同じ青を見てたのに




本を片手に持つクロロの姿は私が最後に彼を見た時の姿のままだ。髪をオールバックにして黒いコートに身を包んでいる団長としての彼も魅力的だったが、白いシャツに黒いパンツ、額を包帯で隠して髪を下ろしている方があどけなくて好きだった。実年齢よりも若く見えるのは大きくて切長の目のせいだろうか、彼が時々無邪気に笑うと無垢な少年みたいだった。

「イルミの針を抜くのに随分手間取ってたみたいだな」
「もしかして前から知ってたの?」
「まさか。知ってたら俺が手早く抜いてやったさ」

 目の前のクロロは本当に生きているみたいに見える、それでも彼はもうここに存在するべき人ではないとわかっているから喉が締め付けられているように苦しい。きっとクロロと別れる前に針が抜けていたら、兄に操作されていなければ、私は迷うことなく彼について行った。例えそこで死んでも本望だっただろう。

「呪いにしてしまってごめん、ごめんねクロロ」

 私の声は震えているだろうか、掠れているだろうか、彼に届いているだろうか。

「おかげでお前を守れた、満足してる」

 穏やかな彼の声が鼓膜を揺らせば目頭が熱くなる。きっと不細工な顔をしている、こんな顔を見せたくなかった。込み上げてきた熱い塊を飲み込んで息を止めるように唇を噛めば彼は瞳を細めて仕方なさそうに小さく笑った。よく私が頬を膨らませて意地を張っていた時の彼の困り顔を思い出してしまう。やがて彼の足元が色を無くして霧のように消えていく様子に息苦しくなり口を開いた。「クロロ、私のこと愛してた?」なぜだろうか、心臓にこびり付いた錆を取りたかったのかもしれない。小さく囁けば、彼はふっと息を吐き出して眉を下げる。

「愛してたよ、これから先も変わらないさ」

 あぁ、だめだ。溢れてやまないのは悲しみではない。本当に彼が大好きだった。愛していた。

「お前がクモじゃなくてよかった」

 雫が地面に打ち付けられ弾け飛ぶ寸前、時の狭間、彼の姿はなかった。身体の一部をもぎ取られたような痛みだけが残っている。瞬きを忘れていた瞼がゆっくりと閉じた瞬間に全てが現実なのだと思い知らされる。香りも、声も、姿も、懐かしいと思うほどに彼の存在は薄れてなどいなかった。大丈夫、私はきっとこれから先も彼を忘れない。私が愛した人なのだという事は永遠に変わらないのだと理解できれば悲しくはないはずなのに。

「あいついなくなったら領域展開できないんじゃない、よかったの?」

 横に並んだ悟くんの大きな手が私の右手を握りしめる。呪いだとしてもクロロが心の中に在り続けることをよく思っていないくせに。ほら、少しいじけているような顔をしている。

「いいよ、私は念能力者だからね」 

 クロロが消えていった星空を眺めていれば懐かしい記憶を思い出した。塞いでいた蓋を押しのけて流れ込んでくる。

『クモに入れよ、ナマエ』

 クモの拠点の一つ、薄暗い廃墟の中で私たちは蝋燭の火だけを頼りに一つの本を眺めていた。体をぴったりと寄せていれば肌寒い夜も嫌いじゃない、クロロの腕に預けた頭に彼の唇が寄せられれば『聞いてるのか?』と語尾を上げて問いかけてくる。返事の代わりに顔を上げてキスをねだれば柔らかい唇が降りてくる。熱くて、甘くて溶けてしまいそうな味がする。彼はしつこく私をクモに誘うけれど一度も入りたいと思ったことはない、盗みや殺人が嫌なわけじゃない。ただ彼の側にいる時間が増えれば増えるほど欲深くなってしまう気がしていた。私は彼の一番になれないことをわかっている、一番になりたいとも思わない。彼が大事なのはクモで、それは絶対に揺らがないのだ。そんな彼が好きだった、私を一番大事だと言ってくれる男よりも断然魅力的だった。

『クモにはなれない』
『理由は教えてくれないのか』
『内緒だよ』
 
 だから彼の大事なクモに、なろうとは思わなかった。内緒だと言ってしまえばそれ以上問いかけてくることはないくせに、数週間後にはしつこく勧誘してくる。なんで私をクモに引き入れたいのかはわからない、私の念能力が欲しいわけでもないくせに、それとも私を困らせるためにわざと言っていたのかな。少し長い彼の襟足を撫でればくすぐったそうに瞳を細めて薄い唇を開く。『死ぬなよ』と不意に呟くような声が胸を焦がすようだった。死ぬなよ、なんてそんな約束を私にしろというのか。私は彼に死なないでと言ったことは一度もない、勿論死んでほしくない、でも私たちはいつだってその瀬戸際にいるのだと一番わかっているくせに。多分人間はその時が来れば容易に命を落とすのだろう。

『クロロはずるいね』

 瞳からこぼれ落ちた涙を彼は指で掬い上げて頬に優しいキスをくれた。ボロボロの屋根の隙間から見える無数の星は可能性を表しているように無限でとてつもない引力を持っているような気がしていた。こんなに静かで穏やかな夜を彼と一緒に過ごせるのはあとどれくらいだろうと考えて、やがて考えることもやめた。今はただ彼の隣にいたい、何も考えずに、本能のままに触れ合って、互いの熱を確かめ合うだけでいい。それだけでよかった。



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