『美坂家の秘め事』116
家の前でタクシーが止まると先に降りた陸はドアを押さえながら降りようとする栞に向かって手を出した。
差し出された手に躊躇したがこんな機会はもうないだろうと栞は陸の手に自分の手を重ねた。
まるで自分がお嬢様にでもなった気分だった。
「今日はありがとう」
栞は色んな意味を込めて陸に頭を下げた。
「こちらこそありがとう。俺のワガママに付き合わせて悪かったね。また良かったら友達誘って遊びに来てよ」
「今度も奢りなら?」
「参ったな。秘密の代償は高くつきそうだ」
苦笑いを浮かべる陸はポリポリと頭を掻いた。
もう行く事もないと思っていたがまたこんな風に話が出来るならもう一度くらい行ってもいいかなという気持ちにさせられる。
「栞ちゃんをこんなに悩ませる男はよほどのいい男なのかな?」
「え?」
「タクシーの中で辛そうな顔してた。きっとそうさせてるのは男だろ?」
「ほんとよく見てるよね…」
お手上げとばかりに栞は完敗の笑顔を陸に向けた。
こんな人に愛されている麻衣さんはどんなに幸せなんだろうとそんな事が頭をよぎった。
――自分もこんな人に愛されたい。
その相手といつ出会えるかもう出会っているのかも分からないけれどこんな風に全力で愛されるような恋がしたい。
「ホストの仕事はね女の子を笑顔にする事。俺の大事なお客様の栞ちゃんが辛そうな顔してたら、俺はホスト失格でクビになるかもな〜」
そう言うと陸は栞の両手を包み込んだ。
やんわりとだが力が十分に手に伝わる強さで握られた栞の手は顔の高さまで持ち上げられた。
「だから笑って? 自分のための選択をするんだよ」
そう言うと陸は自分の手の甲越しに優しいキスを落とした。
「これ以上はしてあげられないからごめんね」
「…もしかして慰められてる??」
「慰めて欲しい気分だったの?」
「………ッ」
さすがホストといった表情で栞の顔を見てクスッと笑った。
もし麻衣の存在を知らなかったらとっくに恋に落ちていたかもしれない。
目の前の陸はそれほど魅力的だった。
「ホストはキスくらい簡単にしちゃうのかと思った」
「前はそれくらいしたけどね。今はしたいのは一人だけ。さっきのは俺からの頑張れを吹き込んであげた」
まるでおまじないでもするように手を撫でるとゆっくりと離した。
それから陸が車に乗り込んでタクシーが見えなくなるまで見送った。
家に入ろうと門に手を掛けるとカツンと足音が聞こえた。
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