた。影はその様子を気にもとめず、悠々と地下の階段を上り始める。背後には身体中に包帯を巻いた不気味な男が続いた。 「はあ?今出てきたとこかよ」 小屋から出て真っ先にかけられた悪態に、男は無反応を、「残念でした」子供はにこやかな笑顔を返した。ジュダルは眉根を寄せる。 「今度こそ入ってみたかったのによぉ……なあ、いいだろ紅燭」 「むりー」 「ちょっとくらい見せてくれても……」 「ダメですぅ」 「コノヤロウ!!」 「はーへーでーふー」 ぎりぎりと歯軋りをするジュダルに対して、ほっぺを左右に伸ばされた紅燭はどこ吹く風。余裕な態度にいきり立ったジュダルが掴んだ頬を上下左右にと引っ張ると、「いひゃいいひゃい」と紅燭が訴えだした。しかしどこか呆れた目の彼女は少しも痛みを感じていそうにない。 その上ジュダルにとって誤算だったのが、伸ばし心地の良い子供の頬が彼に癒しを与えてしまったことだった。 「見ろ見ろ!お前のほっぺ餅みてえ!」 「自分のだから見えないよ……あのさ、流石にヒリヒリしてきたからそろそろ離して……」 数秒後、彼は純粋に子供肌のもちもち食感を楽しんでいた。結果的にジュダルの紅燭への攻撃は成功していたのだが、その頃には彼はすっかり少し前の怒りを忘れていた。 ▼ ――煌帝国皇族直轄魔道科学研究所所長。 珍しいモノ好きのジュダルが煌帝国一の変わり者と謳われるその存在を知ったとき、よしじゃあ絡んでみよう、と思うのは最早必然だった。 当初ジュダルが“練紅燭”に抱いたイメージはマッドサイエンティストのそれであったが、実際に会ってみれば、どうだ、ただの幼い少女じゃないかと彼は落胆した。だから話しかける気も失せて、なんともなしに遠目で観察していたら、練紅炎と仲睦まじい様子が目に飛び込んできたから今度は爆笑した。 だってあの紅炎が食事を妹のあーんで食べてる姿とか、女児を膝に乗っけて執務をする姿とか、幼女の太股に頭を挟まれながら真顔で廊下を歩いている姿とか、――ああ、今思い出しても笑える。年月が経っても飽きた様子はなく、むしろスキンシップが増えているというのがまた胃のよじれる話だ。 年月が経つといえば、練紅燭はまるで見た目の年齢が変わらない。ある異国の吟遊詩人が唄っていた 「おい、そこのお前」 「…………」 「返事くらいしろ。さっさと止まれ」 「…………」 「お前だよ!おい、練紅燭!」 「これはこれはジュダル殿。あなたが私に話しかけてくださるのは初めてですね。本日はどのようなご要件で?」 練紅燭はジュダルが思っていたよりも十倍……いや、百倍はいけ好かない奴だった。柔らかな口調は硬い棘を孕んでいて、『人の名前も覚えられないジュダルくん。今まで絡んで来なかったのになんでいきなり話しかけてくんの?用ないならあっち行ってくんない?』という裏の意味をジュダルでさえ理解した。 大体そんな殊勝な口調年上の兄貴二人にも使わねえじゃねえか、とジュダルはただただ純粋に驚いた。 そう、何故か怒りは湧かなかったのだ。 「……その、悪かった」 ジュダルは半分わけも分からないまま謝った。やばい舐められる、と我に返って紅燭を見たが、どうやら彼女も呆気に取られた様子である。「こちらこそ、嫌な態度を取りました……ごめんなさい」――こうして二人の交流は、分別のつかない子供同士が手探りをするように始まった。 一方紅燭はジュダルの高圧的な態度から一転、親に叱られた幼い子供のようにしゅんとした態度を取られて、自分の大人気なさを恥じた。 確かに彼も上に立つものとして礼儀作法の大切さを認識するべきだが、今のは叱ったのではなくただの私怨。謝るのは自分の方だと思ったのでそうしたら、瞬く間に笑顔になったジュダルにあちらこちら連れ回されて王宮ではあわや皇女失踪か、と大変な事態になった。 それから紅燭は我儘を言われたり面倒事を押し付けられたりする度にジュダルに同じことを仕返し、けれど互いが互いを憎み合うことはなかった。やったらその分をやり返す、やり返しただけやり返す、それが彼らの流儀。不思議なことに、彼らの仲に亀裂は生まれない。紅燭とジュダルとの関係は、言うなれば友人関係に最も近かった。 ――だがその友情はたった今、ジュダルの迂闊な発言によって瓦解されようとしていた。 「待って、待って待って、それどういうこと、一から説明して、でないとこの新開発した雷式・ 「はあ!?うわっ、なんだよそれ、見た目からしてヤベーんだけど!?」 「まだ試作も初期段階だからゴテゴテしてるだけですぅ〜、本当はもっとスマートですぅ〜」 「そういうのいいから銃口こっち向けんな!」 「ちなみにこの発射装置ないし弾丸は特別仕様なので魔法使いの脆弱な 「………ま、マジ……?」 「 「カウントダウン始めやがったコイツ!つかそれ外に出していいのかよ!?」 「……………さーん、にー」 「あああ分かった!!わかったから説明してやるからその物騒なモンしまえ!!」 「………余暉」 名を呼ばれた包帯まみれの男がジュダルを拘束していた手を話した。一先ずの命の危機を脱し、はあーっと深く息を吐くジュダル。しかし紅燭の詰問はまだ終わってはいない。 「で、どういうこと?」 「どういうことも何も……バルバッド国境の西征軍拠点基地なんて六日前には完成してたのに、何も聞いてなかったのか?」 紅燭は黙って首を振った。 「じゃあ四日後に皇子三人が移動することも?」 「……聞いてない」 地面に目を落とした彼女はそれきり動かなくなってしまった。重くなった空気にジュダルは気まずげに頬を掻くと、わざと明るい声を出しながら紅燭の肩を叩く。 「えーっと、お前には今から伝えようかと思ってるかもな!?」 「今朝まで一緒だったのに……?」 「一緒に寝てんのかよ……」 「………」 「あー、ほら!あの皇子サマも普段は結構忘れっぽいとこあるし!伝え忘れてるだけだったり!」 「あ、ありうる……」 「有りうるのかよ」 ちょっと無理があるか、と思っていたのでジュダルは意外な好感触に思わず白目を向きそうになった。「うん!きっとそうだ!紅炎兄様は忘れてるんだ!」と自分に言い聞かせるように立ち上がる紅燭。全速力で王宮へ向かう彼女とその後を悠々と追いかける従者の姿を、ジュダルはぽかんと見送った。 ▼ 「紅炎!!」 ばん、と勢いをつけて開けられた扉。次に兵士を向かわせる戦場について話をしていた紅炎と紅明が声のした方を振り向く。小さな訪問者に紅明は溜息をついた。 「紅燭、はしたないですよ」 「ごめんなさい紅明兄様!」紅燭は反省した様子もなく形だけ謝ると、つかつかと二人に歩み寄って紅炎の目の前の机を両手で叩いた。 「説明して、紅炎!」 「……何のことだ」 「西征軍基地のこと!なんで言ってくれなかったの?忘れてたの?まさか私を連れてかないつもり!?」 言い募る紅燭に紅明はすっかり状況を把握した。ああ、また痴話喧嘩か、と。こんな時には早く退散するに限るが、事情が事情だけに今回ばかりはそうもいかなかった。 「……お前には、研究所があるだろう」 「そんなの他の研究員に任せればいいし!」 「あいつらだけで回るとは思わん」 「〜〜っ!私の従者達は優秀です! い、いつもは、いくら重鎮が騒いでもアル・サーメンが駄々こねても連れてってくれるじゃん!」 アル・サーメンが駄々こねるって。駄々こねるって。紅明は不覚にも吹き出しそうになった。 「今回お前の力は必要ない。それだけだ」 「いつもは必要なくても連れ回してますけどね」 黙れ、的な視線にはさらりと目を逸らした。紅明自身は事実を述べただけなのだ。それより今回はどうしたんです、と紅明が紅炎にアイコンタクトを送る。すると紅炎の眉がぐぐっと近寄ったのを見て、これ以上は触れてはいけないと察した紅明が視線を紅燭に戻せば、彼女は「ん?んんー?」とひたすらに首を捻っていた。この幼い仕草が宮人には大人気だと分かってやっているのだろうか。 「どうしたんですか紅燭、突然うなり出して」 「いや、気のせいだったらごめんなさい。でも私が紅炎のこと間違えるはずないし……」 「なんのことだか分かりませんが自信満々なのは伝わりました」 「まあね」それから一拍置いて彼女は言った。「もしかして紅炎……拗ねてる?」 「はあ?何言ってるんです?」 「だってこの眉間の皺の寄り方とか、あと私と目を合わせてくれないし……ほら、ほら、」 声に合わせて体を紅炎の周りを飛び回る紅燭。その度にすすっと目線を動かす紅炎。確かに、彼女と目を合わせるのを避けてるようには見えるが。 「それは貴女がしつこいからです。ですよね、兄王様」 「…………」 「……兄王様?」 紅明からも目を逸らしたまま沈黙を保つ紅炎。紅燭の言葉を疑っていた紅明の心に、まさか、という確信めいた予感が広がっていく。少女の潤んだ瞳が紅炎に向けられた。 「ごめんね紅炎、私がここのところずっと研究に没頭してたばっかりに……」 「………」 「これからもこういうことがないとは言い切れないけど……私の一番は紅炎だから。もう寂しい想いはさせないよ」 「………」 「大好き」 「…………ふん」 「えええ〜〜〜なんだこれぇ〜〜〜〜〜」 とんだ茶番に付き合わされた紅明に労いの言葉をかける者は、この場には存在しなかった。 |