曇神社では、久々に天火を迎えたという事で、いつもよりも豪華な食事が振舞われた後だった。天火は何の前触れも連絡もなく突然帰省した為、空丸と錦は対応に追われすっかり疲弊していた。宙太郎は久々に大好きな兄に会えた喜びが爆発し、天火にひたすら構ってもらったせいですっかり疲れ切って眠っている。

相変わらず人を振り回した天火だったが、食事も入浴も済みようやく就寝を迎えた夜、錦に先に休むよう告げて空丸を部屋に呼び出した。随分バタバタしてしまったので、空丸とゆっくり話せる時間が欲しかったのだろう。

それも見越していた空丸は温かいお茶を二つ分用意して天火の部屋にやってくると、それを天火に手渡しながら呆れたように息を吐いた。天火は差出人の分からない手紙を、嬉しそうに読んでいる。

「本当に急なんだよ、兄貴は」
「そう云うなって、お兄ちゃんが居なくて寂しかっただろ〜?」
「いや、別に」
「冷たい!久々の再会なのに弟が冷たいっ!」

扇を開いて泣き真似を始めた天火を一瞥して、宙太郎が起きるから騒ぐなと兄を叱った空丸は、天火が読んでいた手紙に視線を寄越した。見慣れた文字で綴られた差出人不明の手紙は、渓が居なくなった後神社に届いたものだ。

「…風邪をひいたっていう手紙を最後に音沙汰がないから、みんな心配してるんだけどな」

ぽそりと空丸は優しい声で呟いた。その言葉を聞きながら、天火も同じような声色で答える。

「大丈夫、支えられてるんだろ?もうすっかり元気になってるさ」
「…だといいけど」

お茶を啜りながら空丸は答えた。天火も用意されたお茶を啜ると、手紙を畳んで空丸を見て言った。

「どうだ、当主やってみて」
「え?んー…まあ大変な事もあるけど、上手くやってるよ」
「宙太郎の成績はどうだ?」
「最近は…勉強を教えてくれる人が随分減ったから、あんまりだな」

少し言葉を選びながら空丸は答えた。空丸が差す人達の中には、牡丹や渓、それから白髪をふわふわさせた兄のような立場の人も含まれているのだろう。それを察した天火は、ふっと優しい顔で笑った。

「そうか。まぁ楽しく通えてるならそれに越した事はねぇな」
「兄貴こそ治療の方はどうなんだ?」
「だいたい終わった。あとはきっついリハビリだってよ」

天火が会津で治療を受けている担当医は相当腕の立つ医者らしいが、かなり厳しいという事でも有名であった。その為、何度か天火が帰省を求めても治療が済んでいない限りは帰してくれなかったらしい。何とか年を越える前に、ある程度の治療が済んだ事もあって念願の帰省が叶ったのだそうだ。滋賀に戻れた事を嬉しそうに話す天火に、空丸も口元が綻ぶ。

「兄貴が元気で居てくれたならそれで十分だ」
「それ、お兄ちゃんがお前達に云うはずの言葉じゃないか?」

成長したなあ、と天火は零して笑う。しばらく見ない間にすっかり大きくなった空丸は、もう十分曇神社の当主としての貫禄があった。もう安心して任せられるな、と思った天火は、少し息を吸う。そして次に吐き出した言葉は、いつになく真面目な声だった。

「空丸」
「なんだよ、改まって」
「お前に、大事な話があるんだ」

空丸は目の前に居る天火の目を見て息を呑んだ。真っ直ぐに自分を捉えている視線は、弟と話をするときの目ではない。一人の人間として話をしようとしているのだという事が伝わって、空丸は姿勢を正す。そして受け止める覚悟を整えてから、天火の言葉を待った。


「俺はしばらく、犲に戻る」


告げられた言葉に返答も出来ないまま、空丸はただ天火を顔を見つめる事しか出来なかった。


四十四、それぞれが選ぶ幸せの形


その夜、雪の降る中勇太郎に言われた物を持って屋敷に戻った白子は、目の前の光景に呆然としていた。状況が飲み込めず、我が目を疑う。

屋敷の居間では猪、陸、勇太郎、そして渓までもが揃って、裏向きで並べられたトランプを睨んでいたのだ。二枚のカードを選び、表を向けて同じ色の数字が揃えば手札に入れていく遊びをしていたらしい。白子に気付いた渓は、金色の瞳でその姿を見つめた。顔色は良く頬も血色があり、ふわりと石鹸の香りがした。恐らく猪あたりに言われて風呂を済ませたのだろう。

「おかえり白子」

綻ぶような顔で嬉しそうにそう言うと、立ち上がって白子の傍にパタパタと駆け寄った。雪が降っていたこともあって、体が冷えている事を心配している。そんな渓の様子を見る限り、体調は随分良さそうだ。

渓より奥の方で、猪はご機嫌な様子で呑気におかえりと声をかけ、陸は瞬時に膝をついて頭を下げ、勇太郎は慌てて姿勢を正し正座をしながら深々と頭を下げた。

「ただいま渓。…で、これはどういう状況?」
「猪さんが、やることなくて暇だからトランプしようって。勇太郎さんも色々考えすぎて疲れてたみたいだから、みんなで息抜き。私トランプなんて初めて見たの」

楽しそうにそう言って渓ははしゃいでいるが、トランプなんて上流階級の人間の娯楽である。恐らく猪が政府に侵入していた際に、大蛇実験の資料を盗むついでに持って来た、所謂盗品だろうというのは察しがついた。相変わらず手癖の悪い男だと思ったが、渓の眩しいほどの笑顔を見ていると、水を差すのも気が引けたので白子は黙っておくことにする。そもそも、重要なのはそんな事ではない。

「…何で陸が此処に?」

白子が渓に尋ねれば、渓はきょとんとした顔をして小首を傾げる。

「駄目だった?」
「駄目っていうわけじゃないけど…」

白子としては、離散の命令を出したにも関わらず陸が此処に居る事が不思議でならなかったのだが、渓はすっかり陸は自分を安心させる為に来てくれたのだと思い込んでいたので、此処に陸がいる事を深く考えていなかった。渓は白子の歯切れの悪さに困った様子を見せたが、助け舟を出したのは猪だ。

「普段居ない奴が屋敷に居て吃驚したんだよ」
「あ、それもそっか。ごめんね白子、私また勝手に…」
「いや、それは別に構わない」

渓の様子を見る限り、恐らく風魔の離散などは猪からも何も聞かされていないのだろう。そんな時、雪の降る中陸が生きて会いに来たのだから、渓が屋敷に上げるのも無理はなかった。そんな事とは知らない渓は、反省したように少ししょんぼりとしてしまう。落ち込む姿が小さな子供みたいで、白子はバレないように小さく笑ってから、大丈夫だよ、と優しく言い聞かせた。そんなやり取りを見ていた猪がまた声をかける。

「渓様、長は寒い中色々渓様の為に用意してきてくれたみたいだし、疲れてるだろうからご飯の支度してあげれば?」
「あ、うん!そうだね!白子、お腹すいてるよね?準備するね」

渓はパタパタと台所に駆けて行った。その背中を見送ってから、白子は息を吐いて居間に腰を下ろす。猪は頭を下げ続ける勇太郎を肘でつついた。

「眼鏡、渓様の手伝いして来い」
「ええっ、ぼ、僕がですか…?」
「ちょっと内輪で大事な話があるんだよ。渓様病み上がりだし頼むわ」
「わ、分かりましたよ…」

勇太郎はへこへこと白子に何度も頭を下げると、逃げるように台所へ向かった。居間には風魔の三人が残される。白子は胡坐をかいて、一向に頭を上げない陸をじっと睨むように睦めた。猪は知らん振りでトランプを片している。

「…何故此処に居る」

台所に居る渓達には聞こえないくらいの低い声が響く。陸は顔を上げて真っ直ぐ白子の目を見つめ、はっきりと答えた。

「恐れながら、俺の自由を選んだ結果です」
「風魔は離散したはずだ」
「はい、その命を聞き入れた上で、俺は渓様をお守りすると決めました。これは自分の意思です。罪滅ぼしだと思われても構いません」
「俺が何と云ったか覚えているか」
「…風魔は離散する、自由に生きろと仰いました」
「幸せで居ろとも伝えたはずだ」

そう言いながら放たれる白子の圧は、猪のそれとはまるで違った。猪からも同様の圧があったが、手負いの陸を見て加減をしてくれたのだという事は、陸本人が一番良く知っていた。しかし風魔の長たる白子の気は陸の肌を刺して、ぞわりと寒気さえ感じさせる。陸は僅かに言葉に詰まったが、それでも折れるわけにはいかなかった。

「俺は、渓様に救われました。渓様が長のお傍で幸せに笑っていてくれる事が、何より幸せだと感じております。例え渓様のお傍に居られずとも、そのお命をお守りする事は出来ます。長が望まないというのであれば、今後一度たりとも渓様の前に姿は見せません。ただ影として生き、渓様が笑って居てくれるよう、そのお命をお守りしたいと思っています」

一度も白子から目を逸らす事無く、陸は思ったままの事を口にした。その瞳に嘘はない。だが、白子が彼らに望んでいた事は、そんな事ではない。自分の為に生き、自分の為に幸せになって欲しい。それが上手く伝わらなくて、白子はどうしたものかと考える。

白子がちらりと猪を見れば、もう助け舟を出す気はないようで、足を組んで寝転がりながらトランプを器用に切って遊んでいる。陸の決意をしっかり自分の口から伝えさせる為だろう。すっかり兄貴分が板についてきた猪を見ながら、やれやれと白子が息を吐くと、自分に呆れられたのかと思った陸が慌てて言葉を紡いだ。

「すでに長は、俺が渓様に抱いている気持ちにお気付きだと思います。ですが、お二人の幸せを邪魔立てするつもりは一切ございません。むしろ俺は、お二人で一緒に幸せになって欲しいと願っています。長が一人で犠牲になろうとしているのを見過ごすわけには参りません。今後二度と視界に現れないと誓います。ですからどうか、せめて渓様をお守りする事をお許し頂きたい」

確かに陸が渓に特別な気持ちを抱いている事は知っていたが、だからといってそれに関して何も思ってはいなかった。仮に奪い取ろうとしているのなら制止も忠告もやむを得ないが、陸はそうではない。ただ純粋な憧れを抱いて、渓を想って幸せを願っているだけだ。叶わないと知っていて、それでも初めての気持ちに上手く折り合いが付けられずにいる。陸自身がそれを上手く消化させようと思っている事も白子はちゃんと分かっていた。

陸は猪のように渓を絡めて余計な事はしない。下手な芝居も打たなければ、無駄な気を回す事もない分安全だと言える。何より渓が陸を見る視線が弟のそれである自覚も陸は持っているので、その件に関しては白子自身特に重視はしていなかった。

だがそれでは、陸は陸の為に生きていないことになる。それだけが気がかりだった。陸はまだ若く、何度だってやり直せる十分な時間を持っている。少し感情を吐き出すのが苦手で無愛想はあるが、それを補えるくらいの素直さとひたむきさがある。未来ある命を無駄にはさせたくないというのが白子の素直な思いだ。

「渓を守る事の中に、お前自身の幸せはあるのか?」
「少なくとも、渓様の笑ってくださる世界でなければ意味がありません。渓様は、暗く陽の差さなかった俺の世界を照らしてくださった光です。渓様のお命が約束され、もう危険な目に合わない未来で生きられるようになれば、この先もずっと笑っていてくださると思います」
「…」
「そうして俺がお守りしなくても済むような人生を、いつものように笑って生きてくださる世界の中でなら、俺自身の幸せがきっと見つかると思います。渓様が笑って日々を懸命に生きていらっしゃる事を思えば、俺も頑張ろうと思えるんです」

お願いします、と陸はもう一度深く頭を下げた。その様子を見て白子は悩む。渓を大切に思うが故に縛られすぎているような気はしたが、陸なりに必死に考えた自分にとっての自由なのだと思うと、此処で振り払うのはその気持ちまで否定してしまうのではないかと思ったのだ。その否定はきっと陸を絶望させ、再び自由という意味に対しての混乱を招くに違いない。

さてどうするか、と白子は考えた。このまま渓の傍に居れば、もしかすると陸の命がまた危険に晒されるかもしえれない。陸としてはもう覚悟も出来ているので、それでも構わないのだろう。だが本当に陸の為になる選択を白子は選んでやりたかった。

「長、里には行ったか?」

白子が悩むように黙り込んでいる中、声を上げたのは猪だ。相変わらずトランプを器用に扱って一人で遊んでいる。

「陸の幸せを思って悩むのは分かるが、答えを出したのは陸だけじゃない。里に下りて話でも聞いて来いよ」

猪の発言に白子は眉を寄せたが、すぐにその言葉の意味に気付いてハッとした。少しの間硬直していたが、畳み掛けるように猪は言う。

「渓様には野暮用だからすぐ戻るって伝えといてやるから、ちょっと行ってくるといいさ。陸、ご案内しろ」
「え…あ、はい」

まさか自分に振られると思わなかった陸だったが、そう言われてすぐに立ち上がる。このままでは白子が動きそうもない事を察した猪が陸を名指ししたのだ。白子と陸が屋敷から離れても、渓と勇太郎を守れる自信があるからこそ此処には自分が残る事を選択したのだろう。相変わらず抜かりのない男だった。

仕方ないので、白子も腰を上げて陸に続いて屋敷を出た。少し歩いてから振り返れば、いつの間にか体を起こしていた猪が、立ち上がって柱にもたれかかり、ひらひらと手を振りながら笑って見送っている。不機嫌だった最近の様子から一転して機嫌が良さそうなのは、白子の予想が当たっているからに違いなかった。白子としてはどうしてこうなったと思わざるを得ないまま、小さく息を吐いて自分よりも前を行く小さな背中を追いかけた。


里についてその様子を見た白子、予想の的中に深い溜め息をついた。
離散を命じたはずの彼らが、普段どおり里で生活していたのだ。もう夜も深く雪も降っており、日付を跨ぐ少し前なので閑散としていて静かではあったが、ちらほらと人の姿もある。明かりがないのは、政府からの発見されないよう警戒しているからだろう。

白子と陸の姿を発見したのは、渓と仲の良い風魔の女だった。女の短い髪が揺れる。白子の前に膝を付いた女に気付き、それに続いて何人か外にいた風魔達も白子に頭を下げた。白子はその光景を見て、呆れたような驚いたような声を落とす。

「…何をしているんだお前達…」
「はい、離散の命の後、自由について考え、陸同様に我々も答えを出しました」

女の風魔がそう答えて顔を上げる。暗闇でも分かるほど、その表情は明るかった。

「長を一人で死なせるなど笑止千万。最後まで共に戦い、渓様をお守りする所存です」

その言葉には一点の曇りもなく、白子は何も言えなくなった。里の者達の幸せを望んでいたというのに、皆総じて白子と渓の幸せばかり願うのだ。

渓を連れて来た事で風魔の内部に亀裂が走り、四分の一くらいの数は裏切りとして減ってしまった。その上里を危険な状態にしているという自負があった白子にとっては、渓の命はともかく、自分の命をそこまで大切にされる資格はないと思っていた。

それでも彼らの瞳は、真っ直ぐに白子を貫いている。それは、離散したとて風魔の里で風魔として生きる決意をしたという事だ。例えその命が失われたとしても、白子と渓を守り抜くという判断を、自分達で下したのだろう。

「…それでお前達は、幸せだというのか?」
「もちろんです。私達はすでに、多くの幸せを渓様から与えられ、幸せの意味を教えていただきました。私達の幸せの象徴たるお二人には、生きていてもらわねばなりません。此処に残り、我々がお二人をお守りする、そして幸せに笑っていてくださる事で、私達は幸せを学び、感じる事が出来ます。風魔の離散をお望みであるならば、全てが終わったその後でもよろしいとは思いませんか?」

そう答えた女は、本当に幸せそうに笑った。
白子は、彼らが生きてさえいれば幸せになれると思っていた。そしてそれを疑う事はなかった。けれど皆が口を揃えて白子と渓の幸せを願っている。それが幸せなのだと言うのだから、白子の方こそ幸せについて考えてしまうばかりだ。

彼らが本当にそう望んでいるのならば、きっと何を言っても無駄なのだろう。誰かの命令ではなく、自分達で考えてこの答えを出しているのだとしたら、白子の思いを押し付けるのは間違っているのだろう。白子はその結論に辿り着くと、呆れたように溜め息を吐いて、小さく笑みを零した。

「馬鹿ばかりだな、この里の人間は」
「あら、命を投げ出そうとした長に云われたくありません」

女はそう言ってケタケタと笑う。少なくとも渓が来るまでは、こんな風に笑う女ではなかった。他の里の者も同様に表情が明るくなったように思う。里の者の心を溶かした渓の為だからこそ、こうした今支えてくれる里の者達がいるのだろう。

「長、今はどうぞ渓様のお傍に付いて差し上げてください。我らは我らで、政府の動向を追います」
「…何を云っても無駄らしいな」
「はい、私達をこのようにしたのは渓様ですから」

それぞれが選び取る自由の基準も、意味も、価値観も、本来すべてがバラバラで当然のものだ。その中から里の者が選び取った幸せになる為の自由が、此処に残るという選択であるのなら、もう白子にはそれ以上何も言えない。きっと何をどう伝えても、彼らも、陸も、里で生き里で死ぬ事を選ぶのだろう。

「…お前達」

白子は少し間を置いて、それから優しい声で言った。


「―――ありがとう」


移り行く時代の中、もう戦乱の世は戻らない。きっと誰もが心の片隅でそれを理解している。そんな今という瞬間、里は変わろうとしているのだろう。

風魔達は白子からのその言葉を噛み締めて、一度深く頭を下げた。それを見渡してから白子は陸を見る。陸もずっと膝を付いていたようで、同じように頭を下げていた。

「陸」
「はい」
「傍に居てやる方が、渓は喜ぶと思うぞ」

穏やかな声で言われて、陸は驚いたように顔を上げた。白子はそんな陸にふっと笑いかけると、踵を返して屋敷の方を向き、渓の待つ場所へ向かって歩き始めた。そして陸とすれ違う間際、膝をついたままでいる陸の頭をぽんぽんと撫でて、何も言わずに戻って行く。

残された陸は頭を押さえてしばらく呆然と白子の後姿を眺めていたが、それが渓の傍に居る事を許されたのだと分かった途端に、じんわりと胸の中に温もりが広がって行くのを感じた。いつの間にか立ち上がっていた髪の短い女の風魔は、うふふと笑って陸を見る。

「良かったわねえ、渓様のお傍に居られて」

降り注いだ優しい声を見上げながら、陸は珍しく、嬉しそうに笑った。


 ● ●


白子が屋敷に戻ると、食卓には渓が作った温かい食事が並んでいた。猪と渓は再びトランプで遊んでいるようだったが、勇太郎の方は白子が持ち帰った物を一つ一つ確認している。渓は白子の帰宅に気付くと、また嬉しそうな顔で駆け寄ってくる。

「おかえり、寒かったでしょ。ご飯の支度出来てるから温かいうちに―――」

渓が言いかけると、白子は間髪入れずに渓の小さな体をすっぽりと抱きしめた。猪がニヤニヤしていようが、勇太郎が驚愕の表情で二人を見つめたまま固まっていようが、もはやどうでもよかった。渓もしばらく状況に頭が追いつかなくて固まっていたが、次には顔を真っ赤にして白子の腕の中で困惑している。

「あ、あの白子…み、みんな居るよ…」
「…良いんだってさ」
「…え?」
「渓の傍に居ても良いんだって」

風魔の長として命を投げ出そうとしていた白子は、渓を猪に託していた。渓を救う方法を諦めたわけではなかったが、傍にはもういられないと思っていた。しかし里の者達の選んだ選択によって、これから先も変わらず渓の傍に居られるようになったのだ。押さえていた感情は、残念ながら抑えきる事は出来ない。

「えっと…傍に、居てくれないと、困るよ…?」
「…そうだな」
「白子だって、困るって、云ってくれたし…」
「うん」
「…これからもずっと、傍に居るよ…?」
「うん」

突然白子の告白に、渓は顔を赤くしたままで困惑したが、どうにも出来なくて白子の背中に腕を回して、自分よりも大きな背中を撫でてやる事しか出来なかった。白子はそんな渓の前髪をかきあげていつものように唇を落とすと、人前だからという事もあって、茹蛸のように真っ赤になって口をぱくぱくさせている渓にくすりと笑いかける。それから呆れたように笑って二人を見ている猪に視線を寄越した。

「そういう事になった」
「どういう事だよ」

白子の言葉に、猪はおかしそうに笑って答える。その表情はほっとしたように明るく、随分嬉しそうだ。

「渓をお前に任せなくて良くなった」
「そりゃ良かった」
「里の者はお節介ばかりらしい」
「俺は可愛い娘を希望してるんだけど」
「嫁にはやらん」

いい性格になったなお前、と零しながら、猪はくつくつと笑った。白子も憑き物が取れたような表情をしている。状況についていけない勇太郎は、猪と白子を交互に見るばかりだ。猪はそんな勇太郎を見て声をかける。

「眼鏡、とりあえず今日はもう大丈夫なんだろ?」
「えっ?あ、はっはい…」
「それと大蛇の資料持って俺の処な」
「まっ、またですか!?昨日もそれで夜通し調べ物を…!」
「文句あんのか?」
「ヒィ!!ありませんっ!!」

猪はそう言うと、あっと言う間に荷物を抱えた勇太郎の首根っこを掴み、相変わらず引きずるようにして白子の横を抜けて屋敷を出て行こうとする。勇太郎ももう慣れたのか、何も考えないでおこうという表情が伺える。すれ違いざま、にこにこしたまま猪が言った。

「ごゆっくり」

妖艶な声でそう囁くと、猪は無心の勇太郎を連れてさっさと行ってしまった。その背中を少しだけ見送った後、白子が腕の中の渓に目をやると、真っ赤な顔で俯いたまま何も言わないでいた。抱きしめる腕を緩めて、視線を合わせるように白子が屈んで顔を覗きこむが、ふいっと視線を逸らされてしまう。拗ねているのがすぐに分かって、白子は思わず笑った。

「拗ねないでよ渓」
「…白子のせいでしょ」
「自覚はあるよ」
「じゃあどうしてみんなの前でこんな恥ずかしい事するの」
「我慢出来なくなったから」

白子が答えると、渓はようやく視線を合わせた。顔を赤くして唇を尖らせる顔も、白子にとってはただただ可愛いだけだ。渓は小さな声で反抗する。

「…恥ずかしいでしょ」
「俺にも色々あったの」
「だからってこんな恥ずかしい事しなくても…」

渓の言葉に白子はただ嬉しそうに笑うばかりだ。その顔は風魔の長でも何でもなくて、曇神社に居た日々を思い出すような優しい顔つきだった。

羞恥でいっぱいになっていた渓の心だったが、白子が懐かしい顔で笑うのがくすぐったく、また嬉しくもあった。そのせいもあって、まあいいか、と開き直り、白子にぎゅうっと抱きついた。

「…私も色々あった」
「例えば?」
「起きたら陸が居て嬉しかったとか、猪さんが持って来たトランプが楽しかったとか、久々に作ったお料理が上手くいったとか」
「他には?」
「…白子が居なくて寂しかったとか」

白子の逞しい胸板に顔を埋めながら、くぐもった声で渓はそう言った。白子は渓の髪を一房掬い上げて唇を落としなら、風呂上がりの柔らかな匂いを抱きしめ返す。

「…もう居なくならないよ」
「本当?」
「寄ってたかって、渓の傍に居てやれって怒られたからな」

白子の言葉に渓は顔を上げると、まだ少し赤い頬を緩めて嬉しそうに笑った。白子は込み上げる愛おしさをしっかり噛み締めながら、冷めていく夕飯を横目に、腕の中の可愛い恋人の唇を塞ぐのだった。


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