15.ピエロの指揮棒

シンドバッドと霧の団が視線を交わす。霧の団の夜襲はシンドバッドが霧の団の仲間になる形で幕を閉じたが、一同の集う屋上には妙な緊張感が漂っていた。その空気にアラジンさえ冷や汗を垂らすというのに、渦中のシンドバッドは飄々とした様子だ。

アラジンはきょろきょろと辺りを見回した。悪役にされたジャーファル、それを宥めるマスルール、考え込むアリババ、警戒を緩めないモルジアナを見て。

「レンくんがいない」





アリババと入れ替わりにホテルの部屋を出て行ってから、日が昇り、アリババとシンドバッドが王宮に乗り込む前になってもレンは戻ってこなかった。歩きながらアラジンはこっそりと溜息を吐く。それに気づき、見兼ねて声をかけたのはアリババとの事前確認を終えたシンドバッドだ。

「レンくんが心配かい」
「シンドバッドおじさん……うん」
「出かける前に何か言ってなかったか?」
「『邪魔者は退散』って、止めるひまもなく出ていったよ」

どこも変わった様子はなかった気がする。てっきりシンドバッドの部屋に行ったと思っていたのだが、シンドバッドも一度目の襲撃の後からレンの姿を見ていないそうだ。

「昨晩はあれだけの騒ぎだったのだから、ホテルの近くにいれば気づいたはずだが……」
「遠くに行っちゃったってこと?」
「そうとも限らない。手を出せない、やむを得ない事情があったとか、なにかトラブルに巻き込まれているのかも」
「そんな!レンくんが危ない!!」
「落ち着け、あくまで可能性の話だ。彼は強いんだろう?」
「強いけど、でも…!」

今にも飛び出しそうなアラジンにシンドバッドは眉を上げた。普段は年相応のこの子供の、重要な局面で肝の据わった態度を何度も目にしてきた。霧の団とシンドバッドが交渉しているときも、アラジンだけはニコニコしていた。その彼が声を荒らげている。シンドバッドが訝しむのも当然だった。

「どうしてアラジンはそんなにレンくんを心配するんだ?」
「どうしてって!レンくんは女の子なんだよ!!」

固まるシンドバッドと目を合わせ、アラジンは手で口を塞いだ。しかし一度出した言葉を戻せるわけもなく。木霊が聞こえそうな沈黙の中で、アラジンの焦燥は後悔に上塗りされていく。アラジンはそっと親の機嫌を伺うようにシンドバッドを見上げた。
しかしアラジンの幾分も上にある丹精な顔は、アラジンの予想とは異なる表情だったのだ。

「そうか。赤い目、長い髪(・・・)、家族、…なるほど。……ん?すると結婚する妹というのは――」
「シンドバッドおじさん?」

ぶつぶつと呟いていたシンドバッドは、膝を折り、アラジンの両肩を掴んだ。

「アラジン、俺は君の友として忠告しよう」
「え?」

「もう彼女には関わらない方がいい」





「…くしゅっ」
「紅燭お姉様、風邪ですか?大丈夫ですか?」
「んー、だいじょぶ。噂されてる」
「まあ!きっとまたお姉様への称賛か嫉妬ですわぁ!」
「煌帝国の王宮で陰口を叩かれてますな」
「夏黄文!」
「だって姫君!この女は勝手に国を抜け出したんですよ!」
「それはジュダルちゃんのイタズラのせいでしょぉ!」
「真っ直ぐ帰国してくればいいではないですか!それをふらふらと伴もつけず……」
「お姉様は私のためにわざわざバルバッドまで足を運んでくださったの!お姉様のお心遣いを非難するのはたとえ夏黄文でも許さないわぁ!」
「いーえ姫君!姫君だからこそ私ははっきりと申し上げます。この女は皇族としての自覚が足りません!」

ぎゃーぎゃー騒ぐ主従を眺めながら紅燭はふらりと露店に寄り、焼き魚と揚げドーナツを買ってきて魚の腹にかぶりついた。このやり取りも随分と久しぶりだ。普段は仲良し主従で王宮では有名な二人だが、第一皇女のことになると途端に言い争うのもこれまた有名な話である。

紅玉が紅燭を振り向き、笑顔でパタパタと紅燭の元へ駆け寄ってきた。勝利を収めたらしい。抱きついてた紅玉を紅燭は危なげなく受け止め、よしよしと髪を崩さないように撫でてやる。ご褒美の揚げドーナツを差し出せば、「きゃあ!ありがとうございます!」と喜色満面の笑み。うーん、犬感。

ちなみにこの口論で夏黄文が紅玉に勝った試しはない。出世願望甚だしく卑劣な手も辞さない彼だが、なんだかんだで己の主人には優しいのだ。たぶん。紅燭が紅玉を撫でながらそんなことを思っていたら夏黄文と目が合ったので鼻で笑ってみた。

「ひ、姫君!見ましたか!今この女……」
「んむ、おいしい!このお菓子、初めて食べました!」
「揚げドーナツだよ。今度もっとおいしいの食べさせてあげる」
「これよりおいしいのがあるんですかぁ!」
「ちょっと贅沢したい庶民用に私が普及させたやつだしね」
「さすがお姉様だわぁ。料理にもお詳しいなんて!」
「そいつ料理できませんよ」
「夏黄文……」
「ううん、要望に応えてくれる料理長がすごいの」
「いいえ。お姉様の発想力がすごいんです!」
「む、むぅ……」

紅玉のヨイショが留まるところを知らない。しばらく会っていなかった分の反動だろうか。ブランクありきの『お姉様褒め殺し攻撃』に危機感を感じた紅燭は話を逸らすことにした。

「そういえばジュダルは?」
「ジュダルちゃんなら王宮に向かいましたよぉ」
「……何しに?」
「さぁ……神官として、とは言ってましたけどぉ……」
「ジュダルが?神官として?お仕事を?ははは、まっさかあ!」

冷やかしに行ったな。

「その……お姉様、怒ってないのですか?ジュダルちゃんのこと」
「いつものことだもん」
「そうですか……」

ホッと胸を撫で下ろす紅玉。紅燭の返答を聞いた途端、顔を蒼白にした夏黄文の方がよほど紅燭のことを正確に理解しているのだろう。紅玉に向けて開かれた夏黄文の口に紅燭はさっと食べかけの焼き魚を突っ込んだ。

「おい!みんな聞け!!全員王宮に集まれ!!」
「はぁ?なんだオマエら」
「どうしたどうした」
「怪傑アリババが単身で王宮に乗り込むらしいぞ!!」
「アリババってーと……霧の団の頭領か!?」
「ウソつけ!俺は第三王子が抗議しに行くって聞いたぞ!」
「バカ野郎!!その第三王子が怪傑アリババだよ!」
「おい急げ!会談が始まるぞ!」
「お、おう!」
「行くぞ!」

ばたばたと一斉に王宮へ向かう人間の群れを見ながら、「騒がしいわねぇ」と紅玉が呟いた。その隣では夏黄文が魚の骨が喉に引っかかったらしく必死に咳き込んでいる。
町に溶け込むため変装した彼らだが、国の行方も知らぬ存ぜぬと言わんばかりの態度はこの状況下であまりに異様だった。
今この時も王宮の泥を払拭しようと奔走しているシンドバッドとはえらい違いだ、と変に感心しながら紅燭は夏黄文の背中を叩く。夏黄文は呻いて骨を吐き出した。

「……シンドバッド。もう気づいた、よねえ。……気づかなかったら見込み違いかな」

撒き餌だ。
シンドバッドの為だけに、紅燭が用意した撒き餌。
知恵の回る様子を見せた。髪を隠すターバンを深読みさせるために頭を撫でさせた。『シンドバッドを嫌いな家族』の存在を仄めかした。
仕上げはアラジンとモルジアナに仕込んだ餌。混乱、疲労、積み重なる問題、行方の知れない仲間への心配。口も軽くなるに違いない。秘密を明かすのは高確率でアラジンだろう。紅燭の計算通りなら、今頃シンドバッドは練紅燭の存在を見抜いている。そして聡明な彼は見抜かされた(・・・・・・)ことに気付き、戦慄し、彼にこう唱えるのだ――。

「ゲホッ、紅燭貴様ァ!!!」
「夏黄文!お姉様に感謝するべきではなくて!?」
「なかなか楽しかったよ」
「言質とったぞ!姫君!姫君、今の聞きました!?」
「あら夏黄文、お姉様の役に立てて良かったわねぇ。羨ましいわぁ」
「勝てない……!」

膝をつく夏黄文と紅玉の前で紅燭はくるりと踵を返した。反動に浮いた赤髪が元の位置に収まれば、彼女の無邪気な笑顔が露になる。

「あー、楽しかった!」





王宮へ向かうアリババとシンドバッドを見送ったアラジン。彼の脳内には、シンドバッドの言葉が繰り返し再生されていた。

『レンくん――いや、練紅燭は危険すぎる』

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