【Say "Happy?"】B






 





sideベルホルト


午後6時、夕食時―――――――
日が伸びたとはいえ、すっかり暗がりになった夜道を歩き、ガロットは戻ってきた。
しかし、丁寧に編み込まれた鉄格子の門を潜った辺りで、違和感を覚え立ち止まる。宵闇に浸食されたかのように寡黙に佇む別邸の姿は、廃墟の様に静まり返っていたからだ。どの窓にも明かり一つ漏れ出してはおらず、――――覇気を感じない。
「……可笑しいですね、主様もいらっしゃらないのでしょうか…?」
朝食時、ベルホルトは「詩の朗読をするから」と言い、それを理由にガロットは追い出された。ならばベルホルトは家にいて然るべきである。鳥目の主は暗闇の中で朗読はおろか、活動ができない筈なので、不自然に思った。いつの間にか眠ってしまったのだろうか?静かな空間で詩を読んでいて、物思いに耽る中で惰眠を貪る…、ありがちなことだ。事実、ベルホルトはよくそういうことをやらかす。庭先で、リビングで、カフェで、目を閉じたら最後、起きようとしない。ガロットはノッカーで扉を叩いた後、やはり応答がないのを確認し、施錠すらされていない扉を開いた。扉の開閉音が波紋のように広がり、やがて暗がりに吸われていく。
「……不用心にも程がありますね。」
ガロットは独り言ちて廊下を進み始めた。屋敷のどこかで寝ている主を探さねばならない。
”良いかガロット?詩にも5、7、5の流儀があってな?何処かの国の流儀だったが、最近のトレンドになりつつあるのだ。短い語句の並びから想像される世界に心酔し潜水する…、その時に人の本質を見るのだ”
以前、主が得意げに語っていた言葉を思い出す。詩の世界に潜水したついでに睡魔によって夢の世界に連れ込まれていることに、毎回あの男は気付かない。ガロットは小さくため息をついた後、やれやれと肩を落とした。
歩み続ける廊下の先にはダイニングキッチンがある。ガラス戸の向うはやはり暗いと思われたが、漏れ出す灯を見つけた。予想に反した発見に瞠目しつつ、ドアノブを捻り、扉を開いた。





「「ガロット(先輩)お誕生日、おめでとう!!」」

重なる一声と共に、パン!とクラッカーの音が鳴り響き、部屋の明かりが一気に点灯した。
あまりに唐突な出来事に驚愕し、ついでにいきなり明かりがついた室内に目をやられて俯く。眼鏡を外して瞼を擦り、眼鏡をかけ直して顔を上げた。そこに広がる部屋一面のバルーン装飾、…だれが見ても明らかなお誕生日ルームの出現と、テーブルの上のケーキと、料理と、微笑んでいる後輩と、料理長と、主の姿があった。


「………」


クラッカーの紙ふぶきがはらはらと舞い落ちて、ガロットの白髪を彩る。
茫然と立ち尽くすその表情は、いつもよりも2重に硬直していて鉄面皮に磨きが掛かっていた。


「せんぱーい!おめでとうございます!さぁさぁ!どうぞ!」

横から出てきたシャンがガロットの身体に「アンタが主役」と書かれたタスキをかけ始めた。

「おめでとうございます、ガロットさん」

料理長がのこのこと現れてガロットの頭に三角コーンの帽子を置いた

「ガロット…。」

左からかかる主の声を聴いて、漸く意識が戻ってくる。ガロットはハ!として肩を揺らし、やりたい放題やられていた姿のままベルホルトと顔を合わせた。

「ぬ、し様…これは一体…」
驚愕のあまり、思うように声が出せない。その様子があまりにも可笑しかったので、ベルホルトは口元をおさえてくつくつと笑った。
「お誕生日おめでとう。日ごろの感謝を込めてサプライズパーティを仕込んだのだ、気に入って貰えたかな?」
「…………それで、私に暇をお与えに…?」
ばらばらだったピースが嵌っていく。朝から疑問に思っていた主の言動、静まり返った屋敷…、思い返せば、不自然だと思っていたことが他にもあるかもしれない。全てがこの日の為の周到な準備だった。

「………ありがとうございます。」
ベルホルトは滅多に崩れないガロットの表情が、わずかに柔和に綻びたことに気づいた。その表情を見て、漸く安堵することができた。

「……うん。こちらこそ、いつもありがとう。」
ベルホルトはポン、とガロットの腕を撫で、柔らかな笑みで応えた。頬に掛かる髪を耳に掛け、少し背の高いガロットの瞼を見上げると、視線が絡む。レンズ越しに向き合う瞼は少しだけ揺れているように思えた。
不器用なのか、照れているだけなのか、未だガロットという男を熟知した訳ではない。
けれど、少なくとも今だけは、自分と同じように暖かな気持ちでいてくれていると解った。

ベルホルトはそっと、ガロットの頬を撫でた後、眼鏡を取り除く。
そして指先で柔らかな肌を撫でながら、手元に用意していた眼鏡と差し替えてやった。


「………………主…様…」

文書では到底起こせない程の麗しい姿で佇むガロットは、震える指先でメガネの淵を撫でた。

「さぁ先輩!蝋燭の火を消してください!!蝋が垂れちゃいますよ〜」
渦中にある二人に割って入るようにシャンの明るい声が響いた。シャンとベルホルトが丹精込めて作り上げたチョコレートケーキには、ガロットの年齢を表す数字の形をした蝋燭が立っている。

ガロットは腰を屈めて顔を近づけ、眼鏡に映る橙の灯火を吹き消した。
少し離れたところで料理長がクラッカーをもう一度鳴らした。
「HAPPY BIRTHDAY!」
クラッカーを持っていなかったシャンとベルホルトは変わりに拍手をする。
込み上がる嬉しさ、恥ずかしさ、…いろいろな感情の収拾をつけながらであろうが、ガロットは深く頭を垂れて「痛み入ります、」と呟いた。感極まるその背中を撫でたベルホルトは、何時も自分がされているように、椅子を引いてガロットを座らせる。

「これで終わりだと思うなよ?」

ベルホルトは柔和な微笑みと共に、ガロットの耳元で囁いた。



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