君の中の流星




 体を後ろに逸らして胸を張り、ギリギリのところで虎杖くんの拳を避ける。突きも横蹴りも全ての攻撃が数センチズレれば当たってしまうような近さで避けているのは余裕がないからではない、その逆だ。攻撃の軌道や流れを読み取る余裕があるからこそこんな避け方が可能なのだ。

「やりにくいのは分かるんだけど、本気でやらないとかすりもしないよ。虎杖くんの攻撃って当たらないと意味ないでしょ?」
「…本気でやってるんだけど」

 焦燥を募らせた表情で彼は頭を掻きむしった刹那、距離を一気につめれば彼の目が小さく見開いた。この時間内では気を抜くなとあれ程言ったのに。脇腹に向けて横蹴りを入れようとしたが彼の手は容易に私の足を掴んだ。彼の身体能力は高いがこの速さに反応できるようになるにはまだ早い、私は本気で脇腹を蹴る勢いだったのだ。

「…宿儺」

 気づけば虎杖くんの顔に浮かんでいる特有の印、宿儺はさぞ面白くなさそうに目を眇めていた。彼が自分の意思で宿儺を出すわけがない。もしかして勝手に出て来たのか。悟くんを呼ぶべきだろうか、いいや彼がいた方がもっと厄介だ。

「女、中の奴はどうした」

 咽喉から鈍く打ち出されるような声に自身の眉がピクリと動く。そういえば宿儺と最初戦っていた時、私の中のクロロの存在に気づいていた。

「彼はもういないよ」
「なんだと?」

 宿儺は分かりやすく舌打ちすると私の足首を掴む力を強めた。血管が塞き止められ、その強さはギシギシと骨に響く、オーラを纏っていなかったら折れているだろう。両手を床につけて体を勢いよく捻れば宿儺は足を振り投げるように離す、そのまま距離を取って呼吸を落ち着かせた。

「つまらん」

 ため息混じりの声、宿儺は不機嫌そうで口の重い子供のような顔をしていて面食らってしまった。宿儺もこんな人間味がある表情をすることがあるのか。すうっと溶けていくように無くなる印と共にその表情はあどけない虎杖くんを取り戻していた。一体なんのために出て来たんだかさっぱり分からない。

「もしかして出てた?」
「うん。すぐ消えたけど」
「やっぱり!あいつナマエさんと訓練の時煩いんだよ。奴と闘らせろって。すっげえ機嫌いいし」

 ――奴、か

 先程の宿儺の顔を思い返せば自然に頬が緩んだ。私の中で、私をずっと守り続けた番人に会いたかったのだろうか。心の内に触れることができる者同士、きっと私達が知らない域での対峙があったのだろう。

「ナマエさん、その足…もしかして俺?」
「違うよ。さて、再開しようか。私は動かなくても攻撃できるよ」
「うわっでたドラゴンなんちゃら!」
 
 ***
 
 それはナマエと悠仁の訓練中に起こっていた。肉体である悠仁とナマエの意識は深い所で眠り、代わりに表に出ていたのは両者の呪いだった。

「オマエ、ただの呪いにしては強すぎる」

 宿儺の領域内、屍の山の上で宿儺は足を組み直して片手で頬杖をした。細めた瞳の先で黒く長いコートを身に纏った色白の男を見下ろしている。額に十字架を刻んだ男は漆黒の瞳を上げれば口の端を少しだけ吊り上げた。嘲笑に似ているようなその表情に宿儺の中でブワリと苛立ちが押し寄せた。切り刻んでやる、と眉を寄せた瞬間辺り一面が塗りつぶされていくように変わった。
 全てのガラスを失った窓枠、壁は元の色が剥がれ崩れ落ちている。所々抜けた天井からは夜空が垣間見え、今にも崩れそうな廃墟だった。積み重なった瓦礫の上で腰を下ろし、本を開いていたのは先程の男だ、物音ひとつしない静寂な空間で側の蝋燭がゆらゆらと揺れている。男が一人腰掛け本を読んでいるだけの光景がまるで絵のように儚い美しさを浮かべていた。

 ――俺の領域が押し負けたとは

 目の前にいる男の呪力量は測りきれぬほど、その根源が見えないのだ。呪力とは違う、まったく別の力の流れを感じる。

「この世のものではないな」
「ああ、俺はとっくに死んでいるよ」

 男は視線を少しだけ上げて淡々と答えた。「この世の理を超えているという意味だ」男を睨みつけた宿儺にようやく男は本を閉じて自身の隣に置いた。腕を膝に置いて両手を手前で重ねれば男は乾いた微笑を浮かべる。

「理か…正直どうでもいい。お前を殺さないのも俺の意思とは関係ないことだからな」
「…あの女か。相当呪われているらしいな」
「俺がいた場所では、死後強く残る念というものがある。呪いに似てもいるし、全く違うものもある。俺は自分を呪いだとは思っていない」

 宿儺は鼻を鳴らして笑えば、冷ややかな意地の悪い微笑みを口元に浮かべた。

「人間の感情などくだらん。そんなものに死後縛り付けられるなど不快極まりない」

 男はククッと喉を鳴らして黒い睫毛に縁取られた瞼を一度伏せた。「思ったより悪くないぞ」再度開かれた瞳の奥はどこか穏やかで澄み渡っていた。自分の知らないものを知っているような目線、煙管の煙を顔にかけられた時のように不快で居心地が悪い。宿儺は喉の奥を掻きむしりたいような感覚に駆られ冷笑していた表情をぐしゃりと歪める。

「心底どうでもいい。いいから俺と本気で闘え」
「……どうかな、今はそんな気分じゃないんだ」

 男の心情を映し出すようにこの空間は静寂で満ち溢れ、それにはいくつもの意味合いが含まれている気がした。しかしその静寂が違った意味で塗り替えられる。空には青空が広がっていき、辺り一面草が生い茂っている。側で小川がせせらぎ、小鳥が鳴き臆せず近づいてくる。あまりに自分に不釣り合いだと宿儺は途端に顔色を変えた。

 ――生得領域をこれほど簡単に塗り替えた

「どうだ。戦意削がれるだろ」
「……全く不快でならん」

 コートを身に纏っていたはずの男は姿を変えて白いシャツに黒いスラックスと解けたような格好だった、髪も後ろに固めていたのものを下ろして、印象的な十字架を包帯で隠している。ただ男の両耳に存在を示す青ガラスの飾りがより明瞭な色を持ったような気がした。白い椅子に腰掛けていた男は背を後ろにつけて太陽の光を浴びるように瞳を閉じる。じわじわと体に溶けていくような光の熱を感じ、惹きつけられるような光景に宿儺は知らぬ間に息を呑む。

「今度は、サシで闘ろう」

 そんな心情を見透かすように薄く開いた瞳の奥は笑っていた。



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