14.君の影に怯えていた

明朝。紅燭たちは豪商の屋敷にてアラジンたちと合流していた。“霧の団”が出たのだ。“霧の団”のリーダーである怪傑アリババが使った炎の壁は、国軍や屋敷に小さくはない被害を及ぼしながら彼らの行方をくらませた。

豪商の屋敷や財産がなくなろうが使えない国軍がどうなろうが関係はないが、紅燭はぼうっと地平線を眺めるアラジンを心配していた。
モルジアナもアラジンを見つめたり真剣な顔で何かを考え込んでいるようだし、まさかとは思うが、怪傑アリババが友人アリババだったりしたのだろうか。
いや、その可能性も考えてアリババと会ったことをアラジンとモルジアナに伝えないでおいたわけだけど、それは後から取ってつけた理由というか、本当はなにか事情のありそうなアリババ少年の意思を汲んだだけに過ぎない。それだって大切な友人の友人が知人になった人の縁になんとなく乾杯したくなったついでの記念品みたいなものだ。
冗談混じりに勘繰った彼の正体が本物で、それに接触していて、かけた保険がのちのち効いてきて、なんてそんな偶然があるのか。全ての出会いは必然?ばっかやろー。紅燭は鳥肌の立った腕を諌めるようにシンドバッドの脛に叩き付けた。殴られた。

「急になんだ!」
「……」
「黙るなよ」

――いや、必然なのだろう。いつまで過去の常識に囚われているのか。
視界を彷徨う黄色い蝶。彼らこそ、彼らの導きこそが、まさしく“運命”と呼ばれるものなのだ。
なら自身がアラジンやモルジアナ、アリババと出会ったことにも意味があるのか。

紅燭の瞳は急速に光を失っていく。そして忌々しげにルフを睨んだ。

彼女の運命は彼女の兄と共にあるのだ。世界中の人間が兄に牙を向けようと、兄が彼女を心底嫌おうと、彼女に大切な(えにし)ができようと、それは変わらない。親友や忠臣ないし兄弟姉妹といえど、紅炎を基準に据えれば彼らもその他石ころとどう変わろうか。紅燭の世界は紅炎を中心にして回っている。

ハッ、と吐き捨てるように笑うその仕草は、彼女が最も愛して止まない彼のそれとよく似ていた。





「モルさん」
「…レンさん」

ホテルのロビーで紅燭はモルジアナに声をかけた。モルジアナはソファの隅っこで丸くなっている。力ない返事には気落ちした様子が見受けられた。

「部屋に行かないの?」
「……どう声をかけたらいいか、わからなくて」

アラジンのことだとすぐに察しはついた。紅燭はモルジアナの隣に「よっ」と乗り上げ、彼女の肩に後頭部をもたせかける。

「ずっと上の空なんです。床に座り込んで、窓の空を見上げながら。それを見てたら、私……」

モルジアナはぎゅっと足の爪先を丸めた。無理のないことだ。アラジンと違わず、彼女もまた恩人に会えることを楽しみにしていたのだから。ただモルジアナは先に怒りに震える性質(たち)だと思っていた紅燭は、少しだけ驚いた。ピクリと震えた腕を誤魔化すように自身の体をひっくり返すと、厚く項垂れた赤い髪を額から掻き上げ、丸いおでこをぴんと中指で弾く。

「疲れてるんだよ。今日はもう寝よう」

紅燭はモルジアナの手を取って立ち上がらせると、彼女の反応も確認せずロビーを出て、黙々と廊下を歩いた。

何を隠そう、紅燭は研究以外の用事で夜更かしをしたことが生まれて一度たりともなかった。どれだけ仕事が忙しくとも寝る前の談話で紅炎と盛り上がってもこの身一つで砂漠に放り出されようとも、睡眠時間だけは確保していた。

つまり初めて寝ずの番をした今朝、紅燭を襲うのは猛烈な睡眠欲。ベッドが恋しくて恋しくて、しかしお忘れだろうか、そのベッドは紅燭だけでなくモルジアナのものでもあるのだ。ホテルに帰ってきた彼女の予定では、モルジアナに声をかけたあと、「先寝ててもいい?」と続くはずだった。しかしモルジアナの珍しい弱音にあっけなく陥落、戻ることを断念。…したものの再び襲い来る睡眠欲。紅燭はいま、心地よく急速に寝たい一心で部屋に向かっている。

「あ、あの、レンさんっ…」

バン、と扉を開けば、目に飛び込んできたふかふかのベッド。紅燭はほぼ無意識で窓の側でへたりこむ青い物体を掴むとベッドに放り投げ、自分もその横に転がった。モルジアナの戸惑う声が聞こえたがやはり無言で布団の中に引き摺り込む。良いサイズ感の青い物体を胸に抱き、耳元で小煩い口を閉じさせるようにその頭を腕に閉じ込めれば、彼女の意識は3秒で途絶えた。





───ん……なんかあかい…、赤?りんご?そういえばおなかがすいたなぁ。いただきまー…

「だめだめ、それはダンナ様の林檎だよ!」

───ええ?ダンナ様?そんなあ、僕にもおくれよ。……お金?お金、はないけど。アリババくんはお金が欲しいのかい。

「このアリババ様が誰よりも早く世界中の迷宮(ダンジョン)完全攻略(クリア)して、『世界一金を持ってる男』になってやるのよ!」

───ふーん。…迷宮(ダンジョン)ってすごく危険なんだろう?でも君は行くんだね。

「やっぱ冒険ってのは心が震えるよな!」

───そうだね。友だちと一緒だから余計楽しいや!さて、入り口のような穴はたくさんあるけれど、どれを選ぼうか。

「いくぞアラジン!この穴からだ!!」

───えぇー!?そんな適当でいいの!?ウーゴくん任せは僕もちょっと困るかな!?

「お前の友だちか……この迷宮出たらさ、俺にも紹介してくれよ。ついでにお前のこともいろいろな!」

───うん。いいよ。君のこともたくさん教えてね。

「全部見に行こうぜアラジン!!寄り道しながらワイワイ言いながら行けばいい。なあ、一緒に行こうぜ!!」

───うん、行く!一緒に行こうね!約束だよ?

「行くぞアラジンー!!」

───うん!ちょ、ちょっと速いよアリババくん!待って!アリババくん!待ってってば!置いていかないで!

───……アリババくん?


「ごめん。約束は守れなくなったんだ」



「っ!!……はっ、はぁ…はぁっ、は…」

頭の中で心臓がドクドクと脈打っている。顔が熱い。息が苦しい。背中を伝う汗が気持ち悪い。アラジンはうるさい胸を湿った手で掴んでぎゅっと縮こまろうとした。できない。お腹の前と背中にあるものが邪魔だ。この正体は、

「レン、くん…?」

背中に回った手がまるで返事をするように震えたかと思うと、ぐっとアラジンの体をレンに押し付けた。顔に当たった慎ましやかながらも柔らかい感触に、レンくんも女の子なんだなあとアラジンはつい小さな感動を抱いた。腰にかかる髪は濁りのない赤色でつやつやと光っている。まるで熟れた林檎のようだ。

「アラジン」

下から見上げた優しげな目元は、睫毛の先まで朝焼けの色をしていて、それが動く度に空に残った星々を弾いているようで、素直に綺麗だと思った。

そこに宿った色はアラジンと一緒にはしゃぐ彼女とも、たまに見せるモルジアナより理知的な彼女とも違う。雪原で見つけた温かな火のように、強ばった体を溶き解していく。

「ふふ、眠そうだね」
「ん…」
「まだ寝ていようか」
「ううん」
「寝れない?」
「うん」
「こわい夢を見たの?」
「…うん」
「アリババさんだ」
「……うん」
「ひどいこと、言われた?」
「……」
「アラジンとの約束を断るなんて、アリババは酷いやつだね。話に聞けば金にがめつい。女癖が悪い。権力に弱い。友だちを大切にしない。アラジンに任せっきりで何もしない。そんな最低なやつをなんで構うのさ」
「僕の友だちを悪くいうな」

アラジンは勢いよく身を起こした。顔が熱い。頭があつい。腹が煮え滾るようにあつい。さっきとは逆に見下ろしたレンの表情は小馬鹿にしたようなものではなくて、驚いた顔でもなくて、その静かに揺蕩う灯火を見ていたら、すっと頭から煙が抜けた。

「ご、ごめん!えっと、確かに君のいっていることは全部本当で、アリババくんはだめだめなのかもしれないけれど、でも、うん、ひとつだけちがうことがあるよ」

「そう?」レンは気のない返事を寄越した。「言ってごらん」歪められた口元は挑発的というより、愉しんでいるようにみえる。まるで、アラジンの答えなんてわかっているみたいに。

「僕、アリババくんと迷宮(ダンジョン)に行ったんだ」
「へえ」
「アリババくんは、僕を助けてくれたし、モルさんに手を差し伸べてくれたし、一緒に旅をしようって言ってくれたよ」
「ふーん」
「出会ったときなんか子供のために必死にかせいだお金を台無しにしちゃってさ。自分はへらへらしてがまんしているのに、誰かのために怒れる人なんだ」
「うん」
「アリババくんは優しい人だよ。友だちをないがしろにする人じゃない」

アラジンはレンを真っ直ぐ見据えた。熱の篭った視線を受けて、はあと溜息を吐いたレンが、徐ろに体を起こす。

「それ、今朝の自分に言ってあげなよ」
「……あ」
「自分が信じたいものを信じればいいのさ」

まだなにも解決はしていないけれど。行動を起こすことも、本人に真偽を問うこともしていないけれど。昨晩少しだけ話したアリババじゃなくて、迷宮を一緒に完全攻略(クリア)したアリババ信じてみても、いいんじゃないか。

「…あ、」

もしかして、とアラジンはレンを見上げてみる。もしかして、アラジンのために、レンはあえて敵役を演じたのではないか。ふかふかのカーペットに裸足をつけて、「寝るとスッキリ。睡眠は偉大だなあ」なんて伸びをしている彼女を見てみても、答えは出ない。けれど、

「……信じたいものを、信じる」

アラジンはふふっと笑った。「え、なに」と一歩仰け反るレンが気味悪そうな表情の前、一瞬だけ安堵したように頬を緩めたのは、きっとアラジンの気のせいではないだろう。調子に乗ったアラジンがレンの不意をつき試みた慎まやかな胸へのダイブは、モルジアナに窓から投げ入れられたアリババによって阻止されることとなる。

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