鈴様の婚姻はまさに寝耳に水なものでございました。
 幼少の頃より鈴様に仕える侍女であるところの私がわたしが、なぜかような一大事に今更ながら気付いたのかと申しますと、わたし自身も急に縁談が決まり、嫁入り前の支度やらなんやらでしばらくお屋敷を離れていたからでございます。女として生まれた以上、詮のないことではあるのですが、それでも憂鬱にならざるを得ませんでした。わずかな嫁入り道具をまとめながら、何度、溜息を吐いたか知れません。いっそ逃げ出してしまおうかしら、とも。
しかし、大旦那様――鈴様のお父様の取り決めとあっては断ることもできず。結局のところ、わたしは悲嘆にくれつつ荷をまとめ、最後のご挨拶にとお屋敷を訪れた今日、まさにその時になって、鈴様も結婚されることを知ったのでした。

 大旦那様に退出のご挨拶と、今までの謝辞を述べた後、わたしはその足で鈴様の下へと向かいました。鈴様はどこにおられますかと大旦那様はわずかのためらいを見せた後、自室にいるだろうことを教えてくださりました。大旦那様が刹那見せた、その訝しげな色が少々気に懸かりましたが、今はそれよりも断然、鈴様です。鈴様のお気持ちを察するにつけ、わたしは苦しくてたまらなかったのでございます。あの方はきっと、どんなにかお辛がっていることでしょう。しんと静まり返った廊下を進む足取りが自然、早まりました。大旦那様の部屋からでて、すぐ右に曲がり、そのまま真っ直ぐに進んだどん詰まり。そこがわたしの主人であるところの鈴様のお部屋でございます。
わたしは逸る気持ちを静めようと一度、吐息したのち、こんこんっと軽く扉を叩きました。
「花でございます。退出の挨拶に参りました」
扉の向こうでいるであろう鈴様へ呼びかければ、わずかに遅れて、
「花? 開いてるわ」
と、返事が返ってきました。
「……失礼いたします」
がちゃり。
古びた扉は軋んだ音を立てつつ、開かれました。わたしはまず深々とお辞儀をし、鈴様の部屋へと足を踏み入れました。花さまは部屋の一番奥の机の前、そこに俯き加減に座っていらっしゃいました。そのかんばせを捉えることはできず。ただ、まとう雰囲気はひどく悲しげなもののようでした。
「花、待っていたの」
がちゃん。
わたしの背後で扉が閉まり、ようやく鈴様が顔をあげました。その泣きはらしたように赤い瞳に、どんなに辛いその顔に、わたしは思わず――。

「花ったら急に泣き出すんですもの。吃驚しちゃった」
くすくすと頭の上から忍び笑う声が聞こえてきます。ソファに座らされたわたしは瞳を真っ赤に腫らしながら、「すみません」と身を小さく縮こまらせました。
鈴様と目があった瞬間、全く意識していなかったにもかかわらず、わたしの瞳から大粒の涙があふれ出しました。ぼたぼたと。ぼろぼろと。まるでそうなるのが当然であるかのように自然に。
「責めてるんじゃないの。あなたは”わたし”のお友達なのだもの」
言いつつ、隣に座った鈴様はあやすようにわたしの頭を撫でました。
本当はわたしが鈴様を元気づけようと思っておりましたのに。自らの不甲斐なさを呪いつつ、わたしはそれでも鈴様のやさしさを嬉しく思いました。しばらく、鈴様にあやされ、落ち着きを取り戻したわたしは懐紙で自らの顔を拭き、鈴様に向き直りました。
「鈴様」
短い呼びかけ。鈴様は「なあに?」とわざとらしく笑みを作りました。
「わたし、嫁ぐことになりました」
「うん。随分、遠方だって聞いた」
「はい」
「もう、ここにはいられないのよね」
「ええ」
それどころか、また会えるかも分かりません。
危うくそんな言葉を付け加えそうになって、わたしはすんでのところで思いとどまりました。そんなことはわたしも鈴様も勘付いていることでございました。それを告げることは、鈴様とわたしの寂寥を徒に煽ることに他なりません。
「身支度は」
「すっかり済みました」
鈴様が尋ねるたび、わたしは随分と淡々と答えました。およそそっけないほどに。しかし、そうしなければ折角止まった涙が再びあふれ出してしまいそうだったのです。
「鈴様も結婚なさるとか」
一度、短く息を吸った。吐く。
落ち着かなければ、泣いては不可ないと思えば思うほど、鈴様が結婚するというその悲しみばかりがこみ上げてきて、余計泣きそうになるのです。それでもなんとか絞り出した言葉は、けれど、やはり涙声で。わたしはなんて痛みに弱い。

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