13.甘くささやかな名残の囁きを

「というワケで、君にも”霧の団”退治に協力して欲しいんだ。これはシンドバッドとしての頼みだ」

頷きたくなるこれは引力だ。誰も彼もを選別なく惹きつけてしまう輝かしい光。生まれ持った才能、弛まぬ努力、それらを根源にした自信は、溢れんばかりの魅力となって現れ出る。人はそれをカリスマと呼ぶらしい。
大義名分も申し分ない。国に悪が蔓延っている。国民が苦難し、交易も満足にできず、また友人が乗るはずの船も出航できないと来た。加えて盗賊の出没地もある程度把握されている。恩賞は故郷の船に友人が乗る為の手配。言葉の裏に隠された、七海の覇王シンドバッドへの貸しという甘い甘い飴玉。

これ以上なく整えられた舞台で、憧れの人物と共に、際限なく暴れることが出来る。断る方が馬鹿げていると紅燭は思った。

「お断りします」
「そうか、やってくれ……え?」
「お断りします」
「ええっ!?なんで!?」

特に理由はない。つい8秒前まで紅燭も快諾するつもりでいた。でも断った。女性の気分なんて常にコロコロと変わるものだ。ただ強いていえば、その断られるとは微塵も思っていない自信満々の面にアッパーカットをいれたかった。そして思惑通り色良い返事を期待、否、確信していたシンドバッドはただいま盛大に困惑中である。内心ほくそ笑みながら紅燭はこてんと幼げに首を傾げてみせた。

「ボクが行く必要ってあるの?」
「君の実力は2人から聞いている。そんな君がいてくれればかなり心強いんだが……」
「あなたは“シンドバッド”なんでしょ。どう考えても戦力過多だよね」
「それが、今はとある事情で金属器が一つもないんだ」
「……あのさ、シンさん」

呆れた顔の紅燭。ちょいちょい、と指を曲げれば、シンドバッドが彼女の口元に耳を近付ける。届かない紅燭は爪先で立ち、背の低い少年の為にシンドバッドは腰を折っているので、ともすれば親子に見えなくもない構図だった。

「『シンドバッドの冒険』って自伝でしょう」
「そうだな、それがどうした?」
「アラジンたちと違って、ボクは『シンドバッドの冒険』育ちだから。向こう2人が強いのも知ってるんだよ」

向こう2人、とはもちろん今なお紅燭を観察しているジャーファルと、何も考えていなさそうなマスルールのことである。シンドバッドは返事につかえたようだった。事情は聞かないよ、と言って踵を下ろした少年と反作用のように上体を戻す。紫色の髪を残しくるりとアラジンたちの方へ体を向ければ、話はこれでお開きとなった。

「アラジンとモルジアナも、レンくんに来て欲しいよな?」
「あっずるい」

きたない大人の手口だ。紅燭が思わず声を上げれば、ポンと少年の肩に手を置いたジャーファルが賛同するように頷いてくれた。同情するなら止めてくれ。

「レンくんがいないとさみしいかなあ……でも……」
「私は本人の自由だと思いますが」
「だよね。うん、僕もレンくんの意思を尊重するよ」
「やめてアラジン、捨てられた子犬みたいな顔やめて」
「レンくん、僕達のことはいいから……」
「高級ホテルでゆっくり体を休めてください。私たちが戦っている間に、高級ホテルで」
「んん、わざと?もしかしてわざとなの??」
「うっ…砦で捕まったときの傷が……」
「モルさん!モルさん、しっかりして!」
「私のことはいいから……盗賊を……」
「キミたちは賄賂でも握らされているの!?」
「レンくん!見損なったぞ!!君は仲間を見捨てるんだな!!」
「黙って」
「冗談です。本当に無理強いはしませんよ」
「僕もだよ。レンくんは妹さんを探さなきゃいけないしね」
「……うぐぅ」

しゅん、と落ち込んだ様子のアラジンとモルジアナだが、その4つの目がするすると開き、キラキラと輝きを放つ。彼らの視線の先では、したり顔のシンドバッドの足下に立つ少年が拗ねたように頭上の手を抓っていた。





よく考えてみれば、余裕綽々のシンドバッドに一泡吹かせるという目的は最初の時点で達成していたようなもので。あそこまで意固地になる必要はなかったんだ、と紅燭は反省に(ふけ)る。晒した首元を撫でる夜風からは潮の匂いがした。

「来ないな…」
「来ないね」
「寒いな…」
「よし帰ろう」
「諦めるの早くないすか」

国軍の手の回らない所で、“霧の団”が目を付けそうな場所は2ヶ所。豪商の屋敷にはアラジン、モルジアナ、ジャーファルが向かい、シンドバッド、マスルール、紅燭はそこから少し離れた貴族の屋敷を見張ることになった。

当然仲間を交渉手段に使われた上、警備場所を仲間2人と分断された紅燭は勝手極まる作戦に苛立ちを覚えなくもなかったが、組み合わせの理由も分からなくもなかったので大人しく頷いた。シンドバッドは紅燭たちの戦力に不安があったのだろう。
アラジンはどう見ても幼子で、モルジアナは女性で、一番年上であるはずの紅燭も悔しいが自分の見た目が年端も行かぬ子供であることを正しく認識していた。
ここで駄々をこねて今度はアラジンかモルジアナが一人になるのも本意ではない。

だいたい怒りの矛先は結局すべてを思うがままにしたシンドバッドに向けられているのであって、担当地が別れたこと自体に不満があるわけではなかった。

マスルールにツッコミを入れられた少年は苛立ち紛れにシンドバッドの足を蹴飛ばした。八つ当たりだから許してくれなくていい。

「イテッ、いきなり何をするんだレンくん!」
「怒らないでよ。これはボクの親切心だよ」
「なんだとォ!?」
「痛いと寒さも忘れるでしょう」
「なるほど」
「なに納得してんすかシンドバッドさん……」
「冬にお互いの体を叩き合う国もあるらしいし」
「きっと王も国民もマゾヒストなんだな!」
「いや明らかに嘘でしょう、気付いてくださいよ」
「まあまあマスルールさん、細かい事は置いといて」
「そうだぞマスルール、でっかくなれないぞ」
「マスルールさんはもう充分でかいじゃん!」
「バカヤロー、男としての器の話だよ!」
「そっかあ!」
「「あっはっは」」

マスルールはシンドバッドが2人増えたかのような感覚を覚えていた。少年の髪や目の色は自身の方が余程似たような系統であり、シンドバットとは外見はおろか年齢さえ違うのに全く不思議な話だが、とりあえず両者とも人をイラつかせる才能を持っているのは確かだ。マスルールの冷たい視線を露ほども気にせず会話に花を咲かせる図太さも似ている。

「それにしても、レンくんは『シンドバッドの冒険』を読んでくれたんだな。なんか安心したよ」
「いやいや、知らない人の方が稀だからね。今の世代の子供なら尚更」
「だよな!よかったよかった!」
「まあボクの家族はあまり良い顔しなかったけど」
「……?それってどういう」「こらっ、そこの3人!しっかり警備しろ!」

怒鳴り声の主は屋敷の木窓からこちらを見下ろしていた。のびのびとだるんだるんに育った腹。後ろにはきらびやかな衣装を纏った女性。手には食べかけの骨付きチキン。

「まったく……国軍の手が足りずたった3人の警備兵など、不安でメシも食えぬわ……!」
「食ってますね」
「食べてるね」
「あったかい部屋であったかい飯を……いいご身分だな」
「今あなたが怒鳴った相手はシンドリアの王様ですよと教えてあげたい」
「やめてくれ。……ん?」

夜を包む霧の中に赤ん坊を抱く女性の影が現れ出た。力なく首を垂らし、足下もフラフラと覚束無い様子だ。よろりとふらついた体をシンドバッドが支える。

「おいあんた、大丈夫か?」
「……」

咄嗟にシンドバッドの服を掴んで引っ張ったのは紅燭だった。女性が体当たり気味に腕を伸ばしてきたのだ――手中に短剣を握って。「なんだ?」凡そ平民の女性が持ち歩くにも捧げるにも不自然なそれにシンドバッドが眉根を寄せる。霧の中で足音が聞こえたと思えば、いつの間にか3人は円を描く人垣の中心にいた。

「……”霧の団”の、おでましか?」
「少なくとも味方ではなさそうだけど」
「霧が邪魔で敵の情報が把握できん!」
「了解……」

マスルールが近くの木の幹に手をかけた。ぶちぶちと根っこごと抱き上げるように引っこ抜いたそれを勢いのまま振りかぶる、と、敵の影に巻き付いていた霧が割れるようにして姿を消す。
紅燭はぱちぱちと目を瞬かせた。盗賊の住処に突っ込んで行ったモルジアナも含めファナリスはみんな脳筋だと思っていたが、頭を使うやつもいるのか。――――もし側近にファナリスへのトラウマと無差別な殺意を持った包帯男がいなければ、2週間後、練紅燭の従者欄には哀れなファナリスが1人登録されていたことだろう――――ファナリスの有用性を考え、かわいいかわいい従者の憎悪に満ちた顔と、それを宥める自分や他の宮人の姿を思い浮かべ、疲れた精神を癒す為に紅炎に抱き着くまでを夢想し、郷愁に身を震わせている紅燭を置いてけぼりにして、事態は着々と歩を進めていた。

「げぇっ…スラムのやつらじゃないか!しっしっ!臭いんだよ、これをやるからどっかへ行け!」

木窓から投げ捨てられた食べかけの肉。べちゃ、と地面に叩きつけられたそれに、紅燭たちを取り囲む人々の視線が集められる。倒れるように膝をつき拾おうとした女の震える手を、シンドバッドが掴んだ。

「そんなことをする必要はない。屋敷の中で好きなだけ貰ってくればいい。だが、命だけは見逃してやれよ」

女は呆気に取られた顔をしていた。女を助け起こしに来た男と少年がシンドバッドと視線を合わせ、力強く頷く。痩せこけた彼らが去ったあとは、屋敷の中からから何かが割れる音やら雄叫びやら、聞き覚えのある声で絶叫やら罵倒やらが聞こえてきた。

「いいの?」
「だって俺たち、”霧の団”を捕まえるって約束しただけだし」

「この国はもうだめかもな……」と呟いたシンドバッドは、紅燭が聞いていない会話中でバルバッドの現状を今度こそ正しく認識したらしい。
政治もわからない愚王が雪だるま式に税金を上げ、国民は貧困に喘ぎ、王と貴族は国民から搾り取った金で贅沢三昧。もともとその日の生活だけで精一杯だった人々、つまりスラムなんかは死人が続出。こんな腐敗の代名詞みたいな国の根源側に力を貸すような真似をあのシンドバッドがするはずがないと思っていた。信じていた(・・・・・)

いつの間にやら世界に馴染み、母国に強く根付けはすれど、紅燭の精神が生まれたのは魔法の存在しない前の世界。彼女は初めて“本当の”冒険に触れたときの熱に今も苛まれているのだ。英雄への理想がある。憧憬がある。懐古がある。これから紡がれる彼の物語が、飛び跳ねたくなるほど楽しみでさえある。だが、それでも、英雄に歯向かい、憧れの人をこの刃で貫き、愛しい物語を悲劇で終わらせる覚悟は、とうの昔にできている。

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