深淵で僕は笑うから




 どこにいても居心地が悪かった。感情に任せて大勢殺しても、喉に引っかかる痰のような感情がどんどん厚みを帯びていく。死体と血が散乱した部屋のソファに崩れるように腰を落として、脳の裏側から釘を打ち付けるような痛みに頭を抱えた。
「彼女の婚約者をとっくに殺してるっていうのにさ、くだらない嘘で妹を縛り付けて満足したかい?」
 上から降ってきたヒソカの声がいつも以上に不快だった。垂れ下がった髪の間から睨みつけてやれば追い討ちをかけんとばかりに「これが結果ってやつだよ、全部キミが悪いんだ」と口にした。
「煩いな、どっかに消えてよ」
「キミを煽れば逆上してくれるかなって思ったんだけど筋違いだったみたいだね。予想以上に落ち込んでるし、面白くないなあ」
「殺されたいなら今すぐそうしてあげるけど?」
 ヒソカは臆することなく「そんな無気力な声で言われてもね」と新しいおもちゃに飽きてしまった子供のような顔をした。居心地が悪いのも、殺しの後味が悪いのも、ヒソカがこの上なく不快なのも、全ては同じ糸に繋がっている。この糸の先に妹の首を括り付けて縛っていたというのに、呆気なく妹は逃げ出した。自分の懐で大事にしていた宝物を奪われたような気分だ。こんなことならクロロを手早く始末しておくんだった、ヨークシンで依頼なんて受けなきゃよかった、妹に逃げられないようにもっと針を刺しておけばよかった。

「キミ、彼女を愛してたんだろう?妹に抱いた感情を隠すために歪んだ思考を押しつけて、本当に不器用だね」

 ――お前に、何がわかる

 銀髪の子供が産まれて家族は喜んだが、性別が女ということでひどく落胆した。まだ産まれて間もない赤ん坊を可哀想だと思ったのだ、期待外れの妹を。妹とは面倒なもので、転んですぐ泣くし、虫や怖い話で顔が真っ青になるし、お兄ちゃんお兄ちゃんとしつこいほどついてくる。
『お前はいらない子なんだよ』
 嫌気がさして心にもないことを言えば、妹はガラスのような青い目からボロボロと涙をこぼして泣いた。『お兄ちゃんも、ナマエのこと、いらないの?』とあまりにも大きな声で腹から泣くものだから怯んで自然に伸びた手が妹の頭を撫でた。
『いらなくない、俺にはお前が必要だよ』
 鼓膜が張り裂けんばかりの泣き声を止めるための嘘だったはずなのに、次第に呪言のようにそれは心に纏わりついた。妹を脅かすものがあれば躊躇なく壊したし、険しい道を自ら進んで歩けるように厳しく接したけれどそれは単なる兄妹愛とはかけ離れたものだと気付いたのは妹が自分から離れていった後だった。
 
 ――俺にはお前が必要だよ
 
 嘘じゃなかった、本心だった。いつしか憎悪の色を滲ませた目でしか俺を見なくなり、次第にそれは恐怖へと変わった。本当は怯えた妹を抱きしめて、子供の時のように背中を撫でてやりたかった。

「彼女が反発するのが嬉しかったんだろう、自分を意識してる証拠だから。心の傷になって妹に縋りつこうとしてたんだね」

 しかし妹に反発されることで得た快感。彼女が抗うほどそこには確かな感情があると思っていた。
 
 ――お前も俺を必要としたんだ
 
 妹とクロロが互いを想い合うような素振りを見せるたびに感情の歯止めが効かなくなったのだ。『これが結果ってやつだよ』と言ったヒソカの言葉が憎たらしいまでに胸に突き刺さっては自分の顔をぐちゃぐちゃにしたいような衝動に駆られる。
「僕と彼女、そういう関係だった時があるって言ったら、怒るかい?」
 ピクリと片眉が動けば闇の中で道化師は笑っていた。けれどヒソカよりも憎悪を向ける男がいるせいかその言葉は何故か空虚に聞こえたのだ。
「そんなことどうでもいい」
「…クロロしか眼中にないみたいだね。じゃあ彼と闘るために協力してくれよ」
 
 ――ナマエ、俺を憎んでる?

 ただ妹にもう一度会いたい。失ってから気づいたどうしようもない俺を絶対に許さないと言ってよ。そしたら俺はきっと地獄で笑えるから。
 



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